ニューヨーク・ダンサー=インタビュー:クリスティーン・シェフチェンコ(アメリカン・バレエ・シアター、ソリスト)

クリスティーン・シェフチェンコはウクライナ生まれ。体操からスタートしたダンサーである。家庭の事情で子供の時にアメリカに移住、フィラデルフィアで育ったが、ワガノワ・メソッドでトレーニングを続け、次々とコンクールに入賞、いきなりABTのカンパニークラスのオーディションを受けてパスした。コール・ド・バレエ時代からプリンシパルの代役を踊るなど業績を上げ、この春のメトロポリタン・オペラハウスでの公演では、初めて主役を踊ることになっている。言わばダンスのアメリカン・ドリームを実現していると言える彼女に今回は話をしてもらった。(インタビューは今年1月17日に、ニューヨークのアメリカン・バレエ・シアターのオフィスで行われた。)

三崎 ダンスはどのようにして始めたんですか?

シェフチェンコ 私はウクライナのオデッサで生まれました。父が1980年代にオリンピックに出場したような、体操の選手として確立した人でした。母はお芝居をしたり、音楽や歌の仕事をしていました。私の父はミュージシャンで、自分のオーケストラを持っていて、指揮をしていました。凄く芸術的でアスレティックな家族です。
父が体操の選手だったので、私は体操のためのオリンピック・スクールに入れられました。3歳の時にトレーニングを始めました。スポーツは小さい時に始めた方がいいのです。怖さを知りませんからね。まだ分からないから、何でも言われたことをやります。また、体操の世界は早くからコンクールに出場します。普通、10歳か11歳くらいからでしょうか。そして、体操選手としての寿命は短いんです。基本的に20歳くらいまでに終わります。だから凄く小さい時に始めます。
私がバレエを始めたのは、体操を習っているときでした。バレエのクラスが必須教科に入っていたんです。バレエはすべての基礎ですから。
そして、私が7歳の時に家族がアメリカのペンシルバニア州フィラデルフィアに引っ越したんです。

Christine Shevchenko. Photo: Jo Liu.

Christine Shevchenko. Photo: Jo Liu.

三崎 何故、アメリカに引っ越したんですか?

シェフチェンコ 私の祖父が既にその10年前に引っ越していたんです。当時、ゴルバチョフがソヴィエト連邦の書記長になって、ウクライナがロシアから離脱しました。ちょっと不安定で怖い時期でした。母がウクライナに住み続けていいのかどうか心配して、祖父が既にアメリカに居たので、移住したほうがいいと決心したんです。
アメリカに来てみると、良い体操の学校はすべて西海岸にあると分かりました。それで、私はバレエのほうに行くことにしたんです。既にバレエに慣れ親しんでいたし、好きでしたから。8歳の時にペンシルバニア・バレエのロック・スクール(Rock School)に入ってトレーニングを始めました。ありがたいことに、そこには素晴らしいロシア人の先生がたくさんいました。14歳になると、この学校からコンクールに出場するようになりました。モスクワ国際コンクールではゴールドメダルを取り、ミシシッピー州のジャクソンで行われたアメリカ国際バレエコンクールでは銅メダルを取りました。本当にこの学校からはいろんなコンクールに出場させてもらって、世界的に踊りを見てもらう機会を得ました。

三崎 ペンシルバニアでロシア人の先生に習ったということですが、やはりロシア人の先生が良かったのですか?

シェフチェンコ ワガノワ・テクニックでしたからね。ワガノワは世界でも最も優れたテクニックの一つです。ウクライナで初めてトレーニングを受けたのがこのテクニックでしたから、そのまま続けたんです。

Christine Shevchenko and Calvin Royal III in Piano Concerto #1. Photo: Rosalie O'Connor.

Christine Shevchenko and Calvin Royal III in Piano Concerto #1. Photo: Rosalie O'Connor.

