ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

From New York <ニューヨーク>: 最新の記事

From New York <ニューヨーク>: 月別アーカイブ

三崎 恵里 text by Eri Misaki 
[2017.08.10]

世界大戦中のアメリカの日本人と日系人の歴史的事実をダンスとして描いた『彼ら』

Ai Dance Theatre, アイ・ダンス・シアター
“Them” by Janet Aisawa
『彼ら』 ジャネット・愛澤:製作・演出

日本人にとって広島と長崎と言えば、原爆を意味している。同様にアメリカに住む日系人には、それにとって代わる苦痛の思い出があり、毎年必ず在米日本人及び日系人の間で語り継がれている。第二次世界大戦中のアメリカ政府による日系人強制収容の記憶だ。この舞台は日系アメリカ人、ジャネット・愛澤(Janet Aisawa)により制作されたもので、公演の規模としては、Dance Cubeで取り上げるレベルのものではない。しかし、このテーマが日本人に深く関わるにもかかわらず、日本ではあまり認識されていないこともあり、一つの歴史事実をダンスという形で主張したケースとしてご紹介したい。

この舞台を製作した愛澤の祖先もこの時代に生き、強制収容所経験者であった。この作品は録音されたダイアローグと映像にダンスを交えたマルチメディア製作である。

暗闇の中に鳥の様に両腕を動かせる愛澤が浮き上がる。録音されたダイアローグが流れ、1930年代後半のアメリカ憲法の文言が語られる。世界各国から集まって構成されるアメリカ人。この国の人間であるからには、みんな法律を守らなければならない。しかし、人間の権利とは何かを問う内容だ。そうした言葉が流れる中、愛澤は素朴な動きで動く。そのスタイルは、コンテンポラリー・ダンスというジャンルの元になったポストモダンダンスの動きと言える。
ダイアローグはアメリカ市民権運動の歴史を述べ、アメリカが関わった世界戦争を並べ、第二次世界大戦について語る。映像の前で3人のダンサーが動く。背景に投影された映像の中でもう一人のダンサーが同じような動きをする。映像は日本の愛媛県松山市の浄瑠璃寺で、その後広島の原爆ドームの映像も入る。やがて、古い記録映像の中で日系人男性が強制収容の際に起こった菊池家の悲劇を証言する。当時アメリカで暮らしていた日系人たちが住む地域の家並みや、彼らが苦労して作った見事な農園、働く人々の写真が映し出される。船に乗ってきた日本人たちの映像が投射され、愛澤と上原統(Osamu Uehara)が出会ったばかりの菊池夫妻としてデュエットを踊る。質素な結婚式を挙げた二人に、娘のスミコ(松本寿美/Sumi R Matsumoto)と息子のタケハル(ブーニャリット・パンカムデー/Boonyarith Pankamdech)が産まれる。両親は日本式に子供たちを教育するが、ある日突然夫婦は理由もなく銃で撃たれ、子どもたちの蘇生の努力も空しく死んでしまう。タケハル役のパンカムデーが助けを求めてスローモーションで走る背後に強制収容所に送られる日本人たちの映像が映写される。そして強制収容所を経験した人たちが証言する。突然の退去命令に、取るものも取りあえず行かなければならなかったこと、キャンプに送られた時の様子などが語られ、その映像の前で上原が動く。その動きはダイアローグに沿ったジェスチャーを基にしており、ダンサーというよりはアクターの動きで、刀を振り回す様子も含まれる。そして日系人への尋問では同じ質問ばかりが繰り返されたこと、何も罪が無い日系人が突然殺されたことなどが語られる。倒れた上原に、愛澤が白い袴を持って出てきて、上原にかけていくと、上原は起き上がってそれを着けて神官のような姿になる。背後に日本の自然の中で踊る愛澤ともう一人のダンサーの映像が映し出され、上原の動きがその映像に重なる。映像の中の愛澤が石の階段を転がると、上原も床を転がる。映像の中で愛澤は蓮の花の間を歩き、まるで極楽を歩く様なイメージだ。

ny1708g01.jpg Photo: Courtesy of Aidance Theater. ny1708g02.jpg Photo: Courtesy of Aidance Theater.

再び記録映画となり二世の人たちが、アメリカ人であることを証明するために、自分の家でも敢えて日本語を喋らなかったことなど、当時の人々がどのように生きたかを話す。ダンサーたちが法被(はっぴ)の様な短い着物を着て、歌舞伎の型や動きや盆踊りの振りを含む素朴な動きで踊る。一世は米国への忠誠心はあまり念頭になかったが、二世になるとアメリカ文化に生き、日本に行くことも無かったという。それを示すように松本とジェイク・パク(Jake Park)がスィングを踊る。日系人たちが踊る周囲を見張るように監視官が歩く。

