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[2007.07.10]

4年目を迎えたNoismの今

  Noism 07は、5月に『PLAY 2 PLAY-干渉する次元』の公演を終わり、7月5日、6日のモスクワ公演に向けて旅立つ。チェーホフ国際演劇祭に参加し、『NINA----物質化する生 け贄』をメイエルホリド・シアター・センターで上演するためである。出発直前、金森穣、青木尚哉、井関佐和子の3人のメンバーにお話を聞くことができた。
モスクワ公演より  

Noismの次の公演のプログラムについて

-----明日はモスクワにいらっしゃるとお聞きしました。

金森 ええ、カンパニーとしてはヨーロッパ方面のツアーは初めてですが、メイエルホリド・シアター・センターに『NINA』を持っていきます。『NINA』はツアー・ヴァージョンとして、非常に空間的にシンプルなものを創っています。

----『PLAY 2 PLAY』は、非常にコラボレーションが成功していて素晴らしかったと思いました。次は中村恩恵と安藤洋子がNoismに振付ける公演ですね。

金森 Noismは、Triple Bill、そしてTRIPLE VISIONの招聘企画を上演して、日本人でも日本国内だけじゃなくて海外でも活躍している振付家を呼びました。それで、次にどこに向かうのか、と考えた 時に、Noismの活動を理解してその可能性を伸ばせるような人たちでないと、なかなか観客にも趣旨が伝わらない危険性があるし、もう一度、海外で活動し ている日本人の振付家を呼びたいな、と思いました。
前回は男性だったってこともあるし、自分自身にとっても中村恩恵さんがぼくなんかの前にヨーロッパで活動されていたわけだし、日本人として先駆けです ね。安藤洋子さんは自分の後に活動されているけれども、ビリー(フォーサイス)の信頼を得てますし、同時に日本でのキャリアも長いので、日本の難しさとか いろんなことを熟知しています。中村さんもさいたま芸術劇場などで作品を創られたり、ワークショップされたりいろいろと活動されています。
そう考えるとお二人がいちばん、Noismの置かれている現在の状況というのを理解されているし、同時に二人の世界観というものが必要だと思いました。
次にお二人が創作をする時にどんな表現が生まれて、Noismとしてどんな課題が生まれてどういった道が開けるのかってことを考えますから、難しいですね。純粋な振付家としての準備もあるわけですし。
で敢えて今度、トリプルじゃなくてダブル・ビルにしたのは、1本20分とか30分だとその作家のひとつのアイディアとか一瞬の作風みたいなものは感じら れるけれども、ほんとうにしっかりしたことを何か言うためには、最低40分くらいは必要なんじゃないかと、いうことが自分の中にもありました。本当に作家 がなにかを言い切れるくらいの時間を振付家に与えて、その世界観も創ってもらいたい、と思ったのです。
中村さんはこの間、新潟にきて、ワークショップやっていただいたのですが、すごく実験的でした。ピーター・ブルックなんかの影響も受けているようです。これからどうなっていくのか、たいへん楽しみな感じでした。

Noismは変わりましたか

----青木さんも井関さんも創立からNoismに参加されていますね。どうですか、2004年から変わりましたか。

青木 変わりましたね。創立当初は集まったこと自体が実験的というかそういう感じでしたが、カンパニーとしてカンパニーなんだなと思えるようになりました。

井関 3年間下積みがあってやっとここからカンパニーとしてスタートするんだな、と思います。今まではただあわただしく、毎年毎年、新作創っていって。
そんなに公演回数はないんですが、すごく忙しいんです。観客の方たちもある意味で慣れてこられたと思います。ここからいろんな本質的なことが問われてくると思います。

金森 意外と東京から見ていると、東京に現れるスパンが半年に1回くらいなので、そんなに忙しくないように見えるかもしれないですけれど、すっごい忙しいんですよ。

青木・井関 ほんとうに忙しいんですよ、次から次へと。

青木 作業が待ってるし。

井関 なくてもみんななにかをぶっつけてる。

----完全に、カンパニーとしてでなければ創れない動きになっていますね。

青木 それはもう実感しています。ぼくは東京であちらこちらで踊っていました。Noismに入って最初の一年目は、穣さんが目指すこと自体が解らなかっ た。これをやってどうなるとか言うことが解らなくて、明日どうにかしようよ、と思って毎日やっていました。もちろん手を抜いているわけじゃないんですが、 ほんとうに解らなかった。
今はこういうことの積み重ねでたぶん、発表の時期にくればなんとかなるんだろう、と思えますし、役割的にもダンサーがすべきことと穣さんがすべきことと が、ちゃんと見えてきています。そういう中で仲間との信頼関係がだいぶ深まってきているので、やりやすくなりました。だから結局忙しくなったんですけど。

