関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2016.09.12]
[ 大分 ]

首藤康之が演出・振付け、小野絢子と福岡雄大が踊った、「いのち」について考える示唆に富んだ『コッペリア』

笠木啓子バレエ研究所 創立55周年特別記念公演
『コッペリア』首藤康之:演出・振付

大分市の笠木啓子バレエ研究所が創立55周年を迎え、当研究所出身で世界的に活躍しているバレエダンサー、首藤康之の演出・振付による『コッペリア』全幕を上演した。
笠木啓子は、大分市では未だクラシック・バレエの全幕上演がなされていなかった頃から、積極的に取り組み、最初に上演した古典全幕バレエが『コッペリア』だったという。それから43年ぶりに、首藤康之版の『コッペリア』全幕が大分市のグランシアターで上演された。笠木啓子は創立50周年公演で『くるみ割り人形』全幕を、昨年は『ドン・キホーテ』全幕を振付けて成功を収めた首藤康之に『コッペリア』の演出・振付を託したのである。

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バレエ『コッペリア』は、人形に「いのち」を吹き込んで、可愛らしい人造人間を作ろうという老コッペリウス博士の宿願を巡って起こる、様々な出来事を描いている。つまりこのバレエのテーマは簡単に言うと、「いのち」というものを描こうとしている。
『コッペリア』のほとんどのヴァージョンは、冒頭から「いのち」の重要な姿のひとつである、恋し合っている二人が、「いのち」のない人形に愛想を振りまいたり、やきもちを焼いたりするところから始まる。老コッペリウス博士は、明るく元気がよくチャーミングで、街の人気者の少女スワニルダそっくりの人形を作って、なんとか「いのち」を吹き込もうと全人生を捧げて研究を重ねている。それは老コッペリウス博士が、晩年のゲーテが17歳の少女に恋したように、スワニルダに老いらくの恋をしているのか、それともドン・キホーテがドゥルシネア姫に憧れたように、揺るぎない信念から特別に思い入れを抱いているのか。それは観客の解釈に委ねられているようだ。
首藤版『コッペリア』は、こうした多くのヴァージョンに見られる物語に、ひとつのエピソードを描くプロローグを付け加えた。
そのエピソードは、老コッペリウス博士は、愛する孫娘を高齢のため市条令により里親にださなければならなくなり、悲しい別れを経験しなければならなかった。孫娘と別れたコッペリウス博士は、孤独と寂しさのあまり、ウランちゃんのような孫娘と同じくらい可愛い人口少女を作り上げようと決意。そのモデルは、街で毎日のように見かける明るく魅力的な活き活きとした「いのち」があふれている娘、スワニルダだった・・・・。私などは、このエピソードが加わったために、今までは「超マニアック」な変人と思っていた老コッペリウス博士が、何やら身近な孤独を共有している人物に思えてきた。この今日的なエピソードが加えられて老コッペリウス博士は、私たちの隣のおじさんのような親近感のある存在になったのである。

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第1幕の麦の穂の占いや蝶を捕らえるシーンなども「いのち」の偶然性や儚さなどを表している。またここでは、マズルカやチャールダッシュなどが活発に楽しく踊られた。
スワニルダは新国立劇場バレエ団のプリンシパルの小野絢子。活き活きとよく動き、身体の濃やかな表現により、窓辺で読書するコッペリアに関心を示す恋人のフランツに不満を表す。たおやかな雰囲気のある小野が怒ったり、拗ねたりする表情を作ると、いっそうチャーミングに感じられる。一方、フランツに扮した福岡雄大(新国立劇場バレエ団プリンシパル)は、他の女の子に目がいってしまうのは自然の摂理である、とでも言いたげで堂々と演じているところがおかしく、ユーモアがごく自然に現れていた。福岡にはこうした登場人物のキャラクターを表現していく力が、確実に備わってきていて、頼もしく感じられた。他に新国立劇場バレエ団から井澤駿と林田翔平がフランツの友人役を踊った。

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第2幕で、招かざる客と奮闘する老コッペリウス博士には、マイムパフォーマンスグループ「CAVA(サバ)」の丸山和彰が扮している。前回の『ドン・キホーテ』でもドン・キホーテを演じたが、今回はさらにダンサーと絡む役どころだったが、巧みに演じた。同じく「CAVA」で市長役の細身慎之介もダンスも披露し、味を出していた。初登場の『ドン・キホーテ』では、少々、音楽の感じ方がダンサーと異なって見えるところがあったが、今回はそうした印象はなかった。クラシック・バレエとパントマイムが違和感なく融合することが可能だとすると、また、新しいバレエの局面も見えてくるような気がして嬉しい。特にこの第2幕は、時折、ユーモアやサスペンスを強調し過ぎて上手くいかない演出も見られるが、首藤の演出は、ピエロを登場させたり、女の子たちのフォーメーションもスムーズでソフィストケートされていて気持ち良かった。
第3幕は「鐘のディヴェルティスマン」で、首藤も公演パンフレットで語っているように、祈りを託す「鐘」や歴史を刻む「時」、日々繰り返される「夜明け」「祈り」日々の糧を得る「仕事」、喜びの「祝い」、そして「闘い」と「平和」の踊りが踊られる。「いのち」が経験しなければならないすべて、あるいは「いのち」そのものを構成している、と言っても良いモティーフのディヴェルティスマンが踊られて、快活な「ギャアロップ」へと進んだ。
そしてエピローグは、プロローグに対応して、優しさに満たされたハッピーエンディングとなった。
(2016年8月7日 総合文化センター iichiko グランシアター)

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