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(インタビュー/浦野芳子)
[2012.03. 6]

踊っている時こそが、人生の光の時間-----東山義久が語るニジンスキー

東山義久は今年、主宰するEntertainment Unit “DIAMOND☆DOGS” が結成10年目を迎える。天才バレエダンサーの生涯を描いたダンス・アクト『ニジンスキー』は、大きな節目の一年にふさわしい舞台となりそうだ。その公演から一か月後には10周年記念公演として『DIAMOND☆DOGS memorial 10 TEN STEPS』が控えている。『ニジンスキー』の舞台稽古がまさに今から始まろうとしている3月初め、稽古直前のスタジオで東山義久に会った。磨けば磨くほどに輝く、その石の名前をユニットに掲げた彼の活動は、この春のふたつの公演を通して、いよいよ大きな光を放とうとしている。

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----『ニジンスキー』のリーフレットの写真、かっこいいですね。半裸になりボディペインティングされてこのセクシーさは、やはりダンサーならではの魅力です。やはり日頃から身体作りにはいろいろ気をつけていらっしゃるのでしょうか。

東山義久(以下H) いえ、特には。一度、ジムでウェイトトレーニングを試してみたこともあるんですけれど、そういうことをするとがちっと硬い筋肉がついてしまって、身体の動きにしなやかさがなくなってしまうんです。何となく重く見えるのも、あまり好きではないので。もちろん、今回の作品のように身体を露呈させるシーンも必要な作品では気を使いますが、リハーサルを続けて本番が近くなると自然と身体が絞れてくるので、それに向かって特別なことをする、ということはないです。

----今日が、『ニジンスキー』の顔合わせなんですね。バレエの全幕ものなどの場合は、個々の役柄や場面ごとにリハーサルして、最後に全員で合わせて、ということが多いですが、東山さんがよく出演されているミュージカルや、今回のダンス・アクトのようなものは、どんな風に作品作りが進行していきますか。

H  作品によりいろいろありますが、リハーサルはだいたい1か月から1か月半の期間で進行していき、ほぼ毎日稽古場に通います。そこで朝から晩まで、だいたい8時間くらい振付や芝居に取り組みます。

----ニジンスキーと言えばダンスの世界ではある種、神がかった存在。亡くなって60年以上が過ぎた今も語り継がれる、伝説の人物です。そうした人物を演じるのは、踊りを通して表現を行う立場にとってはとても大きなことだと思います。

H  DIAMOND☆DOGSも結成10周年、こうした節目の年にこういう作品に出会えたことは、とても意味のあることだと思っています。僕の場合、今は芝居や歌も含めた幅広い手法を取り入れ、表現し、舞台活動を行っていますが、そもそもの入り口は踊りだった。初めにダンスに出会っていなければ表現者としての今の僕は存在しなかったわけですから、ダンスという表現は僕の中でとても大きな位置を占めています。
一方、ニジンスキーはバレエダンサーですが、僕はそうではないし、ダンサーでもないと思っている。だから、ダンス、というジャンルの表現を通してではなく、ダンス、歌、芝居、さまざまな表現を行ってきた舞台人としての東山義久、その身体を通して、ニジンスキーと言う時代のアイコンを表現していくことになると思います。ですから、芝居の要素がとても大切になるでしょうね。これからの一か月間、僕はニジンスキーとここ(稽古場)で、対話し続けるのかもしれません。

----ニジンスキーは、20世紀バレエ発展の端緒となったバレエ・リュスの活動を通して、バレエ界に新しい風を送り込んだ鬼才、セルゲイ・ディアギレフに公私ともに愛された人物として有名です。彼のために創られた作品『薔薇の精』などでは、まさにニジンスキーの神がかった才能が見事に開花しています。そして自身の振付作品『牧神の午後』は、初演当時は物議を醸しもしました。天才であり、異端児でもあったニジンスキーですが、東山さんは彼を、現段階ではどのように捉えていますか。

H ものすごく孤独な人物だったのではないでしょうか。ダンスの申し子と言われいくら脚光を浴びていても、その心の奥には常に孤独があった。彼にとっては踊っている時こそが一番幸せでかつ自分らしくいられる時間であり、人生に光が当たっている、そんな時間だったのではないかと思います。最終的には精神を病み、死へと向かっていくのですが、その “つぶれ方” がまさに闇に入っていくような、そういう感じがして、演じる方としてはそれをどう表現していくか、考えさせられますね。
それに、実は過去に一度『牧神の午後』を題材にした作品を踊ったことがあるんです。

