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インタビュー/関口 紘一
[2016.02. 5]

オニール 八菜=最新インタビュー
2月にはロビンズの『ゴールドベルク変奏曲』を踊り、夏には日本でも踊る予定です

----東京はここのところ冬とは思えない暖かさなのですが、パリは寒かったですか。

オニール 今年はパリも暖かかったですね。

----でも、ニュージーランドは今、夏ですね。あちらには帰られていますか。

オニール いいえ、2年あまり帰っていません。でも今年は、日本とパリは夏でニュージーランドは冬の頃に一度帰ろうかな、と思っています。弟たちや家族はみんなニュージーランドに居ますから。

----話はかわりますが、パリは同時多発テロに襲われてたいへんでしたね。あのテロの後の一番最初にのオペラ座の舞台で、初役のガムザッティを踊られたのですよね。


オニール そうです。13日にバスチーユ・オペラで『ラ・バヤデール』のガムザッティを踊りました。
同時多発テロのあった日は『ラ・バヤデール』のリハーサルがあって、オペラ座の会員の人たちは子供たちを連れて観に来ることが出来る日でした。私の父と母も観に来ていました。テロが起ったのはそのリハーサルの最中でした。リハーサルが終了してもオペラ座の建物から出てはいけない、というアナウンスが流れて、みんなまだ事情が分らず「どうしたのだろう?」と思っていました。それから意外とすぐに出してもらえて、出てすぐに父と母に会いました。テロだったとは知らなかったのですが、「気を付けて」と言って別れ、父と母はメトロで帰ったんです。(舞台紹介インタビュー もご参照ください)
その後、バスチーユのオペラ座の近くのカフェに入ったら、テレビですさまじいテロの様子を中継していました。そこは、現場からそれほど離れていなくて救急車などが頻繁に行き交って騒然として、とても怖かったです。私の家は、そこから現場とは反対方向でしたので、結局、無事に自宅に帰ることができました。

----それはほんとうに良かったですね。こんなことを言うのもはばかられますが、オペラ座で起ることもあり得ますからね。

オニール そうですね。時間としてはちょうど『ラ・バヤデール』の3幕をリハーサルの最中にテロが起りました。私はガムザッティ役でしたから、その時は出番は終わっていましたが・・・。後でみんなと、こんなことで舞台で死にたくないね、と話しました。とにかく、ほんとうに怖かったです。
ガルニエ宮なども、今はセキュリティもとても厳重になりました。これまではチケットを見せるだけで入れましたが、手荷物検査など空港なみのセキュリテイ対策が敷かれています。ですから早目に行かないと、入場するまでに時間がかかります。私たちも、今までは楽屋口からスッと入れたのですが、ディテクターを通ってバッグとコートのチェック、バッジの確認が行われています。でも、パリの街はすぐにいつも通りに戻りました。

----『ラ・バヤデール』の本番の舞台も影響を受けましたか。

オニール そうですね、やっぱり、みんなテンションが上がっていたというか緊張感が漲っていました。客席はかなり入っていましたが、日本人のお客さんはいつもに較べると大分少なかったと思います。その後も何日間かは少し空席もありましたね。

----2月公演では何を踊られるのですか。

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オニール 2月はミルピエとジェローム・ベルとロビンズのミックス・プロです。私はジェローム・ロビンズの『ゴールドベルグ変奏曲』を踊ります。この作品は3組のカップルが登場しますが、私は2つのカップルを、スジェまでは一緒に昇級して来たユーゴー・マルシャンとジュエルマン・ルーヴェと踊ります。カンパニーにも一緒に入団したとても仲の良い友だちですので、この二人と踊ることが出来るのがとても楽しみです。ユーゴは背が高いほうで私とバランスが良いのですが、オペラ座でパートナーとして踊るのは初めてです。ほかのガラ公演などではよく踊っているのですけれど。
その後は、4月初めにロシアに行ってマリインスキー劇場でガムザッティを踊ります。これはとても楽しみです。ソロルを踊るのは、マリインスキー・バレエのプリンシパル・ダンサーのキミン・キムです。

----キミン・キムは、11月末から12月初めに日本で踊っていました。私も観ましたが、とても良いダンサーです。

オニール そうでした。その後に彼はパリに来て、ゲストとして『ラ・バヤデール』を踊りました。その時は私とは一緒ではなかったのですが。
マリインスキー劇場で踊るのは、初めてなのでとても楽しみにしています。

----他のカンパニーのプリンシパル・ダンサーと踊られたことはありますか。


オニール いいえ、それも初めてのことになりますね。

----夏には日本でも踊られる予定があるとお聞きしましたが。

オニール はい、そうなんですよ。7月に京都で『ドン・キホーテ』の全幕を踊ります。

----『ドン・キホーテ』の全幕を踊るのは初めてですか。

オニール はい、初めてです。バジルはカール・パケットが踊ると思います。あとはアタナソフがドン・キホーテを踊るのではないでしょうか。

----そうすると全幕は『白鳥の湖』『パキータ』『ラ・バヤデール』それから『ドン・キホーテ』を踊ることになるのですね。

オニール それから、来年の3月にはオペラ座の日本ツアーがあって、まだ未定ですがそこでもしかするとピエール・ラコット版の『ラ・シルフィード』を踊るかもしれません。ラコットさんからのお話では。

