森 瑠依子

バレエの栄光の歴史がきらめく
「薄井憲二バレエ・コレクション」の逸品を訪ねて その6

<白鳥の湖 2 >
前回は『白鳥の湖』の初期の3版の出演者らを取り上げた。今回は『白鳥の湖』で成功を収めた20世紀のスターたちと、20世紀初頭の貴重なプログラムを薄井憲二バレエ・コレクションの中から紹介しよう。

1.    20世紀初期に帝室マリインスキー劇場バレエで活躍したバレリーナたち

1895年のプティパとイワノフによる蘇演以来、ペテルブルグの帝室マリインスキー劇場バレエでは『白鳥の湖』が重要なレパートリーとして上演され続けていた。このバレエの叙情性、幻想性などはマリインスキーの伝統のもとで育ったダンサーたちの持ち味とよく調和し、このバレエ団からは現代まで、何人もの卓越したオデット/オディールが生まれている。

オデットを演じるヴェラ・トレフィロワ(1875-1943)

collection06_01.jpg

1935年のサイン入りポストカード(PC-B-160-03ws)

1894年に入団。エンリコ・チェケッティ、カテリーナ・ベレッタらイタリア人の名指導者に師事してテクニックにみがきをかけた。演技力にも優れ、舞台女優としても活動している。オーロラ姫、キトリ、オデット/オディールで成功を収め、1921〜22年のバレエ・リュスによるロンドンでの『眠り姫(眠れる森の美女)』、および1922年5月のパリ・オペラ座での短縮版『オーロラの結婚』でオーロラ姫を演じている。バレエ・リュスでは1924年にモンテカルロで『白鳥の湖』1幕版に50歳目前で主演し、グラン・フェッテで観客を沸かせた。

オデットを演じるリュボーフィ・エゴロワ(1880-1972)

collection06_02.jpg

1910年代(PC-B-035-03)

1898年に入団。派手さはないが、確実なテクニックによる安定感のある踊りでオデット/オディール、ミルタなどを当たり役とした。バレエ・リュスで1921〜22年にロンドンでの『眠り姫』で、歌うカナリアの精とマリインスキー出身の3人のオーロラ姫のひとりとして踊った後、1922年のパリ・オペラ座『オーロラの結婚』にも出演して好評を得た。その後は先輩のマチルダ・クシェシンスカヤ、オリガ・プレオブラジェンスカヤと同様にパリでバレエ・スタジオを開き、指導にあたった。

オリガ・スペシフツェワ(1895-1991)

collection06_03.jpg

1927年5月パリのサラ・ベルナール劇場でのバレエ・リュス公演プログラムより(PRBROF-031)

1913年に入団し、アグリッピナ・ワガーノワに師事。長い手足、流麗な動き、ドラマ性、叙情性、強靭なテクニックに恵まれ、デビューするとすぐにスターへの道を駆け上がった。『エスメラルダ』『ジゼル』での評価が特に高い。バレエ・リュスの1916年アメリカ公演(ニジンスキーと『薔薇の精』)、1921〜22年ロンドンの『眠り姫』、1927年イタリアの『火の鳥』『オーロラの結婚』『白鳥の湖』、モンテカルロの『白鳥の湖』『牝猫』などで主演している。1924年に亡命してパリ・オペラ座にエトワールとして招かれ、1939年まで世界的に活躍した。その後は精神病のために長く療養生活を送った。

2.20世紀初期の公演プログラム


1916年2月14日、マリインスキー劇場プログラム

collection06_04.jpg

(左)表紙、(右)2、3ページ目(PR-336)

全6ページ。第一次世界大戦中でロシア革命前年の、帝室バレエ末期に行われた公演。全4幕のプティパ/イワノフ版で、第3幕の「スペインの踊り」はゴールスキーの振付による。キャストはオデット/オディールがクシェシンスカヤ、王子がピエール・ウラジーミロフ、悪魔がニコライ・ソリャンニコフ。

1927年4月30日、モンテカルロ歌劇場プログラム

collection06_05.jpg

(左)表紙、(右)4ページ目(PRBRHP-090)

全4ページ。公演は全1幕の短縮版で、振付者名はマリウス・プティパのみ記載あり。キャストは白鳥の女王がオリガ・スペシフツェワ、王子がセルジュ・リファール、悪魔がミハイル・フョードロフ。他に王子の友人、パ・ド・トロワ(スタニスラス・イジコフスキー、ヴェラ・ペトローワ、ヴェラ・サーヴィナ)、白鳥たちと狩人たちが登場する。
個性的なオリジナル作品で有名なバレエ・リュスだが、主宰者のディアギレフはチャイコフスキー/プティパの傑作バレエの上演にも情熱を傾けていた。『白鳥の湖』は1911年にロンドンのコヴェントガーデン王立歌劇場でミハイル・フォーキンによる全2幕3場版をクシェシンスカヤの主演で初演し(この中で『くるみ割り人形』の“金平糖の踊り”がニジンスキーのソロに転用された)、1920年代にも1幕版をたびたび上演している。

