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アンジェラ・加瀬 text by Angela Kase 
[2013.04.10]

ワトソン熱演! コンテンポラリー・ダンスの可能性を広げるカフカ『変身』の舞踊劇

The Royal Ballet ROH2 英国ロイヤル・バレエ 
ROH2 " The Metamorphosis " Choreographed by Arthur Pita Dance -Theatre adaptation after Franz Kafka
『変身』アーサー・ピタ振付 フランツ・カフカ原作による舞踊劇

今年1月から3月下旬にかけてロイヤル・オペラ・ハウスで行われたロイヤル・バレエのダンサー出演公演は、『くるみ割り人形』『オネーギン』「アシュトン小品集」「アポロ小品集」『不思議の国のアリス』『変身』とすべての公演チケットが完売となり、英国バレエ・ファンは当日券やリターン・チケットの入手に奔走した。中でも3月16日〜23日まで中劇場リンバリー・スタジオ・シアターで7日間8公演されたエドワード・ワトソン主演の舞踊劇『変身』は、人気作であるにもかかわらず8公演と公演回数が少なく中劇場での公演のため、座席数に限りがあり、また当日券の販売もないことからチケット入手が絶望視され一部のファンをパニックに陥れた。
「布地の営業マンとして毎日真面目に働き、両親と妹を養い、両親の事業の失敗による借金の返済に追われる青年グレゴール・サムザが、ある日目が覚めると巨大な虫になっていた」というフランツ・カフカ原作の小説を基に、コンテンポラリー・ダンスと舞台演劇を見事なまでに融合させたアーサー・ピタ振付の『変身』は、2011年9月にリンバリー・スタジオ・シアターで世界初演されて以来たいへんな話題を呼び、初演時にも瞬く間にチケットが完売となった。各種メディアに舞台評が出てトレンドに敏感なダンス・ファンが「観たい!」と思った頃には、時遅しでチケットが全く手に入らない状態で、早くからこの公演のチケットを入手し作品を観てこの舞踊劇の虜になったバレエ・ファンの「もう一度観たい。」という思いも空しく、舞台は毎晩大入りのまま千秋楽を迎えた。

london1304_01.jpg Photo/ Angela Kase

世界初演時にグレゴールと虫を主演したのはロイヤル・バレエのプリンシパル、エドワード・ワトソン、妹のグレーテは当時ロイヤル・バレエ・スクールの生徒であったローラ・デイが踊り、その他の役には現代ダンス畑出身のダンサーたちが抜擢され活躍した。群舞の3人は1人が3〜4役をこなし、総勢8名という小グループでカフカの世界を見事なまでに体現。その結果この作品は英批評家賞の最優秀コンテンポラリー・ダンス作品賞とサウス・バンク・スカイ・アーツ・アワードの作品賞に輝き、主演のエドワード・ワトソンはローレンス・オリビエ賞を受賞している。
アーサー・ピタは南アフリカ共和国出身のポルトガル人で、91年にロンドンにダンス留学に来た後、イギリスを拠点に活動する若手振付家。今回の再演に先立って3月13日に中劇場で行われたイベント「インサイト」でピタは、過去にワトソンがピタ振付作品を観た後「自分のために作品を振付けてくれないか?」と打診してきた事こと、直後に2人が「近い将来コラボレーションできたら良いね。」と話し合っていると、会場のスケジュールの関係でとんとん拍子に話が進み、2011年秋にこの作品を初演することになったと語った。「カフカの『変身』を基にした作品だが、主演ダンサーには虫の着ぐるみを着せるつもりはない。」という振付家のアイディアから、ワトソンは肉体のみで虫への変身と虫になった後の姿を表現しなければならなかった。フリーペーパーのメトロ誌のインタビューでワトソンは「変身後の姿を表現するに当たって、人間として思考することを止めた。」と語り、またイベントでは「虫の足の動きを自らの指先やつま先の表現に生かした。」と語っている。
中劇場リンバリーはオーケストラ・ピットがなく、客席がダンサーの目の前に迫っている。またこの作品の上演に当たって客席のレイアウトを変え、舞台の前のみならず後ろにも4列と少ないながらも雛壇のように客席を設置したため、ダンサーは前後から客席の目にされさらされる。ワトソンはメトロ誌のインタビューで「ほとんど裸体に近い姿で観客の目にさらされる恐怖」についても語っている。
虫に変身したグレゴールは口から茶色い液体を吐き、グレゴールの変身を助ける「夢の存在」たちにも同じく茶色いヌメヌメした液を身体に塗られ、見るもおぞましい姿となる。一種独特の香りを放つこの液体の正体はシロップの一種であるトリアクルに水やその他の液体を混ぜた物であるという。振付家のピタは「インサイト」のインタビューで、虫になったグレゴールが吐く液体については「原作にも度々登場する」と説明、また「40歳という若さで(肺結核のため)病没したカフカ本人が晩年度々喀血した状態と重ね合わせた」とも語っている
原作は100年前の1912年に執筆、15年に出版されているが、この舞踊劇の舞台は1960年代のチェコであろうか? 中折帽をかぶり仕立ての良いスーツ姿で蒸気機関車に乗って布地の出張営業に赴く主人公グレゴール、深紅の口紅の駅のコーヒー売り、グレゴールの家の白黒テレビ、レコードや電蓄などは、観る者の胸を郷愁とチェコ情緒でいっぱいにする。作品は舞台とする年代を除けば、ほぼ原作に忠実である。唯一相違があるとすれば、原作で「ヴァイオリンを奏でる」という設定の妹グレーテが、この舞踊劇では「バレエを習っている」ことで、ワトソンが見せる現代ダンスのムーブメントと妹のクラシック・バレエのスタイルが、作品内で印象的な対比を見せ、観客の目を楽しませている。

