岸 夕夏 text by Yuka Kishi 
[2016.05.10]
[ オーストラリア ]

主役2人の渾身の演技が圧倒的な輝きを放ったベインズ版『白鳥の湖』

AUSTRALIAN BALLET オーストラリア・バレエ団
“SWAN LAKE” STEPHEN BAYNES
『白鳥の湖』 スティーブン・ベインズ:振付

オーストラリア・バレエ団の2016年シドニー公演のオープニングを飾ったのは『白鳥の湖』だ。この作品はオーストラリア・バレエ団が50周年を迎えた4年前、バレエ団の座付き振付家、スティーブン・ベインズ(Stephen Baynes) に委嘱された全4幕作品。オーストラリア・バレエ団の『白鳥の湖』は、海外公演でしばしば演目にして好評を博しているグレアム・マーフィー版がある。マーフィー版はイギリスの故ダイアナ妃の悲劇を連想される独創的な演出で、一方、ベインズ版『白鳥の湖』は1890年代に制作されたプティパ・イワノフ振付の古典様式を用い、登場する人物像を深く描き出している。筆者が観たのはシドニー公演初日で、主役のオデット姫はダンサーの最高位であるプリンシパルのアンバー・スコット(Amber Scott)。  ジークフリート王子はプリンシパルのアダム・ブル(Adam Bull) だった。
冒頭の印象的なオーボエソロから幕が開き、夜の湖で父王の棺が白鳥の形のボートに乗せられて静かに運ばれていくところを、子ども時代のジークフリート王子が見ているところから物語は始まる。王子の悲しみが、湖を照らす月の光の中に浮かび上がり、この序幕で暗示されるジークフリートの苦悩がベインズ版『白鳥の湖』の通奏低音として全篇を通して流れている。

ab1605_01.jpg © Australian Ballet / photo Daniel Boud

悲劇を暗示させるようなプロローグの霊的な湖畔から一転して、祝宴を翌日に控えた宮殿の庭。華やかな雰囲気の中でジークフリートは物思いに耽っている様子。王子は子どもの頃に見た父王の葬儀を思い出し、迫る戴冠の日の重責を感じている。そこに母王妃と大法官が姿を見せ、舞踏会に招いた4人の姫を花嫁候補と告げる。華やかな場面で憂いのある微笑みをうかべるアダム・ブルは、王子の気品を漂わせていた。
ジークフリートの旧知である公姫と伯爵夫人が憂愁を浮かべるジークフリートをダンスに誘う。同夜の伯爵夫人はプリンシパルに次ぐランクのシニア・アーティストの久保田美和子だった。公姫は、昨年度の同バレエ団内若手のベストダンサーに選ばれた、ソリスト(シニア・アーティストに次ぐランク)のベネディクト・ベメット(Benedicte Bemet) 。久保田の安定感のあるダンスとベメットの全身から若さの溢れ出るダンスは対照的で、その組み合わせは新鮮な印象を与えた。

ab1605_02.jpg © Australian Ballet / photo Daniel Boud

ベインズは本作の制作にあたり、アンバー・スコットとアダム・ブルを念頭に置いて取り組んだと語る。ベインズのスコット評は、強さと脆さの表現力を完璧なバランスで併せもった抒情的なダンサーで、浮かび上がるようなアラベスクとしなやかな上半身、役柄を深く考える情感のあるアーティストだ。同夜のスコットはまさにベインズの評するとおり。スコットは往年の映画女優のようなクラシカルな美貌をもち、美しい腕の流れとともに舞台に登場すると、空気が一瞬にして変わってしまうようだった。
魔王ロットバルトに捕らわれたスコットのオデットは、白鳥に変えられた嘆きが全身から立ちのぼるように表現され、上下に波打つ腕のしなやかさ、目線、首を傾ける角度、指先の関節にいたるまでひとつひとつの所作に深い意味を込めた踊りは、息を呑むような美しさだった。
一方、繊細さと生来の王子的容貌をそなえるとベインズが評するアダム・ブルは、悩める王子とオデットに惹きつけられる心奥を表わす。彼のソロは哀愁に満ちていた。それは2幕のスコットとブルの踊りで見事に表わされる。バイオリンの独奏と相伴するハープが奏でるメランコリックなメロディにのって、流れるように心のひだを表現した2人のパ・ド・ドゥは熱狂的な拍手に包まれた。