3.    20世紀のボリショイ・バレエのスターたち


ロシア革命によって帝政ロシアは社会主義共和国のソ連となる。首都もペテルブルグからモスクワに移り、バレエにおいてもそれまでペテルブルグの後塵を拝していたモスクワのボリショイ・バレエが、国を代表する存在となり、優秀なダンサーが集められるようになった。

オデットを演じるガリーナ・ウラーノワ(1910-1998)

collection06_06.jpg

(PC-B-163-09)

ペテルブルグ生まれ。ワガーノワに師事し、1928年GATOB(現マリインスキー・バレエ)に入団。オーロラ姫、オデット/オディールで評判となり、1944年にボリショイ・バレエに移籍した。比類のない叙情性、演技力、テクニック、音楽性をもち『バフチサライの泉』『ロミオとジュリエット』『シンデレラ』『ジゼル』などの主役で名演を残した。1950年代にボリショイ・バレエの海外公演に参加して、20世紀を代表する世界的なスターのひとりとなる。

オデットを演じるマイヤ・プリセツカヤ(1925-2015)

collection06_07.jpg

(PC-B-119-14)

母方が有名なバレエ一家のメッセレル家。7歳時に異例の若さでボリショイ・バレエ学校に入学を認められる。学生時代からボリショイ・バレエに出演し、1943年にソリストとして入団した。情熱的でダイナミックな個性でライモンダ、キトリ、オデット/オディールなどを当たり役としたほか、ローラン・プティ振付『薔薇の死』、モーリス・ベジャール振付『レダ』『イザドラ』、アルベルト・アロンソ振付『カルメン』など、数々の彼女のための名作を残した。アンナ・パヴロワで有名な『瀕死の白鳥』は、また、プリセツカヤの代名詞でもある。

オディールを演じるライーサ・ストルチコーワ(1925-2005)

collection06_08.jpg

(PC-S-10)

ボリショイ・バレエ学校でペテルブルグの伝統を受け継ぐエリザベータ・ゲルトに師事して、1944年にボリショイ・バレエに入団。すぐれた演技力と叙情性をもち『白鳥の湖』『ジゼル』『ドン・キホーテ』などの古典、『シンデレラ』『青銅の騎士』など20世紀の物語バレエ、『春の水』『モシュコフスキーのワルツ』などのコンサートピースと、幅広いレパートリーで活躍した。「ソヴィエト・バレエ」誌の編集長、指導者としても才能を発揮した。

王子を演じるウラジーミル・プレオブラジェンスキー(1912-1981)

collection06_09.jpg

(PC-S-10)

1931年にワガーノワ・バレエ学校を卒業し、GATOBに入団。ダイナミックなダンスール・ノーブルで、1942年にボリショイ・バレエに移籍してウラーノワ、オリガ・レペシンスカヤら、トップ・バレリーナたちのパートナーを務める。1957年のボリショイ・バレエ初来日公演でもレペシンスカヤとイリーナ・チホミールノワのパートナーとして『白鳥の湖』第2幕、『シンデレラ』『ワルプルギスの夜』『春の水』などを踊って喝采を浴びた。

4.    20世紀のヨーロッパのスターたち

1929年のバレエ・リュス解散後、所属ダンサーたちは欧米各地に活躍の場を移し、新たな団体に所属して世界にバレエを広めた。中でもバレエ・リュスのダンサーやレパートリーを引き継いだ「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」は、たびたび名称や主宰者を変えながら長く存続し、世界各地に巡業して人気を集めた。

オデットを演じるアレクサンドラ・ダニロワ(1903-1997)

collection06_10.jpg

1930年代(PH-D-058-03  ©Maurice Seymour)

1921年にGATOBに入団。1924年にバランシンらとともにパリでバレエ・リュスに入り、後期バレエ・リュスの人気バレリーナとなった。1933年よりバレエ・リュス・ド・モンテカルロとその派生団体で踊り、1950年代には各国のバレエ団に客演。1957年に日本で引退公演を行った。19世紀の帝室バレエの伝統を受け継ぎ、ゴージャスでウィットに富むバレリーナで、オデット/オディール、オーロラ姫、スワニルダ、『パリの喜び』の手袋売りの娘などを当たり役とした。

オデットを演じるイリーナ・バロノワ(1919-2008)

collection06_11.jpg

1930年代。1942年のサイン入り(PH-C-11-043ws  ©Maurice Seymour)

ペトログラードで生まれ、パリでプレオブラジェンスカヤに師事した。1932年、13歳で「ベイビー・バレリーナ」の一人としてバレエ・リュス・ド・モンテカルロにデビュー。オデット/オディール、オーロラ姫、ニジンスカ振付『千の接吻』などで高い評価を得た。1940年代にアメリカン・バレエ・シアターの前身「バレエ・シアター」やバレエ・リュス・ド・モンテカルロの派生団体、映画やミュージカルにも出演した。20代で引退し、後にイギリスで指導者として活躍している。

写真提供:兵庫県立芸術文化センター 薄井憲二バレエ・コレクション