インタビュー&レポート

インタビュー: 最新の記事

インタビュー: 月別アーカイブ

インタビュー/関口紘一
[2014.02. 3]

公演直前インタビュー: ベン・ヒューズ

ニュ−ヨーク・シティ・バレエのプリンシパルとして踊った『アポロ』と『シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ』を新国立劇場バレエ団に伝えた
ベン・ヒューズ=インタビュー

1402Ben-Huys.jpg

ベン・ヒューズ 私は1回目のニュ−ヨーク・シティ・バレエ団(NYCB)日本公演にも参加しています。(1988年に東京ベイNKホールで30年ぶりに行われた第2回NYCB来日公演のこと。編集部・注)

----そうですか、浦安の東京ベイNKホールで行われた公演ですね。私は観に行きましたよ。
ベンさんは1980年ローザンヌ国際バレエコンクールからNYCBに入られたわけですが、なぜ、NYCBを選ばれたのですか。

ベン 私はNYCBが持っている美的感覚に小さな頃から憧れていました。いろいろな機会にその舞台を見て、とてもいいなと思っていました。『白鳥の湖』などのいわゆる全幕物ではなく、トリプルビル的な作品を踊りたかったのです。当時、バランシンはすでに亡くなっていましたが、ジェローム・ロビンズがまだ健在でした。彼のもとで踊れるというのはすごい魅力的なことでした。幸いローザンヌのコンクールでスカラシップももらえたので、夢を果たすことができました。やはり、カンパニーの持っているレパートリーが一番の魅力でした。

----しかし、アントワープのバレエスクールにいらしたので、そこはもっと伝統的なバレエを習われていたのではないですか。
ベン アントワープのバレエ・スクールはロシアから教師を招いて、ワガノワ・スタイルの教育でした。しかし、バランシン自身の基礎もそこにあったのですから、それは良かったですね。しかし、方向性としてはテクニックの変更を余儀なくされました。当時はまだ、アメリカン・バレエ・スクール(SAB)では、スタンリー・ウィリアムズが健在でした。なんと彼が1日2回も教えているクラスがあり、習いに来るのはヌレエフとかバリシニコフとかというすごいスターダンサーたちでした。自分としては伝統的なスタイルはある程度できていたので、これはボーナスなんだと頭を切り替えて練習しました。

----その頃のSABはワガノワとブルノンヴィルのスタイルを中心とした教育だと思うのですが、いかがでしたか。

ベン バランシンがロシア系の教師を招いていたのですが、その中でスタンリー・ウィリアムズは英国人でしたが自身のメソッドを持っていた人なので、偏ることなく柔軟に学ぶことができました。
いってみれば、NYCBの教育は、バランシン流のワガノワ・スタイルみたいなものでした。ワガノワ・スタイルといってもバランシンのカンパニーですから、そのように統一されているわけです。

----NYCBのバレエはスピーディで他とはテンポが違うと思います。すぐ慣れましたか。
ベン 決して容易ではありませんでしたけれど、バランシンの作品は速い動きなので、それができなければ踊れません。練習の仕方が違いますから。その頃私はまだ若かったので対応できて良かったのですが。

----その頃はヨーロッパのバレエをご覧になっていたと思いますが。

ベン ベルギーにいましたから、やっぱりベジャールが有名でした。それ以外ではパリ・オペラ座バレエでしたが、それでも雑誌や写真集などいろいろな情報により、NYCBのチュチュではないシンプルなコスチュームを見てすごく惹かれていました。音楽もチャイコフスキーよりもストラヴィンスキーが好きでしたし、ジェローム・ロビンズの作品もとても好きでした。

1402aporo01.jpg 「アポロ」撮影:鹿摩隆司

----NYCBで踊られた作品で最も印象に残る作品はなんですか。
ベン 『アゴン』のようなバランシン的ものからブロードウェイ向けのものまで多種多様なレパートリーなので一つにしぼることは難しいですね。ロビンズのレパートリーは自分のまま踊ることができるという意味ですごく良かったですね。
私が一番最初に得た大きな役は、バランシンの『くるみ割り人形』でした。

----ロビンズ作品で印象的なものは何ですか。

ベン 『ダンサーズ・アット・ア・ギャザリング』。
ロビンズは本当に怖かった! 当時、彼は創作的に最も充実した時期で、ダンサーに対してたいへん要求が高く、絶対妥協しませんでした。今、あんな風にダンサーを扱ったらきっと誰もいなくなってしまうでしょう。あの時代だったからこそできましたけれど。誰でも彼と仕事をしたダンサーは、ひとつくらいはエピソードをもっているはずです。あの時代は時間を使いたい放題に使うことができましたからね。今ではユニオンなどがあってできないことです。 

----バランシンが偉大だったからそれに対抗して、傑作を創ろうとして厳しかったのでしょうか。
 
ベン やっぱり二番手と世の中から言われていることをすごく意識していました。しかし、バランシンとロビンズはお互いにたいへん尊敬しあっていました。バランシンはなんでもあり得るくらいロビンズを尊重していました。けれど、バランシンはすぐなんでも出来てしまうタイプの人です。時間をかけないでたとえば1週間で永遠の名作を創ることができました。ロビンズのほうはひねってひねって練りに練りあげて創るるタイプでした。非常にことなったタイプの人間でした。バランシンは良い意味で自信家で確信を持っていて、恐れがありませんでした。お互いに違うタイプだから却って良かったのではないでしょうか。

----新国立劇場バレエ団のダンサーが踊る『アポロ』は誕生シーン付きですね。
ベン バランシンは自分の作品を晩年にいくにしたがってよりシンプルにする傾向がありました。晩年になるにつれて、衣装もシンプルになり誕生のシーンもカットされました。ですが、今回はバレエ・リュスのトリプルビルということを配慮し、ビントリーと話し合った上で誕生のシーンで始まるヴァージョンを上演することになりました。

