(荒部 好)

禁じられた演劇『貞奴物語』

森田雅子 著/ナカニシヤ出版 刊
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川上貞奴はまず芸者として名を上げ、伊藤博文などにも贔屓された。後に、オッペケペ節で知られる壮士芝居の座長、川上音二郎と結婚。川上一座とともにアメリカ公演、ヨーロッパ公演を敢行し、困苦を究めた末に奇跡的な大成功を収めた。評者によっては、1900年初頭、世界的に名を馳せていたサラ・ベルナール(仏)、エレン・テリー(英)、エレオノラ・ドゥーゼ(伊)にも比肩しうるあるいは優る名女優として礼賛された。
貞奴は、夫の川上音二郎を病で亡くすと、初恋の人だった福澤桃介と同居する。桃介は福澤諭吉の女婿で妻の房が健在だったため、貞奴は囲われものという存在だったが、実業家、電力事業者としての桃介の活動を献身的に支えた。

貞奴は一時、大成功を収めた新帰朝者として国内でも大いにもてはやされるが、当時の日本には、今では想像し難いのだが、「女優」という存在はなかったし、芸能者、とりわけ女性の大衆芸能者は社会的に厳しく蔑視されていた。
そのために貞奴の後半生は様々な波瀾が生じることとなる。

『貞奴物語』の著者は、既に刊行された多くの伝記類と異なり、時間的に貞奴の生涯を追わない。まずは、演劇と教育や芸者と女優といった問題を論じ、貞奴を研究する趣旨を語っている。
次に、晩年の貞奴が岐阜県各務原市に建立した成田山貞照寺(ていしょうじ)に残された「貞奴八霊験」の物語の分析を行う。この寺は、歌舞伎の市川宗家の菩提寺である成田山新勝寺の不動尊信仰を共にしている。
筆者は、貞照寺にまつわる建築物や絵画、彫り物などを図像学的、文化社会学的に分析し、西洋の教会の影響なども見ている。しかしやはり、「大衆芸能者」として日本の社会と対峙した貞奴が、波瀾に富んだ自身の人生をどのように捉えていたのか、といった分析が興味深い。
筆者はさらに、大正デモクラシー時代の教育家、澤柳政太郎、軍部の意向に沿った教育改革を行った文部大臣、岡田良平、アカデミズムから日本演劇の改革に取り組んだ坪内逍遥、慶応義塾大学の設立者、福澤諭吉、その養子で「電気王」といわれた福澤桃介、そして演劇改革を提唱し、「川上児童楽劇團」の活動を勧めた川上音二郎、貞奴夫妻が交錯する時代へと論を進めていく。
なかなか難解な部分もあるが、その分析と認識は深く鋭い。単なる評伝にとどまらず、非常に読み応えのある一冊である。

禁じられた演劇『貞奴物語』
森田雅子 著/ナカニシヤ出版 刊 定価3,360円(本体価格3,200円)