三崎 なるほど。それで、コンクールを総なめしたわけですが、それからJKOスクール(ABTの養成校)に行ったんですか。

シェフチェンコ いえ、ペンシルバニアのロック・スクールに17歳までいました。17歳の時にABTのオーディションを受けました。7月で夏でしたが、カンパニーはリンカーンセンターでの公演の真っ最中でした。劇場でのカンパニー・クラスを取らせてもらって、それが私のオーディションでした。2、3日後にスタジオ・カンパニー(the Studio Company/JKOスクールのカンパニーで、ABTのセカンドカンパニー)に受け入れられました。

三崎 では、まずスタジオ・カンパニーで踊って、それからABTに入団したんですね。

シェフチェンコ そうです。

三崎 トレーニング中、何か苦労した経験はありましたか。

シェフチェンコ バレエは難しい! それに尽きます。毎日大変だし、根性が要ります。一生懸命練習して、コミットしないといけません。いっぱいダメな日もあれば、良い日もたくさんあります。このゴールを達成するには、物凄く強くなければならないと思います。凄くたいへんだけど、同時にやりがいもあります。何かを成し遂げた時、本当に報われたと感じます。例えば、コンクールなんかは本当にストレスが溜まります。モスクワでは、たった2週間くらいの間に世界中から何百人ものダンサーが集まります。そして、舞台に出て自分のベストを踊るのは一回だけしかチャンスが与えられません。凄いストレスです。
アメリカでのロシア人の先生たちは厳しかったですが、私は叱られたことはありません。私はいつも一生懸命稽古しましたから、叱る理由が無かったんです。コンクールの時は、先生たちはとても励ましてくれました。そして、コンクールもうまく行きました。雰囲気も良かったし、いつも自分のベストが出せたと思います。

三崎 それで、ABTに入団したのは、、、

シェフチェンコ 2009年だったと思います。もう7,8年になりますね。

三崎 プロのダンサーとしての毎日の生活を話してもらえませんか。

シェフチェンコ まず、毎朝のウオームアップ・クラスが10時15分に始まって、11時45分に終わります。そして正午からリハーサルが始まって、夜の7時くらいまで続きます。自分がどのバレエのどの役を踊るかによって、毎日スケジュールは変わります。ですので、ある日は7時間、ぶっ続けでリハーサルすることもあれば、たくさん休みがある日もあります。同じ日はありません。毎週5日間、火曜日から土曜日までこういうスケジュールです。公演がある時は、週に6日間仕事になります。週に1日だけ休めます。公演がある時は毎日が長いですね。10時半に始まって夜の10時、11時までですから。1日12時間労働ですね。

三崎 パフォーマンスの前には、そのリハーサルがあるんでしょう。

シェフチェンコ そうです。時には次の日の演し物のリハーサルもしますけどね。だから、記憶力が良くないといけないんです。結構たいへんです。特にカンパニーに入った時は凄くたいへんでした。最初の移行の時期は毎日が本当に長かったです。くたくたになりました。でも、だんだん慣れていきますけれど。

Christine Shevchenko as the Lilac Fairy in The Sleeping Beauty. Photo: Rosalie O'Connor.

Christine Shevchenko as the Lilac Fairy in The Sleeping Beauty. Photo: Rosalie O'Connor.

三崎 どうやって切り抜けたんですか。

シェフチェンコ あ〜、最初の年は本当にたいへんでしたね。毎日が長くて凄く疲れました。まだ新しいから、習うことがたくさんあって。その作品の振付を知らないから、何もかも習わないといけません。他の人はもう知ってますし。でも、一旦、習ってしまったら、自分で何をやっているか分かっているし、もう大丈夫なんですけれどね。とにかくたいへんです。コール・ドに居れば、他の人と一緒にリハーサルしないといけないし。ソロを踊るのであれば、自分でリハーサルできますけどね。でも、そういう状態に慣れてしまうと、これが当たり前になります。

三崎 ところで、ダイエットはどのように維持していますか。

シェフチェンコ 私は揚げ物や炒め物、それから非健康的なものは食べないようにするくらいです。だいたい普通に何でも食べてますね。健康的で自然食を食べるようにしています。けれども、何でもかんでもというわけではありません。一日中踊っていますから、燃焼させてしまうのは事実ですけどね。けれども休みの時は気を付けなければいけません。体重が増えないよう気を付けています。

