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アンジェラ・加瀬 text by Angela Kase 
[2011.04.11]

来日直前!BRBプリンシパル・インタビュー:ツァオ・チー

バーミンガム・ロイヤル・バレエ団プリンシパル・ダンサー
曹 馳 ツァオ・チー

1978年3月22日中国、上海に生まれ、幼少時から北京で育つ。 
身長176cm 体重68kg 血液型 A型 干支 午年 英国籍
94年 ローザンヌ・バレエ・コンクール キャッシュ・プライズ受賞
春より中国政府派遣の交換留学生としてロイヤル・バレエ・スクールへ
95年 ロイヤル・バレエ・スクール卒 同年BRBに入団
98年 ヴァルナ国際バレエコンクールで金賞受賞
02年 秋よりプリンシパル
10年 夏映画『小さな村の小さなダンサー』が日本で公開され脚光を浴びる

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幼い頃、北京で過ごした頃のことを教えてください。
「父は上海出身のバレエ・ダンサー、母は山西省出身の中国の伝統楽器の演奏家です。僕は上海で生まれましたが、母が北京の音楽学校で教師の職を得たことから小さい頃に北京に移り、イギリスに留学するまで北京で育ちました。」
「バレエを始めたのは4, 5歳の時です。父はバレエ教師として北京舞踊学校で教えていました。当時中国では皆そうしていたのですが、両親は僕を保母さんに預けたりすることなく、学校に連れて行きました。ですから僕は随分と小さな頃から父の生徒である15, 6歳のバレエ・ダンサーの卵たちに優しくしてもらったり、面倒を見てもらっていました。物心ついた時にはいつもバレエ・スタジオで教える父や、汗を流す生徒さんたちを見ていましたから、僕がバレエの道に進んだのは、ごく当たり前のことでした。」

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「でも子供というのは色々なことに興味を持つでしょう? 僕自身身体を動かすことが好きだし得意でしたから、ジェット・リー主演の映画『少林寺』(82年)を観た後は、少林寺拳法を習いたくなってしまいオーディションを受けました。でも習い始めるには遅すぎると言われて諦めたんです。84年のロサンゼルス・オリンピックで中国男子体操の李寧(リー・ニン)が6個もメダルを取ると、僕をはじめ中国全土の男子は皆、体操選手に憧れ、僕も体操選手養成学校のオーディションを受けましたが、その場で体操選手になるには腕の関節が柔らかすぎて向いていないことがわかり、この夢も諦めなければなりませんでした。」

「北京舞踊学校に入学したのは9歳半の時です。普通は10歳〜11歳の子が入学しますが、僕は1年早く学び始めました。これは父の方針で、僕は小学校にも普通の子たちより1年早く入学して勉強しました。子供の頃も今でも憧れのダンサーはバリシニコフです。父はヌレエフに招かれて1年間パリ・オペラ座で研修し、研修が終わるとたくさんのバレエ・ビデオを持って帰ってきました。その中にバリシニコフが踊る『ドン・キホーテ』があってミーシャに心を奪われてしまったんです。」
「学校では王家鸿,欧鹿,刘炳现先生たちの下で5年半ロシア式バレエ教育を受けました。学校の時間割は映画『小さな村の小さなダンサー』とほとんど同じで、6時起床、45分校庭を走ってスタミナを養い、ウォームアップした後、午前に4つのクラスを受け、正午に昼食を取った後、14時までお昼寝をしてリラックス。午後にまた4クラス。夕食後に1時間半バレエの自己練か一般教科の復習や予習をして22時に消灯というものでした。バレエ学校には男女各15人入学し、上達しない者は残れません。僕がロイヤル・バレエ・スクール(RBS)に留学する直前の6年生の時には15人入学した男子が、たったの6人になっていました。そして6人いた同級生たちもその後、皆バレエの道を諦め、今も踊っているのは僕1人なんです。」