-----通常は誕生のシーンなしで上演するのですか。
ベン イエスイエス。パルナッソスの山に登る階段も無くしてしまいました。

1402aporo03.jpg 「アポロ」撮影:鹿摩隆司

----『アポロ』にはまだあまり速い動きはないですね。
ベン しかし、24歳の時に振付けたとはとても思えない成熟を感じます。バランシンという振付家には、これからどのようなものがくるのか、予兆を感じさせる作品でした。音楽がまた素晴らしい。音楽からはかり知れないほどのインスピレーションをうけています。

----新国立劇場バレエ団のダンサーはいかがですか。

ベン 非常に満足しています。一生懸命熱心に練習するし。
「音楽を見てダンスを聞きなさい」とバランシンは言いました。ダンサーは音楽とひとつにならなけばいけない。音楽についていってもいけない。音楽が本当に聞こえているとダンスが変わります。偉大な音楽はダンサーがなにをすべきか、自ずと教えてくれます。
新国立劇場のダンサーも最初はちょっと戸惑ったようですが、今とてもいい感じになってきています。

----彼らは普段はどちらかというとロマンティック・バレエを踊ることが多いのですが。
ベン ニュ−ヨークでもトリプルビル公演はチケットを売りにくいです。やはり、全幕物が良く売れます。しかし、ダンサーの立場で言わせてもらうと、トリプルビルのほうがもっとずっと成長できるし、踊れる範囲も広がるので踊りたくなります。全幕物はどうしても使う能力が限定されるし、コール・ド・バレエですと、ただポーズを決めるだけみたいなところもありますから。トリプルビル的な演目はどんどん動かざるを得ないし、動くことで楽しくなるし自身の能力も高められるから、やりがいがあります。全幕物ばかりでなく、観客にもいろいろ観ていただいて関心を持ってもらうような作品を、今後も提供していく必要があると思います。

----3月にはまた、『シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ』の公演もあります。この作品は巨大な建築物のような構成を持った作品ですから、振り写しもまたたいへんだと思います。
ベン 『アポロ』とはまったく違う、ビッグでパワフルな動きの構成、音楽もまたパワフルです。ハリウッドにストラヴィンスキーがバランシンを招いてこの音楽をバレエにしたらどうか、と提案しました。振付けながらバランシンが、これは第二次世界大戦の時、ナチスがパリにやって来たところだとか、具体的なイメージを示しながら振付けました。音楽が非常に複雑で難しい、カウントすることも容易ではありません。三つのカップルが同時に違うカウントを数えなければなりません。私はみんなのために同時にカウントをしてあげられないので、それぞれが正しいカウントで動いているかどうか見ながらコーチしています。

----これだけフォーメーションが激しく変わる作品を一人で教えるのはたいへんだと思いますが。

ベン イエス。それぞれのグループを別々に教えて、それを一緒にして統一することになります。見事なまでに音楽を動きに変換している作品です。

-----あんな複雑な動きの構成を思いついて創るところが、バランシンのすごいところですね。
ベン ストラヴィンスキーの『ヴァイオリン・コンチェルト』と『シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ』が、1972年のストラヴィンスキー・フェスティヴァルでは、同じ夜に上演されました。16人女性ダンサーが同じ白い衣裳でずらりと並ぶ姿は、想像を越えた世界が現出したようでしたでしょう。ほんとうにバランシンは凄い才能の持ち主です。

-----バランシン・トラストとしてはいろいろな国に教えにいかれるわけですね。
ベン そうです。私はバランシンだけではなくジェローム・ロビンズのトラストでも仕事をしてます。マリインスキー・バレエ団や英国ロイヤル・バレエ団へロビンズの作品を教えにいくこともあります。

1402aporo02.jpg 「アポロ」撮影:鹿摩隆司

----ほとんどバランシン作品を上演した経験のないバレエ団に『シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ』のような作品を教えることもありますか。
ベン 新国立劇場バレエ団に関しては、ビントレーが出来ると確信して上演することになったわけです。だから私は安心しています。しかし、NYCBのようにバランシン・バレエを踊るために育ってきたダンサーではないところに教えると、やはり、同じバランシンでも自ずと変わってきます。私の仕事は、そこに行ってできるだけ正しいインフォーメーションを提供すること、だと思っています。

-----ロシアのダンサーなどはワガノワ・スタイルが身体に染み付いているから、かえってたいへんなのですか。
ベン 若いジェネレーションは、キリアンやナチョ、フォーサイスなどを踊ったことがあるのでいいのですが、そう言う経験のないダンサーはちょっと難しいです。

-----例えば、最低限どのくらいの時間が必要とかいうことはあるのですか。

ベン だいたい3週間が目安です。ダンサーのレベルや練習環境にもよりますが。『シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ』でも上演時間は22分間だけですから。

-----とても22分の作品とは思えません。上演時間は1時間です、といわれても信じてしまいかねない舞台です。
バランシン・バレエを教える一番のポイントはどういうところでしょうか。

ベン 音楽性です。テクニック、スピード、フットワークとかいろいろありますが、やはり、音楽性が一番です。バランシンは音楽家でもありました。指揮もできればピアノも相当な腕を持っていました。ですから振付にも彼の音楽的能力が反映されています。

-----新国立劇場バレエ団にとっても『アポロ』と『シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ』を上演したことは、とても良い経験になると思います。どうもお忙しところを時間をとっていただいて、ありがとうございました。上演をとても楽しみにしています。