荒部 好

『マダム貞奴 世界に舞った芸者』

レズリー・ダウナー/著、木村英明/訳
 マダム貞奴は、芸者として人気を集め、伊藤博文などに贔屓された。しかし、当時オッペケッペ節で一世を風靡した書生芝居の座長、川上音二郎と結婚して、苦労してアメリカに渡り、ここで飢え死にしそうになるが奇跡的に成功を収めた。その後もパリ万国博覧会でも人気を博した。
 川上一座のアメリカやパリの興行では、その頃のジャポニズム盛んだったこともあり、貞奴は日本舞踊や女優として絶大な人気を集め、大スターとなった。結局、川上一座は、日露戦争を挟む1899年から1908年の間に、3回欧米旅行を敢行している。
 その間、ロイ・フラー、ダンカンなどと興行で関わったり、ロダン、ドビュッシー、ピカソ、アンドレ・ジッドなどの芸術家が、貞奴の舞台を絶賛した。
 また、川上座や大阪の帝国座などの日本で初めての近代的な劇場を設立したり、女優の養成所を創設した。川上音二郎の死後、舞台を引退したが、初恋の人だった福沢諭吉の女婿の桃介とともに暮らし、その実業界での活動を支えた。

 貞奴の生涯の大雑把なアウトラインはそんなところだが、この『マダム貞奴 世界に舞った芸者』は、世界中の資料を渉猟し、呆れるほど執念深く貞奴の生涯を追っている。従来は、日本国内の資料に依拠した評伝が多かったのだが、レズリー・ダウナー(英国の作家だが芭蕉ついての著作があり日本語も達者)は、英、米、仏はもちろん、川上一座が訪れた各地の新聞雑誌などを駆使して、当時の現地の描写を含めてその活動や日常の様子を活写している。

 さらに刮目すべきは、ダウナーが、日本の深奥というか外国人には最も理解し難く、今では多くの日本人の心象から消え去ろうとしている芸者というものの文化、その存在の意味を注意深く観察し、丹念に理解して報告している点である。この 日本の文化への深い洞察力によって初めて、貞奴がなぜスーパースターになったか、が説得力をもって語られることになる。ここにこの一冊の価値があると言っていいだろう。

 ダンスファンとしては女優貞奴と、興行家としてのロイ・フラーとの深い関わり、若き日のイサドラ・ダンカンがともにツアーを行ったことなどが注目点となるのかもしれない。
 しかし、なんといっても貞奴が川上音二郎とともに敢行した破天荒きわまるアメリカ行き、その悲惨と栄光のあたりは、超おもしろくて、ページを閉じるのが惜しまれて電車を乗り越す。車内で読みふけっていても、思わず吹き出し、発声し落涙して、汗顔の思いだったが、音二郎の気持ちになればなんのこともない、と思いいたったこともあった度々あった。
 久しぶりに300ページ以上の一冊を一挙に読み終えた。



『マダム貞奴 世界に舞った芸者』
レズリー・ダウナー/著
木村英明/訳
集英社/刊
2,625円  (本体価格2,500円)