ナデジタ.L. ルジーヌ Text by Nadejda L. LOUJINE
監修/今井 美樹 Miki Imai 訳/香月 圭 Kei Kazuki

クラシック・バレエとキャラクターダンスその4:メヌエットについて

キャラクター・ダンス講座 第6回
クラシック・バレエとキャラクターダンスその4:メヌエットについて

ブロッサール大修道院長だった、ある一人の司祭こそ、メヌエットについて最初に思い浮かぶ人物です。彼の話によれば、この踊りはフランス中西部のポワトゥーで生まれたとされます。メヌエット(menuet)という名前は、細かく(menus)ぎっしり詰まったステップに由来するそうです。

メヌエットの基本のパ(ステップ)は、すべての方向への移動がスムーズにいくよう、比較的単純に構成されています。 

「体は左足に支えられたまま、左脚をプリエしてドゥミ・ポワントで軽やかに上に伸びる。右脚がその後に続き、左のかかとの横に伸ばす。左右のつま先は、アン・ドゥオールで。そのとき右足のドゥミ・クペを行い、左脚でもドゥミ・クペをする。次に、かかとを下ろさずにドゥミ・ポワントで2歩前進し、右に2歩、左に2歩歩き、最後にかかとを下ろす。」
[【文末脚注】(1)を参照のこと]

メヌエットの基本ステップの解説は、シャルル・コンパンの舞踊辞典(1786,1781年)に初めて見られますが、その内容を現代の言葉に置き換えると、以下のようになります。

1501chara.gif リュリ作曲、ラウール=オージェ・フイエによる舞踊符『男性一人と女性一人のためのメヌエット』の複製

【図版中の文章】『男性一人と女性一人のための二人のメヌエット』兄のデュ・ムーラン氏とヴィクトワール嬢によってリュリ氏作曲のバレエが踊られる。

メヌエットは特に、17世紀末から18世紀の間、フランスで流行しました。かくしてルイ14世、ルイ15世、ルイ16世の治世下でメヌエットが踊られていました。
ルイ14世のダンスの先生の一人だったルイ・ペクール [【文末脚注】(2)] は、リュリの音楽に振付けられたメヌエットを初めてバレエに導入したと言われています。
ペクールは、この踊りの振付の元々の「Z」(フランス語アルファベットの最後の文字)型の構図を、14番目のアルファベット「S」型に変更しました。「S」型の踊りはより優美に、より魅力的に繰り返されるようになりました。

メヌエットには、気品と素朴さ、そして優美さが同時に要求されます。跳ばないことを意味する、いわゆる「足が床から離れない」踊りの一部を成しています。リズム構成は3拍子となっています。メヌエットの決まった「パ」のアンシェヌマン(複数のステップがつながった一連の動き)も、4部構成となっており、各部がつながっているために、4小節ではじめて一区切りとなります。小節の数は常に4の倍数で、メヌエットの完全な「パ」を終えるためには4小節が必要なのです。楽器の伴奏者は、この音楽を司る役目を明確にすべく、リズムを維持して踊り手を補助しなければなりません。 

メヌエットは、ガヴォットの構成と非常に似ており、宮廷で催される舞踏会の際に、ガヴォットに代わって導入部の舞曲として用いられるようになりました。原則として、メヌエットは「サラバンド」の後と「ジーク」の前に置かれていました。

有名なメヌエットの一つは、モリエールの『町人貴族』で用いられたもので、主人公ジュルダン氏を踊らせるために作られたメヌエットです。[【文末脚注】(2)]

19世紀の間、メヌエットは社交界のサロンで再び流行しましたが、その振付は、例えば『ドン・ジョヴァンニ』のメヌエットのように演劇の演出を過度に模倣したものでした。あまりにも複雑な振付を踊ることができないアマチュアの人々に、メヌエットを踊る気力を失わせてしまうことになったのでした。
ジョルジュ・デスラは1895年の『舞踊辞典』で次のように力説します。「劇場で用いられる姿勢や腕の動きは、サロンでは同じ効果をもたらさない」。

元々、メヌエットは一組のカップルで踊られていました。後に、何名かの舞踊の教師たち、正確にはジョルジュ・デスラなどは、もう一組の踊りを創作し、二組のカップルを正面で向かい合わせました。この「新しい」メヌエットにより、フランスのコントルダンス(男女の複数のカップルが対面する舞曲)が発展することになったのです。そのコントルダンスはまた、イギリスのカントリーダンスに想を得ているのですが、それはまた別のお話です…。

【文末脚注】(1)ここでは、理解を妨げる文章の部分を承知の上で削除し、すべて現代フランス語で書き換えた。
【文末脚注】(2)ルイ・ペクールは1653年8月10日パリに生まれ、1729年4月12日パリで没する。ピエール・ボーシャンに師事、1671年モリエールのバレエ『プシュケー』(リュリ作曲)にてデビュー。1687年、師ピエール・ボーシャンの後を継ぎ、王立音楽院のバレエ振付家に任命され、オペラ座や宮廷、そしてイエズス会のコレージュであるルイ=ル=グランのために多数のバレエの制作にあたる(Wikipedia 2014年5月)。ラウール=オージェ・フイエは、ペクールを「最も完璧なダンサーの模範」と評したが、そのフイエ自身は1700年から自分の振付を出版した。音楽院のダンサー、ミシェル・ゴドローが1712年から1721年まで振付の舞踊符の出版を続け、その後はもう一人の舞踊教師ジャック・ドゥゼに引き継がれ、1728年まで出版が続いた。(2014年5月Wikipediaより)

[筆者紹介]
ナデジダ・L・ルジーヌ Nadejda L. Loujine

現在、ゲルシー・カークランド・アカデミー(New York)、ゲスト教師。ジョフリー・バレエ・スクール(New York) ゲスト教師。
元パリ・オペラ座バレエ学校教師。
パリ・オペラ座バレエ団、ジャン=ギヨーム・バール振付『泉』のレ・ダンス・コカジエンヌ(コーカサスの踊り)振付助力。テアトル・デュ・ソレイユ 教師および振付アドバイザー アリアーナ・ムーシュキン演出『Les Naufrages du Fol Espoir』。バルセロナ・オペラ座 Grand Teato del Liceo  『スペードの女王』振付・指導。その他、モリエールをはじめ、多数の演劇作品に振付。
Chevalier des Arts et des Lettres受章。
著書  「ダンス・ドゥ・キャラクテール」アンフォラ社
URL www.dansedecaractere.com