三崎 カンパニーに入ってから、思い出深い経験というのはありますか。

シェフチェンコ 一つ思い出すのは、コール・ド・バレエに居る時でしたが、ラトマンスキー(Ratmansky)の『ピアノ・コンチェルト1番(Piano Concerto #1)』で、ディアナ・ヴィシニョーワ(Diana Vishneva)とジリアン・マーフィー(Gillian Murphy)のアンダースタディーをしていました。振付を習うだけで舞台で踊る予定はなかったのです。ところがある日、二人とも怪我をしてしまいました。で、本番1時間前になって私が踊るということが分かって、、、。1時間前。一ヵ所だけ、ちょっとあやふやなところがありましたが、作品はもう覚えていました。だから、何となく分かっていた、みたいな感じでした。けれども、とにかくその1時間でパートナーと大急ぎでリハーサルして、舞台で踊らなければなりませんでした。気が狂いそうな経験でしたね。でも、凄くうまく行きました。凄いストレスでしたが、良い業績になりました。滅茶苦茶疲れた経験でした。

三崎 でも、コンクールではいつも本番に強かったですね

シェフチェンコ そうですね。本番は強いですね。それは助けになりました。

Christine Shevchenko in the pas de trois from Swan Lake. Photo: Gene Schiavone.

Christine Shevchenko in the pas de trois from Swan Lake. Photo: Gene Schiavone.

三崎 これまでに踊った中で、印象に残っている役はありますか。

シェフチェンコ 私はラトマンスキーのバレエは全部踊っています。彼の『七つのソナタ(Seven Sonata)』は私の好きな作品です。これは私の最初の主役でもありました。ジュリー・ケント(Julie Kent)のアンダースタディーをしていたので、私も踊る機会がありました。それからさっき話した『ピアノ・コンチェルト1番(Piano Concerto #1)』。『眠れる森の美女(The Sleeping Beauty)』ではリラの精を踊りました。コンテンポラリー作品ではたくさんリードの役をやりました。
今年の春の公演では遂に古典の『ドン・キホーテ』の主役を初めて踊ることになっています。キトリを踊ります。それから、『ジゼル(Giselle)』のミルタも踊リマます。すっごく楽しみです!

三崎 キトリの役はアスレチックな難しい役ですね!

シェフチェンコ そうなんです。スタミナが必要です。凄く楽しみにしています。

三崎 将来はどんな役を踊りたいですか。

シェフチェンコ まず絶対『白鳥の湖(Swan Lake)』。それから『ジゼル(Giselle)』と『ロメオとジュリエット(Romeo and Juliet)』が好きです。これらはきっと踊りたいですね。

三崎 もしダンスを人生に選ばなかったら、何をしていたと思いますか。

シェフチェンコ 私はファッションとか、芸術的なものにはまっています。多分、ファッション・デザインとか、インテリア・デザインに行ってたんじゃないでしょうか。私は自分の部屋を飾るのが好きです。インテリア、大好き! いろんなものをアレンジしたりするのが。私の部屋はすっごくアレンジされているんですよ。カタログみたいに。多分、私たちは芸術的な生活をしていますし、家に持ち帰るものも芸術的なものじゃないと気が済まないんです。だから、インテリア・デザインはとても向いていると思います。

三崎 将来、振付けをすることは考えていますか。

シェフチェンコ ええ、多分。物凄く振付に興味があるというわけではないですが。でも、分かりませんよね。今は踊ることに集中していて、この時点では振付けている自分は見えませんね。振付は50歳や60歳になってからでもできますからね。多分、私はこの業種でやって行くと思います。コーチするとか。スクールよりは劇場に居たいですね。でなければ、全く違う職業に行くかもしれません。インテリア・デザインに行くかも。

三崎 将来、家族を持つことは考えているのでしょう? 子供さんを産んで。

シェフチェンコ もちろん、子供も家族も持ちたいです。けれども、自分自身をまずは立ち上げたいです。自分自身のバレエと言えるものを持って。家族はそれからですね。

三崎 お子さんができたら、バレエを習わせますか。

シェフチェンコ バレエですか? さあ、どうでしょう。私自身がどれだけたいへんか知ってますから、、、。一応、やらせては見ます。もし、子供たちが好きなら、もちろんやらせます。多分、まずスポーツをやらせると思いますね。とにかく芸術的でアスレチックなことは絶対やらせると思います。

三崎 今日はありがとうございました。春の公演で拝見するのを楽しみにしています。

ワールドレポート/ニューヨーク

[ライター]
三崎恵里

ページの先頭へ戻る