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女優のチャン・ツィーも同じ学校の生徒さんですね。ご存知でしたか。
「ええ、知っていましたよ。僕より3学年下の生徒でした。バレエではなく伝統舞踊を学んでいました。容姿も良く才能にも恵まれていましたから卒業しましたが、本人は踊り手になるより女優になることを選んだようです。」
「僕は03年の秋から交換留学生としてRBSに留学することが決まっていました。ところが急に中国を代表して翌年のローザンヌ・コンクールに出場することになったんです。ローザンヌでは『ドン・キホーテ』と学校の先生振付のフリー・ヴァリエーションを踊り、キャッシュ・プライズを頂きました。ですから僕の場合RBS留学はローザンヌとは何ら関係はないのです。ローザンヌ出場直後の2月に当初の予定より半年遅れでロンドンに旅立ちました。」

中国や日本でスパルタ教育を受けたティーンには欧米のバレエ学校でのレッスン量は物足りなく感じるものですが、いかがでしたか。
「確かにRBSのカリキュラムや生徒たちには驚きました。中国では皆スパルタ教育を受けながらも、個々の生徒たちが<もっと上達したい>と夜遅くまで自己練をしていたのに、イギリスの生徒たちには、そういった闘志が欠如しているように見えました。また北京でロシア式のバレエ教育を受け、バリシニコフや(ウラジミール)ワシリエフが見せる華やかな男性ソロを踊ることに憧れていた僕には、ロイヤル・バレエ団のスタイルというのも、ソロよりもパ・ド・ドゥ中心に感じられ、目につまらなく映りました。僕はとてもがっかりしてしまい1年目の終わりには北京に帰りたいとすら思いました。」
「でも2年生になって英語にも慣れ、よく周りを見回してみると、実は僕の同級生には才能の有る男子がたくさんいることに気がつきました。エドワード・ワトソン(現RBプリンシパル)がいましたし、マシュー・ディブル(小柄で技巧に優れたダンサー。RBからKバレエ カンパニーに移籍し、一時日本で活躍した)や、今モナコ公国モンテカルロ・バレエで踊っているアシエル・ウリアゲレカもいて、彼らから学ぶべきことがたくさんあると気づいたのでした。北京での僕はいつもクラスでトップでしたから、それまでは自分より優れた生徒に憧れたり、他から学ぶといったチャンスが一切なかったわけです。」

「それにバレエ団にはテディ(熊川哲也)がいました。テディについては北京時代に、彼のローザンヌの『ドン・キホーテ』の映像を観ていました。僕自身は身体や関節が柔軟なので(ふわりとした)軽い跳躍を見せるタイプのダンサーですが、テディは身体に見えないバネを隠し持っているようでほとんどプレパレーションなしに、まるでゴムまりのような高い跳躍ができる。RBS時代には、当時22, 3歳のテディの「ブロンズ・アイドル」や『ドン・キホーテ』を観るため随分オペラ・ハウスに通い、その度に人間業とは思えない彼のジャンプに圧倒されていました。最近はイワン・ワシリエフがすごいといわれていますが、僕自身は昔も今もテディ以上のジャンプを見せる男性ダンサーはいないと信じていて、以前NYで舞台を共にした時に、本人にそう伝えずにはいられなかったほどでした。」

