三方 玲子 text by Reiko Mikata 
[2009.10.13]
[ミュージカル]

松たか子がミュージカル初主演したケアードの『ジェーン・エア』

ジョン・ケアードの演出で、松たか子が満を持して初のミュージカル単独主演となった。
英国のシャーロット・ブロンテの小説『ジェーン・エア』(1847年)を、ケアードとポール・ゴードン(作詞・作曲)が舞台化。2000年にブロードウェイへ進出し、トニー賞5部門にノミネートされたもの。日本での上演にあたっては、気になる箇所を作りなおして“完全版”と銘打ったバージョンだ。
制作発表でブロードウェイ版とどこが違うか問われたケアードの答えが興味深かった。ブロードウェイでは、商業演劇らしくあつらえるために規模の大きさ、ビジュアルの派手さやコミカルなシーンなどを求められたが、今回はそれらを削ってそぎ落としたという。言葉どおりの誠実なステージだった。

ミュージカルに寄せられる苦情に多いのは、「突然歌い出すのが苦手」、「なぜそこで踊り出すのか理解できない」といった類い。人物の気持ちの流れよりもミュージカルナンバーを優先する演出や、感情を歌やダンスで飛躍させるための過剰な表現が受け入れられない場合だ。『ジェーン・エア』では、そういった懸念は一切なかった。ダンスも多人数のコーラスも、派手なセット転換や衣裳チェンジもなく、物語の舞台ヨークシャー地方の自然が感じられる優しい照明の中で、ひとりの女性の半生を追っていく。

ケアードの演出は、常に人物造型を軸に行われる。稽古が進むにつれて役者と役が重なってくるという。その先には、彼が稽古場で役者に投げかける「演じようとしなくていい、感情のままそこに存在していればいい」という言葉どおりに舞台に立つ人物があらわれる。松たか子のジェーン・エアは、まさにそうだった。
物語の序盤、子役が演じる幼いジェーンを、松が演じる成人したジェーンが回想しているかのように舞台の奥から眺めている。その姿だけで、ジェーンの聡明さや意志の強さが伝わってくる。

生まれてすぐに両親を失い、幼いころから苦労の連続だったジェーン。引き取られた伯母の家ではいじめられ、つらい寄宿学校での生活の中、流行病で親友を亡くす。やがて寄宿学校で教師になるが、このまま自分の人生が終わるはずはないと学校を離れる決意をする。そして、家庭教師として赴任した館の当主ロチェスターと運命的な出会いをする。

ふたりが惹かれ始めたところへ、ロチェスターと結婚するかもしれない上流階級の美しい娘があらわれる。ライバルの出現で初めて、ジェーンは我に返る。鏡を見て思い出す。自分は彼と釣り合わない女だと。身分の違い、年齢の差、そして自分は美しくない。聡明なジェーンは己の身の程を知っているから、自分を抑えることができるはず。これが、恋という不条理でなければ。
一方、ロチェスターもまた、恋に我を忘れた。実は重婚という罪を犯すとわかっていながら、彼女を自分のものにせずには我慢できなくなっていく。心が通い合ったと知ったジェーンは迷わず彼のポロポーズを受ける。しかし結婚式当日、ロチェスターの罪状が露見する。彼女はもう一度、我に返る。自分が愚かだった。ジェーンはロチェスターの屋敷を去る。

終盤の見どころは、ジェーンがいかにして、幼いころ自分を虐待した伯母を許す行為と向き合うか。そして自分をだましたロチェスターも許し、彼のもとへ戻っていく。
上下巻にわたる長編小説で描かれたひとりの女性の成熟を約2時間半で見せるのは、松たか子という女優なしには困難だったろう。松はフィクションと観客をつなぐことのできる女優だ。現代の日本人には共感しづらい、階級や貧富の差・男女の境目を踏み越える難しさを、いつの間にか観客に納得させていた。難しさを感じるからこそ、境目を超えて“許す”ことができたジェーンの成長が感動的だった。
(2009年9月8日 日生劇場)