スパイ活動を恐れるアメリカ政府は日系人を収容所に入れるだけでなく、アメリカに忠誠を誓わせる宣誓書に署名させようとしたことを伝えるダイアローグに沿って、一世を表現する上原と二世を表現するパンカムデーが動く。上原の動きは日本的で、「戦に行くなら、生きて帰るな」という日本の思想を語る。パンカムデーは時折、シャープなダンステクニックを交えながら、アメリカ人であることを証明しようとしたり、自発的にアメリカ兵として入隊を希望しても拒否され、人間として公平に扱われない二世世代のフラストレーションを表現する。市民権をはく奪され、不公平に扱われ、意味もなく殺される。これは民主主義ではない、自分はアメリカ市民だ、というダイアローグとともに、上原とパンカムデーの動きはだんだん痛みを深める。「自分をすべて捨て、囚われながら、さらに忠誠を誓うか」と訊かれる。「これがアメリカか? これが民主主義か? アメリカは偽善だ」とダイアローグは続ける。

ny1708g03.jpg Photo Courtesy of Aidance Theater

リンの音がして、愛澤が映像の中で原爆の悲惨を語るように動く。被災者の被ばくした時の様子を語る日本語の俳句が読まれ、昭和天皇の敗戦の演説が流れる。原爆が落とされたときの記録映画が流され、ケロイドに覆われた子どもの顔などが映し出される。赤い炎が燃える背景の前で、愛澤が白い衣を着て踊り、それが後ろの映像と重なる。映像は原爆被災者の絵が出たり、ドン、ドンと太鼓の音を交えたりして、ホラー映画の様な恐怖感すらも与える。原爆ドームや飛ぶ鳩の映像が出て、愛澤はその中で水を求めて這う被爆者のように石の階段を這って川に向かい、水に手を伸ばす。突然映像が消え、赤い背景に愛澤のシルエットが浮かび上がる。また映像が出て、「日本には戦いに行きたくなかった」「広島のことを知った」という収容所経験者の日系人の証言が流れる。原爆被災者を家族に持つ日系人が、50年間話さなかったが、やっと原爆で死んだ親戚に関して話せるようになったと語る。

証言と映像の凄まじさにアメリカ人観客は呆然と見入っている。映像の中で動く二人のダンサーの前で、愛澤ともう一人の女性が踊る。子供を抱えるようなしぐさをするダンサーたち。映像の中で愛澤がセミの抜け殻を石垣の間に入れる。瞑想を誘うような音楽が流れる。再び証言の映像が流れる。経験者たちが「市民としてとても悲しい時だった。法律の名の元、一体自分が誰なのかを問わなければならなかった。今になってなんという悲劇だったのか、分かってきた。」と語る。映像が消えると、ダンサーたちが一人、二人と現れ、それぞれ踊り始める。全員暗い表情で一心に踊る中、愛澤が白い衣で現れ、ダンサーたちの中心に立って鳥が羽ばたくようにして終わる。

マルチメディア製作として、資料の収集、映像の撮影と編集など、愛澤が情熱をこめて製作したことは明らかで、映像やテキストの内容も重たいものだった。また、会場にはこの問題の背景資料となる文章や写真が多く展示されていた。しかしダンス作品としては非常に未熟なものと言わなければならない。ダンサーたちの技量は決して低くないが、その才能を愛澤が活かしきれたかというと、それは非常に疑問が残った。場面展開も論点がぶつぶつと切れては変わるので、ダイアローグ無しではダンスとしても映像としても意味が通じなかったと思われる。また、製作の目的としても、愛澤がこの問題を提示することにより何を主張したいのか、という点がもう一つ曖昧だ。こうしたテーマは非常に難しく、例えばわれわれ日本人が「ヒロシマ」「ナガサキ」と言うと、アメリカ人からは「パールハーバー(真珠湾)」と返ってくる。ただ単に、私たちはこういう仕打ちを受けた、酷いことをされた、こんなに辛かった、苦しかった、と主張するだけでは、相手からも無限に言い分が返ってくる。最初と最後に鳩をイメージさせる動きをした愛澤が平和を願うと想像されるが、愛澤の主張といえる明確なメッセージは感じられなかった。多くの意味でダンス製作としてはまだまだ課題が多いと思われた。

今回は多くの日本人アーティストが関わっている。映像の武部由子(Yuko Takebe)、音楽の渡部 深雪(Miyuki Watanabe)、石橋美穂子(Mihoko Isibashi)、振付家の荒川 香代子(Kayoko Arakawa)、一色眞由美(Mayumi Isshiki)らがこの製作に参加した。

補足知識として簡単に日系人強制収容について述べるが、ここでは特にアメリカと日本の関係に絞って記載することをご承知いただきたい。1940年9月27日に日本、ドイツ、イタリアの間で締結された日独伊三国間条約に基づく三国関係はその後、日独伊三国同盟となって、第二次世界大戦の枢軸と呼ばれた。つまり、この三国が世界を相手に戦争をしたのである。1941年12月8日(日本時間)、日本は米軍海軍基地があるアメリカ、ハワイ州の真珠湾に奇襲攻撃を仕掛け、米海軍に大きな損害を与えた。米国政府はこの枢軸国の国民及びアメリカ系国民(日、独、伊の国民と日系、ドイツ系、イタリア系アメリカ人)への警戒を強め、国を守るためと称して、隔離を含む様々な非人道措置が取られた。1942年2月下旬から、アメリカ西海岸沿岸州とハワイから日系アメリカ人と日本人移民約12万人が強制完全立ち退きを命ぜられ、収容所へ送られたのを皮切りに、全米で同様の措置が取られた。その過程で、日系人たちは激しい差別と屈辱的、虐待的扱いに苦しみ、命を失った人々も多く出た。彼らはほとんどが移民として渡米したものだったが、二世の代まで地道に働いて日系アメリカ人としての基礎を築いてきたものの、財産放棄を余儀なくされ、1941年から終戦の1945年まで続いたこの強制収容と、解放後も政府からの支援はほとんどなく、社会復帰は困難を極めたという。
(2017年7月1日夜 University Settlement)