「BRBには95年に入団しました。デイヴィッド(ビントレー)が芸術監督に就任した年で、佐久間奈緒や僕は、彼が最初に自分の目で選んでバレエ団に入団させたダンサーでした。実を言うとバレエ団には4, 5年ほど馴染めませんでした。僕は古典から、ブルノンヴィル、バランシン、現代作品と何でも器用に踊りこなせるタイプの踊り手ですが、自分自身は古典作品が好きなのに対し、当時のBRBはデイヴィッド作品がほとんどでしたから。」
「98年にヴァルナ国際バレエ・コンクールに出たのは、純粋に古典作品を踊るチャンスや経験が欲しくてのことでした。ツアー・カンパニーのBRBとの活動を続けながらコンクールの準備をするのは大変でしたが、第1ラウンドでは『ラ・バヤデール』と『ジゼル』、第2では『リーズの結婚』と『ドン・キホーテ』、第3ラウンドでは『白鳥の湖』と『パリの』」、第4ラウンドでは当時バレエ団にいたユーリ・ズーコフ振付の現代作品を2作品踊るよう準備を重ね、金賞を頂いて帰ってきました。僕にとってはメダルより、たくさんの古典作品を踊る経験を得たことのほうが嬉しかったですね。」

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BRBでの毎日のスケジュールについて教えてください。
「毎朝9時にはスタジオ入りして、まずストレッチをします。ヨガのような動きのストレッチで身体を目覚めさた後、10時半から11時45分まで団員クラスを受け、その後にリハーサルを行い、夜舞台がある日は、舞台をつとめてから帰宅します。僕の場合、生まれつき身体や関節が柔軟すぎるので、昔も今も毎日人並み以上のトレーニングをしないと、ダンサーとしての身体を保てないのです。ですからストレッチやいくつかのトレーニングは欠かせないし、常に他のダンサーたちより多くの時間をスタジオで過ごさなければなりません。」
「僕は常々、バレエの男性舞踊手には、様々な<美>へのこだわりが必要不可欠であると考えています。様々な<美>とは、<美しい容姿>や<美しいライン>、アダージォを踊るにしても、(旋回技で)回るにしても、やはり<美しくある事>が最も大切だと思うのです。個人的に小手先だけのテクニックで観客の目を欺くようなトリックを使うのは嫌いで、子供の頃から今に至るまでバリシニコフとフェルナンド・ブフォネスに憧れ、踊り手として常に彼らのようでありたいと願っています。」

バレエ団で共演することの多い相手役の佐久間奈緒とアンブラ・ヴァッロについて教えてください。
「佐久間奈緒とは入団してから共演回数も最も多く、ダンサーとしてのお互いを知りつくしていますから、以心伝心で最高の舞台をお見せすることのできる、僕にとって無二ともいえるパートナーです。僕自身はアカデミックなタイプの踊り手ですから、舞台では細部まできちんと踊らないと気がすまないのですが、アンブラ・ヴァッロが相手役の場合、彼女の情熱的な演技に刺激され、演技者として触発されることが多いですね。」

日本公演では『眠れる森の美女』とアシュトンの『真夏の夜の夢』を踊られますね。『真夏の夜の夢』はアントニー・ダウエルさんから直々にご指導を受けたとお聞きしましたが。
「偶然ダウエルさんも僕も(ダンサーの中では珍しい)左回りなんですよ。オベロンは左回りのダウエルさん用に振付られた役ですから、右回りのダンサーに指導する場合はいろいろ手直ししなければなりません。バレエ団では僕だけが日本のお客様にアシュトン振付の正真正銘のオリジナル版をお見せできますので、是非劇場にお立ち寄りください。」

日本ではどんなことをしてみたいですか。
「ダンサーとして日本の皆さんに僕が踊りえる最高の舞台をお約束したいと思います。」

踊ってみたいバレエ作品は何ですか。
「これまで踊る機会のなかった『ラ・バヤデール』のソロルや『薔薇の精』『ゼンツァーノの花祭』などです。」

世界の有名バレリーナで共演したい相手は誰ですか。
「映画に出演して以来、海外での客演のお話をたくさん頂くようになりました。僕との共演をご希望される方とのお仕事は大歓迎です。でもやはり僕が世界のバレリーナの中で誰か一人を指名するとすれば、佐久間奈緒を選ぶでしょうね。彼女とならパ・ド・ドゥでもソロでも最高の舞台をお見せ出来ますから。」

