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船引怜美 text by Remi Funabiki 
[2004.09.10]

●シルヴィ・ギエム『愛と情熱の物語』特別公演キャンセルとこれから

8月8日、ROHのシルヴィ・ギエム特別公演『愛と情熱の物 語』(8月9~14日全7公演予定。昨年11月に日本で上演された『3つの愛の物語』と同プログラム)初日の前日に、衝撃的なニュースが流れました。「シ ルヴィ・ギエム、8月4日リハーサルでの左足首上部の腱を負傷により、全公演出演キャンセル」。

発表当初は7公演のうち3公演のみキャンセルとの発表でしたが、その後、医師と理学療法士の診断とシルヴィの身体を考慮した結果、全公演キャンセルが発表されました。怪我としては重傷ではないものの、少なくとも3週間の安静が必要とされと発表されています。
この異例のキャンセルに対してシルヴィは、「この公演を去年の11月から計画してきて、ROHで公演をすること、みんなのために踊ることを待ち望んでいた のに…。めったに怪我で公演をキャンセルすることなんてないのに…、このような結果になってしまって、なんと言っていいのか分からないほどショックだわ」 とROHのウェブサイトでコメントが発表されました。

公演プログラムはマクミラン『三人姉妹』(アンソニー・ダウエル、マッシモ・ムッル共演)、アシュトン『マルグリットとアルマン』(ニコラ・ル・リッ シュ、ダウエル共演)とアロンソ『カルメン組曲』。『カルメン組曲』にはシルヴィがパリ・オペラ座の新人イザベル・シアラヴォラとカール・パケットを抜擢 し、彼らのロンドンデビューも期待されていました。(『三人姉妹』で共演予定だったジョナサン・コープの怪我による降板も、RBの『オネーギン』、NY公 演とここ数ヶ月長引く話のために非常に心配されています。)
日本公演から9ヶ月、ファンが待ち望んでいた、ROHサマーシーズンの目玉公演でした。6月にはDVD発売され、さらに期待と興奮が高まっていたところに 矢のように刺さったこのニュースはロンドンの夏のバレエ界の大事件となりました。9月28日からはバレエ・ボーイズとの公演がサドラーズ・ウェルズ劇場 で、その後日本公演も予定されているので、みなの願いは唯一つ、シルヴィの完全復活です。

この幻となった公演の直前の7月31日には、インディペンデント紙にシルヴィのンタヴューが掲載されました。ロンドンデビューから16年、コンテンポラ リー作品から叙情的・情熱的な『三人姉妹』や『マルグリットとアルマン』まで、いまでは一人のダンサーとは思えないほどに様々な面で観客を魅了するシル ヴィ。誰もが「バレエ界の女王様」と認めています。その一因には、どうやらシルヴィの人間性、性格があるようです…。

19歳でパリ・オペラ座の頂点エトワールに登りつめたシルヴィ、そこまで駈け昇るのにはどんな野望をもっていたのでしょうか。
「野望?そんなものまったく。バレリーナになりたいって夢見たことなんて一度もないわ。」と一言。シルヴィを駆り立てたものは唯一つ、「踊ること、動くこ とが楽しい」ということです。とてもシンプルな答えにどこか拍子抜けをしてしまいますが、その確固たる信念が彼女の根底にあるのでしょう。ダンスに対する 純粋な気持ちが何よりも彼女を絶えず変えていく原動力で、他のアーティストとは違った純度を持つものなのではないか、と思ったりします。
これまでのシルヴィの公演や活動をみていて、一番先に思うことは<なぜ、彼女は常に変わり(成長、進化、変化…)続けるのか?>と言うことかもしれませ ん。<ここまで極めている人がどうすれば変わり続けることが出来るのだろう?>と素朴に思うのです。その答えは、どこまでも続く彼女の探究心のようです。 オペラ座の階級社会を駆け上がっていったのも…「ただひたすら興味があったから、なにか切り開いていくような。次に何があるのだろう?って、ひたすら上に 登っていくのよ」と。終わりのない彼女のダンスと自分に対する追求は、彼女の今までの経歴そのものを語っているように思います。