----ダンサーとしての個性も認められるようになったわけですね。

青木 東京で踊ってた時は、ぼくの踊りのどこか一つだけを観て、プロデューサーとかに呼ばれることが多かったです。
ゼロから始めて、ほんとうはそうじゃないんじゃないか、と問う時間はなくて、あそこでやったあれ良かったから、ああいう感じでさ、もうわかってるじゃな いって言われて踊ってました。だからどんどんすり減っていくし、ほんとにごく一部、1年に1本くらいをじっくりやろうという感じでした。
今は不思議なもので、穣さんの作品を何本かやらせてもらったのだけど、同じ人の作品を踊っても新しい自分を発見する気がするんです。あんなにいろんな人 と踊ってきたのに、なんでぼくは自分のことを自分で決めてそれ以上のことを探せないでいたのかって、今そういうふうに感じています。

----金森さん自身は変わりましたか。

井関 変わりましたよ! 全然変わりましたよ。

----まろやかになったとか。

井関 それはまあ、そうですね。まろやかになりました。 でも、多分伝説に残ると思います、『SHIKAKU』の頃は。今はもう伝えていけるのはこの二人だけになってしまいましたけれど、残念ですが。

----『SHIKAKU』の頃は?

井関・青木 その頃のことは二人で本を出そうって言ってるんです。

井関 お互いにまったく通じて無かったですね。

青木 言葉とかも英語が多かったし。

金森 自分の頭の中に描いているものを言語化してなかったのです。日本に戻って2年目ですから、まだそのときは英語的にものを考えていました。解らないみ んなに対して、自分もどう説明していいか解らないけど、自分の中で良い悪いの基準はあるんです。とりあえず観たものが良くないとか、足りてなければ足りて ないよ、もっとこんなもんがほしいんだと言ってましたから、すごくアバウトな説明になっていたし。

青木 ぼくはほんとに解らなくて。

金森 昨日のリセットしてって言うし。

井関 泣きますよね。

青木 昨日のあれをリセットして、ここからこれをインサートしてって。
  言葉遣いにしてもそうですし、稽古場内と作品の中で、今なら 解るんですけど、ここで装置ががらっと変わるとか、当時としては、多分説明してくれていたのだろうけど、ダンサーは振付家が何をしたいのか解らないんで す。ここまで踊ってきちゃったことに対してびくびくしているのに、どんどん次のアイディアがでてくるんです・・・

----みんなそんな感じだったんですか。

井関 そうです。

青木 でも結局、みんな自分は結構ましだろうと思っていたんですよ。

井関 じつはそこがポイントだった。

青木 だから、ちょっと待ってよ、みんな一緒に考えてみようって思うことにはならなかった。

金森 『SHIKAKU』は2ヶ月くらいで創らなければならなかったし、時間もなかったのです。同時に私は、集まったその場の持ってる雰囲気がすごい嫌だった。スタジオの空気感がぬるくてすごく日本的だったですから。
なんかプロジェクトで集まってきていて、私の『no・mad・ic project』の時もそうでしたが、楽しくみんなで力発揮すればいいものができるんじゃないか、みたいな感じでした。
Noismで集まった時、このメンバーでこの夏で終わりじゃないんだ、次に秋の新作も彼らともに創るわけです。その先ももちろんあるわけですから、今、 この段階で楽しくやっていたら先は無い。同時にこれだけの環境で行政の初めての試みで、外から見られて問われているというプレッシャーとか、そういうのは 彼らはまったく解ってないなっていう気持ちはありました。
だから1度ほんとに意図的に彼らを全否定しました。みんなが背負ってきたものとか、現在そこにあるすべてのものを否定して、だからとにかくとりあえずやれ!って。

青木 確かに、今思えばそういうことだと思います。われわれの解らないこと気がつかないことはいっぱいあったと思います。
今考えればまさしくその通りで、でも、そういう時に、あそこまでやれる人間はなかなかいないです。穣さんのすごいところは、まずそういうことを人より早く気付く、そしてそれを人が考えつかないところまでやるんです。

----行政で始めての試み、というプレッシャーが大きかったのですか。

金森 ダンサーには行政という価値観はあまり無かったでしょうね。ただ、われわれはプロだよ。私が認識しているプロと彼らが思っているプロとのズレを時間 をかけて説明するゆとりはありません。とりあえず舞台で『SHIKAKU』という形でやるしかないわけです。プロだったらそれを示すことができるのか。そ ういうところのプレッシャーはありました。
作品が素晴らしいとか、このダンスはいいよね、ではだめでそいうことを越えた、この人たちはほんとうにすごい!、と思わせなければまず成功とはいえないわけでしょう。