好きなバレエ作品、好きな役柄は何ですか。
「『ジゼル』のアルブレヒト、『白鳥の湖』のジークフリートです。」

お気に入りのビントレー振付作品は何ですか。
「観客として観るなら『ホブソンの選択』。ダンサーとして踊るのなら『エドワード2世』の準主役ギャベストン(07年11月号参照)」

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どんな趣味をお持ちですか。
「ボクシングと高級腕時計のコレクションです。ボクシングは10年前に当時のBRBのダンサーでボクシングを趣味にしていたセルジュ・ポベルズニック(前号の佐久間奈緒インタビュー記事の『白鳥の湖』の写真の男性)の影響で始めました。ボクシングの正式な構えは(バレエの姿勢とは正反対で)肩を前に突き出すため、ボクシング・ジムに入って正式に習うことはできません。ですからオフ・シーズンの夏に一人でシャドー・ボクシングをしたり、縄跳びをしたりといったトレーニングをしています。ボクシングは上半身の強化にとても役立っています。」
現在持っている腕時計はロレックス・ダイトナの黒と白、カルティエ・サントス、
ゼニスのクロノマスター 、集めるだけではなく美しい腕時計を鑑賞するのも大好き。」
(インタビュー撮影当日はゼニスのクロノマスターを着用していました)

心に残る映画は何ですか。
『シャイン』『ブレイブ・ハート』『ショーシャンクの空に』など
好きな音楽
「クラシックからロック、Jポップまでいろいろなジャンルの音楽が好きです。クラシックではラフマニノフのピアノ協奏曲。
ロック系ではジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトン、Jポップではミスター・チルドレンが気に入っています。ロンドン在住のロシア人ヴァイオリニスト、ネイサン・メルシャンを尊敬しています。」

故郷の北京でお気に入りの場所はどこですか。
「北京は近代化が進んで僕が子供時代に見た風景がほとんど残っていないのが残念だけれど、帰ればリラックスできる街。昔の北京の面影が残っている道端や公園、緑の多い郊外にある曹家の新しい家にいるのが好きです。」

ロンドンでお気に入りのエリアはどこですか。
「ボンド・ストリートのバーリントン・アーケード。ロンドン公演中は、アーケード内のお店のウィンドーに飾られている腕時計を見に行っている。でも基本的にロンドンは人が多すぎて苦手。」 

バーミンガムでお気に入りの場所は。
「自分の家」(バーミンガム・ニューストリート駅近くのマンション。9年前に購入)

コーヒー党ですか。紅茶派ですか。
「(コーヒーか紅茶の2択なら)コーヒー。濃いエスプレッソからミルクをたっぷり入れたコーヒーまで。食事内容や気分に合わせて、ウーロンやプーアールなどの中国茶や日本茶も飲みます。」

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好きな食べ物は何ですか。
「シーフード料理が大好きです。日本料理は何でも好き。日本人の友だちや知り合いの家に招待されて食べた家庭料理で大の日本食ファンになってしまった。お刺身、鍋、海鮮ラーメン、サラダなど何でも美味しかったから。
バレエ団には日本人の仲間がたくさんいたので、6年ぐらい前までは友だち経由で日本文化にひたっていた。録画版「SMAP SMAP」を毎エピソード欠かさず見たり、日本のTVドラマを見たり、日本のファッション雑誌の影響で茶髪にしていた時もありました。」

バレエ団の男性で一番お洒落と言われている曹馳のお気に入りのファッションというと。
「デザイナーやブランドより、自分に似合い着心地の良い服を選んでいます。」
(この日はマリテ・フランソワ・ジルボーの黒いジャケットを着用でした。)

お気に入りのアフターシェイブは。
「プラダ」

日本の読者への直筆メッセージ
「日本のファンの皆さんへ 5月の日本公演で皆さんにお目にかかれることを楽しみにしています。それまでどうかお元気でお過ごしください。曹 馳」

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