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守屋光嗣 text by Koji Moriya 
[2006.01.10]

『ピノッキオ』どうして嘘をついてはいけないの?

  12月16日にロイヤル・オペラ・ハウスの小劇場、リンベリー・シアターで開幕した『ピノッキオ』。ロイヤル・バレエのゲスト・プリンシパル・キャラク ター・アーティストのウィリアム・タケットによる新作。リンベリーでは、2003年、2004年と彼の『ザ・ウィンド・イン・ザ・ウィロウ』をクリスマ ス・シーズンに上演していて、タケットの作品はこの時季になくてはならない感じになりつつあるようだ。タケットは演出と振付。脚本がPhil Porter、音楽Martin Ward、セット・デザインThe Quay Brothers、コスチュームはNicky Gilibrand。聞いたところでは、脚本と音楽の制作が始まったのが、今年の5月くらいで、プロダクションが動き始めたのは9月からとのことだ。
 台詞あり、歌あり(ソプラノとテナーも舞台に参加)で厳密にはバレエでも、ダンス一辺倒でもないが、こんな思いがけない素晴らしい出会いが有るから、ロイヤル・バレエ通いはやめられない。家路に向かう足取りが浮き浮きと、そして心がぽかぽかしてくる作品だった。

ふだん余り聞くことのないダンサーの声を聞くと、ちょっと幻滅することがあるが、ピノッキオを演じたマシュー・ハート、ジェペットのルーク・ヘイドン、 そしてストロンボリを演じたウィル・ケンプの台詞回しは、舞台の雰囲気から外れることなく、さらには、観る側の心をがっちり捉えるほどの上手さだった。ピ ノッキオの声はどこか能天気な、でもしっかり見守ってあげたい、と。ピノッキオを探し回るジェペットの声は、寂しさと子を慈しむ親の暖かさに満ちて。傑作 はストロンボリ。本性はロシア人なのに、無理して英語を喋りながら、さらに実はイタリア人なんだよ、と思わせようとしている感じがした。彼が素っ頓狂な声 で、「ベリーーーッシマ」とか「ファンタスティーーーコ」とか叫ぶたびに会場中から陽気な笑い声があがっていた。


さらにこの3人の素晴らしさは、当然ながら踊り。3人とも、現在はロイヤル・バレエを離れているが、かつてはロイヤル・バレエ・スクールで学び、ロイヤ ルの舞台で演じていたダンサー仲間。ピノッキオはまるで人形のように、ジェペットは彼の心の糧である「息子」の無事だけを祈る慈愛に満ちた父親に。そして ストロンボリは、かつて親たちが子供たちにいい付けを守らせるために聞かせた「人攫い」は、こうであったに違いないと思わずにはいられない怪しさを撒き散 らす、そんな踊りを披露していた。上演前に「サンデー・タイムズ」紙に掲載されたインタヴューで、ハートは、「昔は(ロイヤル・バレエは)居心地が良くな かったけど、今回、受け入れてもらえた気分だよ」、とのこと。

リンベリー・スタジオは奥行きがさほどないので、複雑な舞台セットを組むことは難しいと思う。今回の舞台セットは、布と、平面の組み合わせ、特に布の上 手な使い方がダンサーの動きとうまく組み合わさって、実際のステージの大きさを感じさせない躍動感が感じられた。
セットでとりわけ印象深かったのが、第2幕でストロンボリが子供たちをさらって来て、ロバにしてしまう場面。奥の壁一面に、人形が壁に埋め込まれた感じ のピエロが描かれていた。ピエロの腕だけが動かせるようになっていて、その腕の奇妙な動きと、どこからともなく背後からそっと忍び寄り、にっと笑ったピエ ロの顔があわさると、大人ですら、ゾクッと感じたことだろう。「タイム・アウト」誌のインタヴューで、タケットは、原作が語る「道徳観」を持ち込むことを 忘れなかった、と語っている。


物語のもう一つの重要な役、ブルー・フェアリーはスクーターに乗って舞台に現われ、ジェペットとピノッキオを呑み込む鯨の憎めない表情、パペット・ショ ウのいかがわしさ。悪人ぶりが増幅されるたびにますます膨らむストロンボリの太鼓腹。そして、嘘を重ねれば重ねるほど伸びるピノッキオの鼻。細かい所まで よく練り上げられた舞台だった。
笑いあり、ちょっと背筋をしゃんとせざろう得ない緊迫する場面あり。そして、最後。自分がついた嘘を認め反省したピノッキオは、ブルー・フェアリーに よって人形ではなくなる。最後のピノッキオとジェペットの踊りは、シンプルながらも、物語のピークに相応しい感動的なシーンだった。カーテン・コールも一 ひねり効いていて、新しい冬の定番になっても不思議ではない。ちなみに、「タイム・アウト」誌によれば、2006年の冬は、『ザ・ウィンド・イン・ザ・ ウィロウ』の再演が予定されているそうだ。