井関 最近やっと当時のことが話せるようになりました。私は話せるようになっただけで、一応満足です。ほんとうにお互いに信じられるようになったんです。今は穣さんを信じて付いていけるという自信が自分の中にあります。その頃ははまだ自信もなければ。

----信頼関係が・・・

井関 信頼関係なんて全然ありませんでした。みんなへこたれて胃薬飲んでましたし。
そういう時期があったから、今、ほんとうにゆるぎない信頼関係が築けているのだ思います。

招聘振付家の作品を踊ること

----じゃあ、他の振付家の方が入ってきた時は違いましたか。

青木 ああ、風が吹きましたね~。

----やはり、近藤良平さんが印象的でしたか。

金森 10日間ですよ。企画意図としてはそういう創り方をされる方なんだけど、彼がこういうダンサーとひと月過ごしたらどんなものを創るんだろう、と思っ てオファーしたんです。そうやっているうちに2転3転して、ようやく10日間きてくれたんですが、半分くらいは遊んでました。それが彼のダンスの創り方で すね。

青木 「ああ、東京でこんなゆっくりすることないわ~」って言って、毎日遊びに行ってましたからね。  近藤さんの振付は、逆に何も否定しないでダンサーの言うこともすべてを認めます。ズレにしても、「それそれ、あるよね、いいんじゃない」っていう感じで す。こちらとしては植え付けられたプロ意識で、「いや、こういうこともできますけど」って提案してみるんですけど、「いいよいいよ、あんまりできなく て」」と。
近藤さんは多分、カンパニーとしての動きをやってしまうことが違う、というかマイナスに感じるのだろうと思います。あの作品は、あえて違う角度でやってみたらという近藤流の提案だった、というふうにダンサーとしては感じています。

----他の振付家の方はどんなやり方でしたか。

井関 だれ一人として同じ創り方の人はいませんからね。

青木 ぼくはアレッシオが不思議でしたね。彼は距離のことを言っていて、身体を使う上で距離を骨で想像する、骨の長さって一見変わらないけど、空間に対し て自分の身体を当てはめていく時に、距離というのがすごいキーポイントになるって。これまで、そういうことを考えてきたつもりなんですけど、彼のやってい ることがすごい見えて、ああそうか、と思いましたね。彼の作品を踊っておいてよかったな、と思います。

金森 アレッシオはNoismという環境というかそういうものを生かす方法論を知っているし、ダンサーとの作業の本質的な部分が深かったですね。
  そういう意味でいくと、黒田育世さんとか近藤良平さんは、こちらとしてはNoismを思う存分に使ってほしい、という企画なんですが、彼らの側にすると、 いかにそれを壊していくか、彼らもアーティストだから近藤良平の世界観から見てNoismを変えようというか、良い意味でもゆれたし。
ただ私の個人的な意見としては、Noismを使って近藤良平というクリエーターが新たに変化したとこをみたいな、という意図がありました。

初めて海外ツアーのこと

----Noismとして初めての海外公演はいかがでしたか。

井関 お客さんの反応が全然ちがいました。私がヨーロッパで踊っていた時でもこんな反応はなかったです。ニューヨークもよかったですが、南米がすごかったですね。サンチャゴとサンパウロはほんとにすごかったですよ。
最初は厭きちゃうんじゃないかってちょっと心配していたんですけど、あんなにフィードバックしてくれるとは思いがけなかったですね。

青木 最初は、こっちも踊っていて、寝てんじゃないかなと思っちゃうんです。最後まで静かなんですよ。ほんとうにもうなにも感じないで無味乾燥なのかなって不安でした。そしたら最後ウワーっときて。

井関 アメリカだとなんかこう構えていたんですけど、南米のサンパウロの反応見た時ほんとに確信しましたね。すごい集中力がむこうからも伝わってきました。

金森 サンバというのが、抑制されたエネルギーがこうたまっていって、爆発していくということに気づきましたね。
南米というとなんとなくジャンジャカしているようなイメージでしょう。そうじゃないんです。実際、サンパウロの街歩いてても貧富の差は激しいわけです。 すごい人として生きていくなかで耐えてますよね。物凄いエネルギーがあります。お客さんたちは何かを鑑賞した時、そのエネルギーを感じて自分たちも耐える んです。最終的に『NINA』のシンプル・ヴァージョンは、ジェンダーとか権力とかいろんなことが反転して変わっていくメッセージが現れるような流れに なっているから、それはやっぱ受け止め方がすごかったですね
。  チリなんかは男女の社会的な問題が山ほどあって、そのフェスティバルをオーガナイズしているプロデューサーは二人の女性なんですけど、すごい反応に喜ん じゃって、とにかく「女性としてありがとう」とか言われちゃいましたよ。それは『NINA』の読み取り方としてはありだと思うけど、そういうて抑圧された エネルギーがあって、そこから何かを感じ取る意識があって、南米はほんとにおもしろいなって思いました。

