荒部 好

『ルドルフ・ラバン』

ルドルフ・ラバン/著、日下四郎/訳

 ルドルフ・ラバン、と言えば、ラバノテーションという有名な舞踊譜(ダンス・ノテーション)を創った人、あるいは、新しい自由な表現による舞踊を創った人で彼の門下からはマリー・ウィグマンやクルト・ヨースなどの舞踊家が輩出している、といったことはよく知られている。
 しかし近年は、労働モデルのデザインやロボットのプログラム、アニメやCGキャラクターの動作生成などにも応用範囲が広がっている、ラバノテーションがどのような背景から生まれたのか。または、ラバンはどのような事象に関心を持ち、どのような人生を送ったのか、もっと言えばラバンはどんなダンスを創ったのか、といったことは、現状ではほとんど語られていないのではないだろうか。
 この「唯一の自伝」といわれる1冊が刊行されたことにより、日本のモダンダンスの空白のひとつが明らかになった、私はそんな気がする。
ラバンはまず冒頭で、映画の都ハリウッドで言われたことを紹介している。
「あなたが一年かかってやっていることを、我々ならたった一日で片づけてしまいますよ。・・・・それに稼ぐお金もたっぷり。まあ物真似じみたつまらぬ仕事はやめて、さっさと映画をお作りなさいよ」
 当時隆盛を誇ったハリウッドの映画関係者から、毎日舞台に出て少数の観客を相手に悪戦苦闘して踊っていても、観る人は限られている。フィルムに収めれば世界中のあらゆる人々に見せることができるじゃないか、とラバン言われたわけである。
 これに対してラバンは言っている。
「ところが舞台芸術というと、残念ながら、いやむしろ幸いなことに、撮影機で捉えることも、加工して保存しておくこともできない。ダンサーがステップを踏んで跳躍した瞬間、もう機械の捉える視野からはみ出してしまうし、すばやい回転をしたらしたで、愚かな機械にはなんだか形のない雲かなんぞが舞っているとしか映らないだろう・・・」
 むろん、現在はテクノロジィが飛躍的に発達しているので、<雲>が映ることはない。また逆に、ダンスを映像に収めることによって新しい創造的視野を持つことができることは言うまでもない。
 こうした文章を読むと、ラバンは<映像ではダンスを捉えることはできない>と思っていたことがよく解る。こうした身体運動への繊細で正確な認識が、後年、ラバノテーションという膨大な理論を形成する背景にあったのではないだろうか。





『ルドルフ・ラバン』
新しい舞踊が生まれるまで
ルドルフ・ラバン/著
日下四郎/訳
大修館書店 刊
2,426円 (本体価格 2,310円)