london1304_02.jpg Photo/ Angela Kase london1304_03.jpg Photo/ Angela Kase

今回の再演は初演時とほとんど同じ配役で行われた。大きな配役変更としてはグレゴールの父が、アントン・スキツィピシエルからニール・レイノルズになったこと、初演で妹グレーテを演じ踊ったローラ・デイが現在バーミンガム・ロイヤル・バレエ(BRB)の団員となり、『アラジン』の公演で忙しく3月17、18日の2公演以外出演できないことから、BRBの付属校エルムハースト・スクールのコーリー・アナンが6公演に出演した。
主演のワトソンは、彼の個性である男性離れした柔軟な肉体と長い四肢、それらを自由自在に蠢かす身体能力を奮い、また冒頭では怜悧な営業マン、その後は虫になったがために家族に疎まれ、父の投げたリンゴによって怪我を負う哀れで傷つき易い生き物の演じ分けが白眉で、初演以来この作品に魅せられ再度リンバリーを訪れたファンの期待を裏切らなかった。美貌の駅のコーヒー売りと冴えない中年の掃除婦という対極の存在の女性2人とヒゲの宿泊者という男役、またコンテンポラリー・ダンスのダンサーとして「夢の存在」を踊ったベッティーナ・カルピのそれぞれの役への豹変ぶりにも、ただただ脱帽の思いである。今回ゲネプロ撮影と初日を含む6公演に出演し、妹グレーテを演じたコーリー・アナンは実年齢のまま作品に入り込み魅力があったが、個人的には、蒼白で退廃的な容姿と激しい演舞でカフカの世界がたいへんよく似合い、ティーンながらに作品を大いに引き締めたローラ・デイを今回も観てみたかった。
「インサイト」イベントの質疑応答で「近い将来、国内ツアーを行う予定はありますか?」と尋ねられたピタは、「可能性は大いにある。」と語り、この作品のファンを大いに喜ばせている。コンテンポラリー・ダンスの可能性を広げ、その未来を明るいものにした、この21世紀の異色作に再会する日が今から待ち遠しい。
(3月16日 ロイヤル・オペラ・ハウス リンバリー・スタジオ・シアター 同日午後の公開ドレス・リハーサルを撮影)

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写真に登場するダンサー
グレゴール・サムザ:エドワード・ワトソン
グレーテ・サムザ 妹:コーリー・アナン
サムザ夫人 母:ニーナ・ゴールドマン
サムザ氏 父:ニール・レイノルズ
コーヒー売り・掃除婦・夢の存在・ヒゲの宿泊者:ベッティーナ・カルピ
汽車の車掌・夢の存在・ヒゲの宿泊者:アミール・ジャイルズ
会社の男・夢の存在・ヒゲの宿泊:グレイグ・クック