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ブルーシャ西村 text by BRUIXA NISHIMURA 
[2016.04.12]

"毎年恒例、スペインから直接やってくるフラメンコ・フェスティバル"

FLAMENCO FESTIVAL 2016
フラメンコフェスティバル 2016
FARRUQUITO “IMPROVISAO”  ファルキート「インプロビサーオ」

スペイン政府やアンダルシア自治政府の協賛で、スペイン本土からフラメンコのアーティストたちが世界を巡回する、毎年恒例のフラメンコ・フェスティバルが、ニューヨークで3月2日から19日まで開催されました。この組織は2001年に発足しまし、今年は第13回目となりました。「ニューヨークで最も重要なイベントの1つ」(「Newsday」)、「ニューヨークの最も大きなダンス・イベントの1つ」(「 New York Times」)と言われるほど、現在は注目されているダンス・フェエスティバルで、回を重ねた今ではチケットがソールドアウトになる演目が多いです。毎年この時期に、フラメンコ・フェスティバルを観に行くことがニューヨークで定着してきた様子です。
私は毎年、このフラメンコ・フェスティバルを楽しみにしています。今年は、今までになくフェスティバル全体がとても大きな規模になっていて、招聘された大御所ダンサーが多かったので、驚きました。ニューヨークでのフラメンコ熱が高まっていて、ニューヨーカーにも受け入れられているのですね。
著名な世界的フラメンコ・バイラオールたちの、メインのフラメンコ・ダンス公演はニューヨーク・シティ・センターで毎年行われますが、今年は4つのカンパニーが6日間に渡って出演しました。今年はこのフェスティバルがニューヨークで始まって以来、最も大きな規模となり、フラメンコが世界的な言語となりました。このフラメンコ・フェスティバルへのスポンサーが増えて、規模が大きくなったのでしょう。私はニューヨーク・シティ・センターで行われた4つのカンパニーすべての公演を観劇しました。連日、劇場は人で埋め尽くされて満員でした。

ny1604b_01.jpg (C) Luis C Ribeiro

フラメンコ・フェスティバルでは、メインの大きな劇場だけでなく、小さな劇場でもたくさん公演があります。たとえばジョーズ・パブ(Joe’s PUB)でも様々な6つのフラメンコ公演がありました。そこでは、私のスペイン人の友人でマドリッド在住のフラメンコ・バイラオール、ニーノ・デ・ロス・レィエス(Nino de los Reyes)のソロ公演が一晩ありました。「マドリッドのライジング・スター」と銘打って紹介されていました。早々にチケットがソールドアウトで、残念でした。ニーノも今後ますます、世界的に活躍することでしょう。また来年もニューヨークで出演してほしいと思います。
ニーノとは、数年前に、私が通っているタップダンス・クラスに彼が一時期通った縁、でクラスメイトとして知り合いました。以前にも書きましたフアン・デ・フアンも同様で、スペイン人のフラメンコ・バイラオールがステップの研究と開発のため、ニューヨークのタップダンス・クラス(タップの中でも特にリズムタップ、ファンクタップ)を受けに通う場合があります。面白い試みで、勉強熱心ですね。私がスペインに住んでいたこととタップダンスをやっていることで、スペイン人のフラメンコ・バイラオールの友人が多い環境なので、これからも重要なフラメンコ公演の取材を続けていこうと思います。

現代スペインのフラメンコを代表するファルーコ一族、ロマの家系の伝統を受け継ぐ純粋なフラメンコ

3月10日、11日に、ニューヨーク・シティ・センターでファルキートの「インプロビサーオ」の公演がありました。私が見たのは、10日の公演です。ダンサーの主役は1人で、ほとんどソロで踊り、ゲスト・バイラオーラとして女性のヘマ・モネオが少し出演しました。インプロビサーオというのはアンダルシア地方の方言(アンダルス)で、スペイン語はインプロビサード、即興のことです。作品タイトルに標準語ではなくアンダルスを使用し、自身のルーツとセビージャ出身であることを前面に押し出しています。休憩なしで、1時間半ノンストップでした。
ギターとトケは2名(ホセ・ガルヴェス、ロマン・ビセンティ)、パーカッションはエル・ポリート、カンテは4名(エンカルナ・アニーリョ、ペペ・デ・プーラ、マリ・ヴィサラガ、アントニオ・スニガ)です。