パリ・オペラ座からRBへ、演劇的な役柄への挑戦。フォーサイス、エックからラッセル・マリファント、アクラム・カーンへと、コンテンポラリー・バレエか らコンテンポラリー・ダンスへ。他にもシルヴィがやってのけて世間を“あっ”と言わせたことは数多くあります(フォーサイスの『イン・ザ・ミドゥル・サム ホワット・エレヴェイティドゥ』で見せつけた驚異的身体能力、『グラン・パ・クラシック』のバランスの長さや黒チュチュと赤毛の特別衣裳…)。絶えず何か にチャレンジしていくことに対しても、「何か新しいこと、普通ではないことを成し遂げたときは、とっても気持ちいいわ。自分を超えたって思うの。」という 答えがすべての答えかもしれません。
『マルグリットとアルマン』への挑戦、シルヴィ・プロダクションの『ジゼル』、マクミラン作品における独自の新解釈(ジュリエットや『三人姉妹』のマー シャ)など。数年前のジュリエットに納得できなかった私も、毎回観にいってしまうのは、<彼女なら、なにか変わっているはず、なにかやってくれるは ず。…>と確信できるからです。

現在、シルヴィにとって新しいチャレンジは、ラッセル・マリファント作品。これまでに様々なスタイルの振付をこなしてきたシルヴィですが、「まったくゼロ から始まりだったわ。一つ一つ学んでいかなくてはいけなかったの、とっても楽しいけど、でもかなり痛いのよ…。床に転がったり、膝とか、肩とか…」と。ス タイルの違い(カポエラやコンタクトインプロヴァイゼーションの要素の強い)に対応するのはシルヴィでも苦労したようです。しかし、共演しているバレエ・ ボーイズのウィリアム・トレビット(ビリー)がシルヴィの計り知れなさ語っています。「彼女はとにかくすべてを尽くすんだ。リハーサルで何か出来ないこと があったら、それが何時間かかろうとも夜まで彼女はひたすら練習して、次の朝には必ず出来るようになってスタジオに来るんだ…。」

昨年12月にROHで初演されたラッセル・マリファンの『ブロークン・フォール』では、シルヴィとバレエ・ボーイズでなくては生み出すことのできない高度で スリルあふれるアクロバティックなムーブメントの連続に観客は息を呑みました。それは決してテクニックのショーケースではありません。ビリーの肩に直立し たシルヴィはそのまま床へ落ち、床上30cmほどでマイケルがキャッチする。スローモーションと錯覚するほどにゆっくりとシルヴィがマイケルとビリーの身 体に絡みつく動きは、観ている者に瞬きするのも忘れさすほど。これまでに考えられもしなかった動きのヴォキャブラリーで、これほどまでに身体能力の限界に 挑戦したものはないのではないか、と思われました。これはまさにシルヴィの探究心、そして「私はやることすべてにベストを尽くすわ。私自身のやり方で、 持っているものすべてをつぎ込むの。」というシルヴィの完璧主義なのだと確信できます。
9月末にはロンドン、サドラーズ・ウェルズ劇場で初のシルヴィ とバレエ・ボーイズの単独公演が行われ、この『ブロークン・フォール』のほかに新作を2作品上演予定。もちろん、前回の『ブロークン・フォール』とは比べ ることの出来ないほどの変化/進化が予想されます。今回ROHでの特別公演はまさかの怪我によるキャンセルで幻となり、シルヴィのさらに円熟したバレリー ナとしての姿を観ることは出来ませんでした。しかし、次に私たちの前に出てくる彼女はこの屈辱を乗り越え、さらにそれまでのシルヴィを超えたシルヴィと なって“新たなこと”・“普通ではないこと”を見せ付けてくれることでしょう。さらなる女王様伝説は続きそうです。