----着々とクラシック・バレエの王道を行っていますね。今年の1月1日からプルミエールに昇級されました。やはり、今までとはいろいろと違ってきますか。

オニール そうですね。これでもう、コール・ド・バレエは踊らなくなります。でも、コール・ド・バレエを踊らなくなることは、ちょっと淋しいな、という気持ちもあります。あまり長い間、コール・ドを踊ったわけでもないですし、コール・ドを踊ることが楽しい時もあります。友だちと踊ったり舞台でも楽しい気分になることもありましたから。リハーサルの時間も変わってしまうから、お友だちと会う機会も少なくなるし・・・。

----コンクールは何回受けられたのですか。

オニール 3回です。

-----3回でプルミエールに昇級ですか。ちょっと昇級するテンポが早過ぎたとか。逆に観ている方が付いて行けないくらいです。楽屋も代わることになるのですか。

オニール 今は6人部屋ですが、スジェになって、もし、空きがあれば2人部屋に移れます。そしてプルミエールになると、2人部屋に行かなければならないのかもしれません。でもあまり移りたくはないのです。隣は親友の一緒に入団したキャロライン(カドリーユ)だし、あとは先輩の人たちと一緒ですごく楽しいし、ガルニエの楽屋も改装して新しくなって、6人部屋でこじんまりしていますし。

-----ロシア・バレエはお好きですか。

オニール あまり多くの舞台を観る機会はなかったのですが、フランスのスタイルとは違った美しさがあって好きです。ディアナ・ヴィシニョーワとか好きです。昨年の世界バレエフェスティバルで、ロパートキナの『白鳥の湖』を観て素晴らしくて感激しました。

----他のたとえば、ニュ−ヨーク・シティ・バレエとか、ブルノンヴィルとかのスタイルはどのように感じられていますか。

オニール 私はバランシンの作品は好きです。でもやはりフレンチ・スタイルが好きで、憧れてオペラ座に入団したこともありますし、自分には一番合っているだろうと思うので、それをキープするのが一番大切なことだと思っています。バランシンやブルノンヴィルもそれぞれのニュアンスがあっておもしろいと思っています。

----これからは、他にもローラン・プティとかいろいろ踊ることになると思います。次に踊るジェローム・ロビンズはいかがですか。

オニール ロビンズは今回、初めて踊ります。ローラ・プティは『ノートルダム・ド・パリ』はコール・ド・バレエですけども踊りました。楽しかったです。

----次に目指すのは、いよいよエトワールですね。

オニール エトワールはまだまだじゃないですか。

----われわれのほうは、もういろいろと考えて予測を立てたり、ギエムの場合はこうだったからとか・・・一生懸命、余計なお世話をしております。すみません。
今年はエトワールの空きはあるのですか。


オニール バンジャマン・ペッシュがアデューすることになります。その次のシーズンはレティシア・プジョルですね。

----パリの生活は、お住まいも決まったしもう慣れましたか。

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オニール ええ、フランス語のコミュニケーションも問題ありません。昨年、日本の祖母が亡くなりました。私は幼い頃、祖父と祖母の家で育ったようなものでしたので、その思い出の意味もあって家具などを少し持って帰ろうかな、と思ってます。小さい時、ここによくもぐって遊んだな、とかいろいろな思い出があるので、側に置いておきたいなと思っています。

----あれ、コンクールはもうないのですか。

オニール もう終わりです!! それがなによりもうれしいです。1年の中でコンクールが一番ストレスが溜まる時期だったのです。やればやるだけたいへんなんです。気持ち的にはどんどん難しくなっていきますし。

----コンクールを3回受けただけで、プルミエールに昇級したのはすごい! ミルピエ監督になったこともタイミングが合っていました。それからラコットが認めてくれたことも、大きかったのではないのではないですか。

オニール そうなんですよ。入団する時のコンクールのヴァリエーションが、偶然『パキータ』でした。そしてその練習している時にラコットさんが入ってきて観ていました。彼は私のコーチとも知り合いだったので、目に止めてくれて「この子誰?」って言っていたようです。ちょうど『パキータ』だったのがラッキーだったのかもしれません。ほかのダンサーのインタビューなどを読むと、そういうラッキーな出来事が案外に多いですね。出会いはとても大切ということはほんとうだと思います。それまでは、私にはそんなことあり得っこない、と思っていました。「チャンスないのかなあ」と感じていました。
とにかく、ラコットさんはオペラ座にとって、すごく重要な人ですからラッキーでした。そういこともあって、わたし的には自分の踊りが「フランス人にもみとめられたのかな」と思いました。

----ピエール・ラコットはもちろん、オペラ座にとって重要ですけど、ロシアでも復元を手掛けているし、ラコット版のクラシック・バレエが世界中で上演されているわけだから、世界の舞踊史にとっての重要人物です。
今日はお忙しいところ、素敵なお話を聞かせていただきましてありがとうございました。次の舞台を心より楽しみにしております。


(インタビューは1月13日に行われたが、その後、パリ・オペラ座振興会より、AROPダンス賞がオニール 八菜とユーゴ・マルシャンに授与されることが決まった。後日、詳報をお伝えする予定)