荒部 好

『おもいつ記』

小林一三 著

 小林一三は、1873年山梨県に生まれ、阪急電車の前身から創設に参加し、宝塚歌劇団、阪急百貨店、東宝映画などを設立経営。戦前に商工大臣、戦後に国務大臣を務めたため、公職追放されるが、解除後には東宝に復帰し社長となった。
『おもいつ記』は、宝塚歌劇団の生みの親、小林一三が1946年(昭和21年)5月号から1957年(昭和33年)まで、雑誌『歌劇』に連載した「おもいつ記」の全文を収録している。

「清く、正しく、美しく」を理想に掲げ、宝塚歌劇団を設立した小林一三が、大所高所に立ちながら宝塚のあり方を、かなり辛辣にかつ愛情をこめて優しく綴った文章で、戦後の演劇の変遷と世相の変化を巧まずして映していてまことに興味深い。
 戦後すぐは、大河内伝次郎を始め、長谷川一夫、入江たか子、山田五十鈴、原節子、高峰秀子などのスターも動いた東宝争議に関連した防共的な発言が多く見られる。
 しかし文章の多くは、観客への真摯な視線を常に忘れず、読者からの手紙をたいへん丁寧に扱い、宝塚の舞台の細部にわたって具体的に意見を述べているのが目につく。そして宝塚や舞踊、演劇に限らず、舞台芸術全般への該博な知識には驚かされるが、意見の内容は具体的かつ積極的である。
 また、通常だと敢えて公開しないような宝塚への痛烈な批判の声にも率直に耳を傾け、誌面にそのまま掲載している。
 宝塚への男性団員の導入の話題もしばしば語られている。また、東京に進出した際、猛烈なファンが押し掛けたが、こんな騒ぎを起こしていると、必ず警察方面の取り締まりを受け干渉されるに違いない。という内容の読者の手紙に対して
「私は東京のファンの御連中に御願いする。我が宝塚を可愛がっていただくことは実に嬉しいですけれど、度を越えて騒いだり、同じものを何度も御覧になって、お宅の御両親や保護者からお叱言を言われるようになると、結局、贔屓のひきたおしで、もう宝塚に行ってはイケマセンと封じられてと宝塚も困りますから、同じものを二度見るというようなことをやめて、おとなしく上品に可愛がって頂くことをお願いいたします。」と書いているところなど、ファンの動向はいつの時代も同じながら、今から見るとのどかな感じもする。
 小林は、常にポピュラーだがクオリティの高い舞台を厳しく追求し、赤字も恐れていない。この明快な理想主義が、近代の日本を代表する舞台芸術を花開かせたに違いない。

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『おもいつ記』
小林一三 著
阪急コミュニケーションズ 刊
定価:2,100円
(本体価格2,000円)