ab1605_03.jpg ©Australian Ballet / photo Daniel Boud

さらに見事だったのは3幕のオディールだ。スコットのオディールは目線ひとつでブルの王子を虜にしてしまい、オデットとは全くの別人と見紛う妖艶さ。ベインズが意図した冷たい美貌のファム・ファタールを体現し、そのダンスの技量と演技の両面で観客を圧倒した。

ab1605_04.jpg © Australian Ballet / photo Daniel Boud

『白鳥の湖』の見せ場のひとつである3幕のグラン・パ・ド・ドゥでは、オディールをオデットと信じているブルのジークフリートも、それまでとは一変して歓喜に満ちた、高く軽々とした跳躍のソロで客席を沸かせた。コーダのオディールの32回転のグラン・フェッテは文句のつけようもない出来栄え。同夜で最も大きな喝さいが劇場を覆った。

衣装と舞台装置を担当したヒュー・コールマン(Hugh Colman) は、華やかな宮廷場面と、舞台全体が蒼の濃淡で彩られて月の光だけが照らす哀しみに満ちた湖(ベインズは湖を「重要な主役」と呼ぶ)を効果的に対比させた。ベインズ版「白鳥の湖」は人間ドラマだ。いく層にも葛藤するジークフリートの心、人々の思惑が交差する宮廷と魔界の境界となる湖、それはコインの裏と表のようだ。3幕ではそれまでの抑えた色調と一転して、鮮やかな紫や深いえんじ色の衣装をまとった、スパニッシュダンスやコサックダンスが祝宴を彩った。
『白鳥の湖』はカンパニーや振付家によってたくさんのヴァージョンがあるが、異なるのは最終場面ではないだろうか。ベインズ版『白鳥の湖』ではオデットを裏切ったことを知ったジークフリートは、絶望し湖に身を投げた。この作品では、ロットバルトがジークフリートの遺体を湖から引き揚げて、父王と同じように夜の湖を白鳥の形のボートに乗せて魔界に運んでいくという悲劇の連鎖を呈している。3幕でロットバルトは、ジークフリートの母王妃をも魔性の魅力で虜にして、親子を魔力で奪うという演出にした。唯一の救いは、ジークフリート自らの命の犠牲によって、ロットバルトはオデットの魂を解放したことだ。がしかし、オデットは自由の身になっても白鳥の姿のままでいることを選んだ。この場面は飛び立つ白鳥を背景幕に映像で写した

ab1605_05.jpg © Australian Ballet / photo Daniel Boud

19世紀を舞台にした古典的な様式の作品では、主役2人の役柄のとらえ方、ダンサーの技量と演技両方の実力が明確に表れる。同夜の『白鳥の湖』はスコットとブルの渾身の演技が際立った輝きを放ち観客を深く魅了した。
客演指揮者のアンドリュー・ムックゲリア(Andrew Mcgrelia) は、チャイコフスキーの調べをオーストラリア・オペラ・バレエ・オーケストラでダイナミックに響かせた。通常、オーケストラのコンサートマスターがカーテンコールで舞台に上がることは滅多にないが、同夜は素晴らしいバイオリンの音色を奏でたジュン・イ・マ (Jun Yi Ma) が舞台に呼ばれて大きな拍手を受けた。
オーストラリア・バレエ団の『白鳥の湖』は4月にシドニーで3週間の公演後、5月にアデレードで1週間、6月にメルボルンで2週間上演される。
(2016年4月1日 シドニーオペラハウス)

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