浦野 芳子
[2012.04.10]

赤裸々な真実がここに! 『ニジンスキー』初日ゲネプロを鑑賞

伝説のダンサー、ニジンスキーは、天才の名にふさわしく私生活やその創作活動にエキセントリックなエピソードを数々残している。
DANCE ACTと銘打って行われたこの公演。そんなニジンスキーの人生をダンスを中心に抽象的に見せていくのかと思って足を運んだら、あっさりと、いや強烈に!! その予想を裏切られた。同性愛や精神病、そしてニジンスキー作品に関するエピソードや裏話が実に“赤裸々に”紐解かれ語られていくのである。芸術家としての倒錯した一面が、突然オブラートを破って生々しく眼前に差し出されるのである。

gp1204nijinsky01.jpg ニジンスキーを演じる東山義久

ストーリーは、ニジンスキーの妹・ブロニスラヴァ・ニジンスカ役の安寿ミラのモノローグと、セルゲイ・ディアギレフを演じる岡幸二郎、ニジンスキーの妻ロモラ・デ・ブルスキ(遠野あすか)、精神科医(佐野大樹)らにより進行する。その中で、東山義久が身体表現と限られた台詞だけでニジンスキーを表現していくのだ。ほかの出演者たちが言葉を駆使するのに対してニジンスキーを演じる東山義久は身体を駆使する、この表現の使い分けがニジンスキーの孤独を際立たせる。なぜなら、ニジンスキーはロシア語以外は片言のフランス語しか話せない。なのに妻ロモラはロシア語を話さない。ニジンスキートとロモラは片言のフランス語でコミュニケーションを取るしかなかったのだ。一方、愛人関係にあったディアギレフとの関係は金銭を間に挟みよじれたものとなる。不幸な生い立ちと才能というアンバランスな要素を持ち合わせたがゆえに他者の欲望の対象となるニジンスキーを、言葉、対、身体、という異なる表現が、際立てていた。
ままならないコミュニケーションは、ニジンスキーのいら立ちや焦燥をどれだけあおったことだろう。不幸なことにその人並み外れた感受性と想像力は、彼をとてつもない孤独の淵へと誘ったのだろう。ゆえにニジンスキーは、自分の内へ内へと潜り込み、自らの魂と対話し続けるしかなかったのではないか。

ストーリーの要所要所には『春の祭典』や『薔薇の精』『ペトルーシュカ』『牧神の午後』などニジンスキーを語るに欠かせない作品がモチーフに使われている。それらはもちろん、もともとの作品そのままではないのだが、動きのニュアンスが巧みに取り入れられており、バレエ・リュスやニジンスキーの空気感が伝わってくる。舞台セットには場面ごとに照明や色彩・映像の変化が加えられ、第一次大戦を挟んだ時代の退廃的なムードを伝えてくる。その中を、バレエ・リュスをイメージさせるモダンなチュチュを着た踊り子や、ニジンスキーの分身あるいは幻影のようにして登場する三人の男性ダンサーが、高いテクニックを交えて踊りを繰り広げる。しかしやはり、圧倒的な存在感を呈したのは、東山義久のニジンスキーだ。彼はバレエダンサーではないのにもかかわらず、世紀のバレエダンサーのオーラをそのたたずまいから、表現していたと思う。

これは、人生のある期間、強烈な輝きを放ち人々を圧倒することを許されたものが払う代償の物語である。
…芸術家というのは、神に選ばれた人間のことだ。
誰もが持っている“心の弱さ”。それに面と向き合うべくために神に選ばれた、生け贄…。ふと、そんなことを思った。

gp1204nijinsky03.jpg 安寿ミラ、舞城のどか、東山義久 gp1204nijinsky04.jpg 遠野あすか、東山義久

2012年4月1日 ゲネプロ鑑賞
本公演/4月1日〜4月8日
場所/天王洲 銀河劇場
脚本・演出/荻田浩一
音楽/斉藤恒芳
振付/平山素子、港ゆりか
出演/東山義久、安寿ミラ、岡幸二郎、遠野あすか、舞城のどか、佐野大樹、東文昭、長澤風海、加賀谷真聡、和田泰右