----『牧神の午後』を東山さんのアレンジで。

H 森山開次さんと一緒に舞台を創ったことがあり、そのときに『牧神の午後』を題材にしたんです。牧神とニンフを、花と鉱石になぞらえて。咲き誇った花は一瞬にして枯れ大地(鉱石)へ還っていく。鉱石は永遠にそこにあるけれども決して花を咲かせることは無い、そんなことを表現してみました。

----森山開次さんとは、いつごろそのような活動をされていたのですか。


H 舞台にひとり欠員があるから、と声をかけていただいて参加したダンスの初舞台が、再演ものでした。そのとき僕が演じることになったのが、初演時に森山さんが踊った役でした。その時振付をしていたのが香瑠鼓子さんで、後に彼女のスタジオパフォーマンスに参加した時、開次さんと一緒になったんです。そこから、一緒に作品を創ってみないか、ということになりました。

----確か、森山開次さんも、子供のころから踊りを学んでいたわけではなく、20歳前後でダンスに出会ったと聞いています。このあたりも、東山さんと似ていますね。

H 僕は大学でダンスのサークルに入ったのが始まりでした。

----なぜダンスのサークルに? 男性…とくに思春期を超えた男性にとって、ダンスを始めるのってかなりハードル高いんじゃないですか。

H 大学に女子が多かったせいかもしれない。

----文学部とか、芸術学部とか?

H いえ、経済学部。

----極めて一般男子っぽいですね。

H 初めて見たダンスの舞台が、ヒップホップとコンテンポラリー・ダンスだったんです。そのとき、やるんだったらコンテンポラリーだな、と思った。

----20歳前後の若者男子、しかもダンス経験ゼロ、ときたら迷わずヒップホップの方が “カッコいい” って思いそうなものなのに。

H いや…ヒップホップのああいう格好、やだな、って。

―…意外とカタブツだったとか。

H どうだろう。当時は学校5、バイト3、ダンスサークル2、くらいの割合で日常を過ごしていましたね。

----でも、そのダンスは、自己流で覚えた、とプロフィールにはあります。どんなトレーニングをしたんですか。

H もちろんサークルではちょっとしたことは教えてもらいました。でも一番影響を受けたのは、ダンサーの映像です。また開次さんの話になるのですが、一緒に創作をしているときに彼の話を通して出会ったのが、シルヴィ・ギエムとジョルジュ・ドン、そして坂東玉三郎、でした。ギエムのしなやかな鞭のような手足の動き、ドンのエネルギッシュな表現、そして玉三郎が醸し出す女形の色気。それらを繰り返し、家で見て真似ていましたね。

----じゃあ、ダンスの先生はギエムとドンと玉三郎さん。最強にして最高の、贅沢な教師陣ですね。でもその後、コンテンポラリー・ダンスではなくエンタテイメントの道に進まれたのには、何か特別な想いがあったのでしょうか。

H 特別に強い意志に突き動かされた、というようなことはありません。その後『エリザベート』などミュージカル作品の舞台に立たせていただく機会が続いたことで、自然とエンタテイメントの道に進んで行ったと言った方がいいかもしれません。一方で開次さんはアーティスティックな道を究めていった。互いに、ごく自然に、そういう道へと分かれて行った感じです

----いくつかの舞台経験を経て、2003年に“DIAMOND☆DOGS”を結成。自分たちでいちから作品を創り上げる活動をされています。フリーのアーティストとして活動するのではなく、そういう発信を行う集団を創りたいと思ったのは、どうしてでしたか。

H  主体性のあるキャストで作品作りを行い発信する、そういうことをやりたいと思ったからです。与えられた作品の中に自分がぽん、と放り込まれるのではなく、出演者も含め舞台にかかわるすべての人がディスカッションを行い、いちから創り、オリジナルなものを提示していく、という活動をやりたかった。だから今も、DIAMOND☆DOGSの舞台は、皆がああでもないこうでもないと、アイディアを出し合い創り上げています。年に新作を1本を目標に、なんとか10年続けてきました。

