ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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唐津 絵理 text by Eri Karatsu 
[2007.07.10]
From Nagoya -名古屋-

アルディッティ弦楽四重奏団+ケージ+白井剛『44のハーモニー(ダンスヴァージョン)~アパートメントハウス1776』

2006年夏に日本で初演され、各界から絶賛を浴びた『アパートメントハウス1776』が、このたび早くも関西にて再演された。

 日本のコンテンポラリー・ダンス界の中でも、近年目覚しい活躍ぶりをみせている白井剛と、現代音楽界で世界的に知られるアルディッティ弦楽四重奏団が共演した今回の舞台。些細な動きや、風船や紙飛行機といったモノたち、そしてカルテットが作り出すジョン・ケージの音の隙間に、観客自身がいくつもの気づきを得ることで、思いもよらぬイメージの広がりを体感できる白眉な作品であった。
『アパートメントハウス1776』は、アメリカ建国200年を記念してケージによって書かれた曲で、建国当時の様々な音楽ー賛美歌や宗教音楽などを多数使用しながらも、それを切り取り重ね合わせることで、物語的な展開は極力おさえられ、短いフレーズがゆっくりと断片的に繰り返されていく。

 

下手舞台に半円形状に配され演奏する4人。そこに、上手からスーツ姿の白井が銀色の風船をもって登場する。蛍光灯が舞台の4隅に置かれ、時おり白い光を放っている。平坦ではあるが、穏やかでどこか懐かしさを感じさせるメロディーがゆっくりと重複する中、白井はひとり遊びを楽しむ少年のように風船と戯れている。フワフワと漂うこの風船は、終始この作品を象徴しているかのように、舞台をあちらこちらと彷徨い続けるのだ。
コンサートホールの壁をそのまま活かした背景には、今まさに演奏している楽譜や、そこに重なり合う電線の映像などが映し出され、どこまでも続いていく音の「持続性」を形象化させるかのように、多様なイメージが広がっていく。楽譜に向かい合い、ペンを持ってリアルタイムで赤い線を重ねていく白井は、作品の中で音楽の旋律にオーバーラップされていく彼自身のようだ。
白井は、椅子にのってモノをつかもうとしたり、床に転がり前回りをしたり、爪先立ちでちょっとコミカルに歩いたりと、極めて自然体で踊る。また演奏家はそんな白井の存在を全く気にもとめていない様子だ。カルテットとダンスは、同じ舞台上にありながらも、同時進行でそこに置かれているだけである。それは、やはり、1950年代にケージとカニングハムが試みた意欲的な一連の実験群を思い起こさせる。

しかし、しだいにその関係に微妙な変化が起こりはじめる。自らの身体の部位や風船、紙飛行機と遊びながらも、その動きは、もはや白井自身の身体の器から溢れ出し、流れ落ちるように空間全体へと拡充していく。白井がビオラ奏者の肩に手を置いた瞬間、触れてしまうことへの躊躇と共に感じられたのは、他者との接点を希求する、内向的ではあるが物事の本質に近づこうとしている青年期の少年の姿だった。
後半のカルテットの退場。舞台中央に半円形状に並べ替えられた演奏用の椅子。そして、再びの登場。下手から現れた演奏家たちの空中には、銀色の風船が浮べられている。くすっ、という笑いをきっかけにして、会場が親和的な空気に包まれはじめる。
音楽家に囲まれるように、白井はその半円の中央に滑り込み、倒れ伏せる。徐々に起き上がった白井は、脱力した身体をよじり、四肢を空中に投げ出しながら、少しずつ動きの強度を増していく。

 


しかし、白井の日常的な動きは、ケージのコンセプトをさらに押し進めて、劇的なダンスを否定、日常的な動きの連なりから作品を作ることを試みた60年代のイヴォンヌ・レイナーなどのポスト・モダンダンサーたちとは明らかに異なる地平にあるように思う。身体をモノ化することによって、ダンスのミニマリズムを達成したというよりも、否定してもなお残ってしまう身体のもつリアリティや温かさを露呈してしまったポスト・モダンダンス。しかし白井はむしろ、記憶の中で沈殿してしまっている身体の歴史を、感覚的に引き出すことができる稀有な才能をもっているのではなかろうか。
忘れられそうになっても、決して忘れさられることはない遥か遠い身体の記憶。彼のダンスは、極めて抑制されながらも、常に体温を感じさせるのだ。気がついてみると皮膚を通して身体の奥深くまで染み入っていくダンス。
カニングハムが、モダニズム的に屹立する身体を志向したのだとしたら、白井は何かに寄り添う身体へと向かっているようにみえる。ダンスって、温かい。激しく主張することもなく、淡々とダンスの本質と、今という時代の身体を提示する。白井はダンスにおいて、カニングハムよりさらにケージの音楽体験の本質に近い感覚を生み出した、といったら言い過ぎであろうか。
ラストでは、白井が演奏家の中央に立って、指揮者の真似をしたり、反対に音楽家が立ちあがって演奏したりと、硬くみられがちな現代芸術にチャーミングなユーモアを付け加えて、知的な側面も垣間見せた。
また作品全体にわたって、時おり挿入される映像と共に、岩村原太の神秘的な照明が、ダンスと音楽、そして空間のそれぞれのあわいを極めて効果的に印象づけるのに貢献していた。
 


他のプログラムは、A.ウェーベルンの弦楽四重奏のための6つのバガテル、細川俊夫の「沈黙の花」、西村朗の弦楽四重奏曲第2番《光の波》。一流の音楽家の演奏する身体と、そこから溢れだす音の洪水に、圧倒される舞台であった。
(2007年5月18日、伊丹アルカイックホール)