ny1604b_02.jpg (C) Luis C Ribeiro

“ファルキート”と名乗っているフアン・マヌエル・フェルナンデス・モントーヤは、1982年セビージャ生まれ。ロマ(ヒターノ、ジプシー)の家系で、歴史的バイラオールのファルーコ(アントニオ・モントーヤ・フローレス)の孫であり、父親はカンタオールのフアン・フェルナンデス・フローレス、“エル・モレーノ”で、母親はバイラオーラのロサリオ・モントーヤ・マンサーノ、“ラ・ファルーカ”です。ファルーコ一族 “ロス・ファルーコ” は、近年では2009年2月のフラメンコ・フェスティバルに招聘されて、ファルキートの母親ラ・ファルーカと弟ファルーコたちが出演していたのを見ました。その時も、すさまじい迫力で圧倒されたことを覚えています。(その時にはファルキートは出演していませんでした)
今回はファルキートのソロ公演です。5歳で祖父ファルーコの作品「フラメンコ・プーロ」に出演し、ブロードウェイ・デビューをしました。8歳でマドリッドのサラ・サンブラで踊り、12歳で祖父ファルーコと共にカルロス・サウラ監督の映画『フラメンコ』に出演して、世界的に知られるようになりました。
1997年に祖父ファルーコが亡くなった後は、15歳でファルーコ一族の長となって重い責を背負い、リーダーとして舞踏団を率いて世界中で公演を行いました。ファルキートは、祖父ファルーコの伝統、情熱、芸術、技術を忠実に受け継いで表現し続けています。彼はフラメンコの起源と言われている本物のロマの血統を継いでいるので、生粋のヒターノの伝統である本物の表現、サパテアードを見せています。

ny1604b_03.jpg (C) Luis C Ribeiro

ファルキートの踊りは、すさまじい迫力で、力強いゆるぎない自信が表れていました。踊りの技術的な実力は高く、そのレベルは世界一流のバイラオールで、有無を言わさぬほど圧巻でした。現代のスペインを代表するバイラオールです。
タイトルのように振付は即興なのでしょう。カンテ、ギター、パーカッションの音と雰囲気に合わせて、即興でサパテアードと踊りを加えて盛り上げていったようです。
途中、ところどころに長くカンテやギターの生演奏をはさんでいて、その間、ファルキートは引っ込んでいましたが、この公演全体を通して、ファルキートは長い間舞台に出ていて踊り続けていました。女性バイラオーラとペアで踊るところもありました。2人で同じ振付を踊ってから、真ん中で止まり、だんだんとサパテアードが激しくなっていきました。
ファルキートとカンテのソロが順番にからみあい、パルマとピト、サパテアードの音だけが交互に盛り上がっていきました。サパテアードの音はリズムのコンパスがとても正確で、さすがです。次第にファルキートの踊りが激しくなっていき、すごい大きな音で速打ちのサパテアードになりました。音の強弱が強くて、静かな音から大きくて激しい音まで、バラエティに富んでいました。一番大きな音の時は、全身の力を込めて足をたたきつけるようにして巨大な音を出していました。見ているだけで、足腰を痛めそうだなと心配になるくらい足を床にたたきつけていましたが、ファルキートの場合はとても姿勢が良いので、腰まで痛めずに済んでいるようでした。
だんだん盛り上がってくると、ファルキートはカンテ4人に囲まれて、順番にカンテのソロに合わせてファルキートのダンスバトルになりました。エネルギッシュに、激しい踊りのバトルを繰り広げていました。ロマの伝統で伝わる本物の純粋なフラメンコ、音とダンスのサパテアードのバトル、土着的なダンスバトルが特徴的です。上半身の手などの振付が少なくて、ほぼ全神経をサパテアードの音に集中していいます。時々、ダンサーを囲んでいる周りが、ハレオを入れて盛り上げていました。
毎回、バイレの始まりはとても静かなのですが、だんだんと激しく早くなっていって、速打ちになっていきます。激しい速打ちですごい迫力で圧倒して、盛り上がった後、クライマックスでバシッと踊りを終えると、「どうだ!」と言わんばかりに客席に向かってしばらくじっと仁王立ちのようにしていて、その間は客席からものすごい拍手に包まれて盛り上がりました。
最後にファルキートは出ずっぱりで、15分間以上ソロで踊り続けました。すごかったです。その時はミュージシャンたち、カンタオールたち全員総出でしたが、だんだんにみんな歌いながら演奏しながら舞台から去っていき、最後にファルキートもその後に続いて踊りながら去っていきました。この終わり方、舞台からの去り方が名残惜しい感じがして、とても印象に残りました。面白かったです。

ny1604b_04.jpg (C) Luis C Ribeiro

再びファルキートが舞台に出てきて、少し英語も混ぜて観客に挨拶をしていました。5歳の時に一緒に連れられてきた、祖父ファルーコのニューヨークのブロードウェイの舞台について、祖父が話してくれたことの思い出を少し語りました。「お前もいつかまた、ニューヨークに行くんだぞ」などと言われたことなど。「その祖父と話していたニューヨークの舞台がまた実現して嬉しいです。私はすぐまたここに戻ってきたい」と話していました。
そして、アンコールで、演奏とダンスバトルがありました。パーカッションの方も踊っていて、なかなか上手でした。ファルーコも混じって踊り、皆とても楽しそうでした。また演奏しながら踊りながら、皆、舞台から去っていきました。音楽、カンテ、ギター、バイレの全てが最高で、大満足の公演でした。
(2016年3月10日夜 ニューヨーク・シティー・センター)