----メンバーも、多彩ですよね。

H ダンサー5名、ヴォーカリスト2名で構成しています。そのダンサーも、ヒップホップ、ブレイクダンス、バレエ、コンテンポラリー、タップ、とさまざま。異ジャンルの7人がひとつの舞台を創ります。ダンス、歌、芝居、三つの表現方法を組み合わせたエンタテイメント・アート・ユニットです。

----その活動の中における、東山義久とはどういう存在なのでしょう。

H 舞台人、だと思っています。自ら進んで、舞台という世界を選んだ。選んだからには、そこでの可能性を広げるためにいろいろな方法を取り入れ、チャレンジを続けていく。今は、そういう感じです。

----『ニジンスキー』の舞台は4月ですが、翌5月にはご自身のホームベースである、DIAMOND☆DOGSの10周年記念公演が控えているのですよね。

H これから先に向かってさらに発展していく、そういうイメージを伝えられたらいいと思っています。思い出のナンバーを含め、これまで走り続けてきた思いが、多くの人に届いたらいいな、って。

----DIAMOND☆DOGSの初舞台も、この10周年記念公演を行う博品館劇場だったんですか。

H そうです。僕たちが産声を上げた場所、ホーム、聖地です。次のステップにつなげていくためにも、この場所で、今まで支えてきてくれたファンやスタッフの皆さんと、僕らの活動を再確認するというのは大きな意味があります。
30歳を迎えるまでは、何かが起こったら次の役割を探せばいい、そう思っていました。しかし30歳を過ぎた今は、腹をくくって、DIAMOND☆DOGSの活動と、舞台人としての自分の使命に向き合っていかなくてはならない、そう思っています。

----この春は体力的にもハードな日々となられそうですけれど、体調管理などはどうしてているのでしょう。

H 毎朝飲む黒酢、酸素カプセル、鍼治療、そして家では台本を開けないこと ! リハーサルが終わったら、好きなものを食べ、時にはお酒を飲んで、リラックスします。家に役柄を持ち込むと、自分が自分でなくなってしまう。役に食われたくはないんです。

----ニジンスキーに対しては、どんな態度で臨みますか?


H 僕がやるから、ニジンスキーがある!!

----うわっ、その目線で言われると痺れますね ! 銀河劇場での『ニジンスキー』、博品館劇場での『DIAMOND☆DOGS memorial 10 TEN STEPS』どちらも楽しみにしています。いずれも男性中心の作品ですから、こういう機会にぜひ男性にも、舞台芸術、とりわけダンスパフォーマンスに親しんでほしいですよね。

(プロフィール)
東山義久/YOSHIHISA HIGASHIYAMA

98年、大学卒業と同時にミュージカル「Shocking! Shopping!」で初舞台。以後、しなやかな躍動感を個性として舞台を中心に活躍の場を広げていく。2000年、東宝ミュージカル『エリザベート』にトートダンサーとして出演し、その妖艶な踊りと感性で注目を浴びる。03年エンタテイメント・ユニット“DIAMOND☆DOGS”を始動、リーダーとして出演のほか、舞台構成、総合演出を手掛ける。05~09年にかけて当方ミュージカル『レ・ミゼラブル』にアンジョルラス役で出演。その後『D~永遠という名の神話』『眠れぬ雪獅子』に主演。『戯伝写楽』『銀河英雄伝説』『宝塚ボーイズ』『ALTAR BOYZ』など話題作多数に出演。2011年5月、ビクターレコードよりDIAMOND☆DOGSとしてメジャーデビュー。
 

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『ニジンスキー』
2012年4月1日(日)〜8日(日)
天王洲アイル 銀河劇場
チケット料金 S席¥8,500、A席¥7,000
お問い合わせ=銀河劇場チケットセンター TEL/03-5769-0011
http://www.gingeki.jp/special/nijinsky.html
ニジンスキーチャンネル
http://www.youtube.com/user/DanceActNijinsky

『DIAMOND☆DOGS memorial 10 TEN STEPS』
2012年5月19日(土)〜27日(日)
博品館劇場
全席指定¥7,000
博品館1F TICKET PARK TEL/03-3571-1003
http://www.diamonddog-s.com