青木 ぼくらも日本人で日本で生活していて、だからこういう間で、こういう場所で、こういう感じが好きなんだということが納得がゆきます。そいう のが、種類は違うけど南米には南米なりにあるんだと思います。それがまったく種類が違っても日本で生まれたものとして一貫して通っていて、すぽんと収まっ ていれば、感動してもらえるんだ、そういう自信が生まれました。

井関 それがすごい安心というか、私は世界中まわって踊りましたけど、そういう感覚になったことがないんです。お客さんとの対話じゃないけど、自分が踊ることが精一杯でした。
  Noismが始まって最初からいるというのもあるし、自分たちが一緒に創りあげたという気持ちがあるじゃないですか、だから海外行ってもそういう反応が気 になるし、舞台上に立っていても自分だけじゃなくなるんです。それがやっぱり、世界に向けて新潟で生まれたという感じがします。

金森 グループ意識全然高まったものね。

青木 日本でまだ一個しかなくて、自分たちが倒れたもうしばらく日本のダンス界でこいう企画って起きないだろうなって思いますし、東京で起ったものもある だろうけど、それに対しても新潟で起った新潟でしかできないことってあるはずだって覚悟決めて移動してますから。そういう意味で自分たちの創りだしたもの に対する愛着がわきますね。

金森 『NINA』って北南米ではすごい反響でしたけど、モスクワでどうだか解らないし、国によってはすごいブーイング受ける可能性だってあるわ けです。逃げてないから、それを受け入れられない人からはものすごい拒否されることだってあるだろうし、ただ、同時にそういう経験をカンパニーとしてする と、同じ経験、同じ痛みを同時にみんなで分かち合うと、グループ意識ってたかまると思うんですね。
それこそ北南米では良い形でみんなで共有できたから、それがほんとうのグループ意識なんだなって、3年経つとやっぱり思います。それはもう技とか質とかじゃないもっと目に見えないなにかですね。
チリは演劇祭の参加でした。ほかにピナ・バウシュが来ていたりしましたがダンスのフェスティバルではなかったので、どうかなと思っていたんですが、これが受け入れられたから結構うれしかったですね。

井関 日に日にお客さんが増えていくという感覚がすごくうれしかった。

青木 やっぱり観る文化というのがあるから、最初ちゃんと踊ったら次の日の反応がすぐに現れるんです。

金森 最初ガラガラでしたし、われわれはまったく無名ですから。ところが 3回やって3日目はもう満員でした。それはほんとに気持ちよかった。なんか解るんですね、2日目3日目になると、すごいって噂を聞いてきていて、始まる前から客席のザワザワ感が違うわけです。それに応えていくという日本ではダンサーとしては絶対得られない経験をしました。

井関 まあ、外からはよくわからないんですけど、内側、特にダンサー自身としては大きな事件でした、5週間の海外ツアーですからね。飛行機にいっぱい乗ってそうとう長かったですからね。

青木 冬から夏・・・。

金森 たぶん世界中でこんなハードなスケジュールで回っているカンパニーはそう無いと思います。それくらい悲惨なツアーでした。それも含めてみんなほんとによかったんじゃないですかね。

----ダンサーとして次のプログラムはいかがですか。

青木 今は穣さんと知り合った視野も広げてもらったし、知らないところにも連れて行ってもらったし、かつては解らなかったことが少しイメージできるようになったような気がするんですが、新しい振付家ものを踊るってちょっと怖い気がします。
期待はあるんですけど、正直なところすごい怖いです。
中村さんも安藤さんも二人ともぼくから観ればすごいんですよ。だから自分がどうなっちゃうんだろうなとか、まあベストを尽くすしかないですね。

井関 次のプログラムについては、お二人は私には大先輩じゃないですか、今回みたいに近く接することはなかなかないので、振付もそうだし作品もそうだけれど、それ以外の人間として大先輩の人たちが生きてきたものをなにか吸収できたらと思ってます。

青木 中村さんの振付はさいたま芸術劇場で経験したことがありますが、すごく優しい言葉で、核心を突かれたこと言われました。あのころとはぼくも違うと思 いますが、目一杯開かれてしまったら、果たして自分の身体というのが自分自身でコントロールしていけるのかなって、ちょっとがんばんなきゃいけないなと思 います。

----それはだけどダンサーとして大きな期待ですね。
本日はモスクワに旅立たれる貴重な時間をありがとうございました。モスクワ公演のご成功をお祈りします。また、次のプログラムにも大いに期待しております。
(インタビュアー/関口紘一)