守屋光嗣 text by Koji Moriya
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ギエムとマリファントの『PUSH』
2005年9月のセンセイショナルな初演以来、ロンドンで3回目の公演となったシルヴィ・ギエムとラッセル・マリファントのコラボレイション、『PUSH』(サドラーズ・ウェルズ劇場)。全く同じ構成による3度目の公演ともなれば、常に変化しつづけるギエムとはいえ、多少なりともマンネリ気味に感じるのではと思っていた。が、実際の舞台は、すべての演目がまるで初めてみたかのように新鮮だった。
初演時の、ポスト・パフォーマンス・トークでのギエムの発言が思い出された。「ラッセルはいつも振付けを変えるのよ」。その言葉の通り、マリファントのソロ、『Shift』以外の3演目、『Solo』、『Two』そして『PUSH』は程度の差こそあれ、変更が加えられていた。
とりわけ印象が強かったのは、『Solo』。もともと、古典バレエ・ダンサーとしてのギエムを表現する振付だ。抽象的な振りなので、特にどこが顕著に変わったと指摘するのは難しいが、「表現者」であると同時に「ダンサー」としてギエム自身が過去から未来へと向かっているのを感じた。言い換えると、いつまでも柔軟さを失わないギエムらしさを以前よりも鮮明に感じた。公演全体として、舞台上に「熟成」と「進化」が同時に存在しているようだった。
昨年のインタヴュー時に、サドラーズのスポルディング芸術監督が触れていたギエムとの新しい企画は、どこまですすんでいるのか、現段階では発表されていない。が、仮に、またマリファントとのコラボレーションになったとしても、充分、刺激と驚きに満ちたものになるのではないかと想像する。
ちなみに、別項でふれる、ロイヤル・バレエの2007/08シーズンのプログラムが発表された時に、モニカ・メイソン監督から、2007/08シーズン、ギエムがロイヤル・バレエで踊ることはない、と発表されたようだ。シルヴィ・ギエムという稀有なダンサーがどこに向かっているのかを知っているのは、ギエム本人だけだろう。
『PUSH』
シルヴィ・ギエム、ラッセル・マリファント
コジョカルとコボーの『オネーギン』:ロイヤル・バレエ
2004年の初夏以来、約3年ぶりにロイヤル・バレエはジョン・クランコ(1965年)の『オネーギン』を上演した。先月号のインタヴューで、モニカ・メイソン監督が強調していたように、01年にカンパニーのレパートリーに加えられて以来、上演のたびに、ロイヤル・バレエの魅力を余すことなく伝える演目になってきているように思う。
2001年の初演時、ファースト・キャストのうち、オネーギンとレンスキーがゲスト・ダンサーだった。そのことを思うと、今回もまたロイヤル・バレエのダンサーだけで、バレエ団とダンサーたち双方に要求されるレヴェルが高い『オネーギン』が、観客からも、批評家からも高く評価されたことに、ロイヤル・バレエの現在の充実振りは明らかだろう。
『オネーギン』は、日本でも何度も上演されているようなので、ご存知のバレエ・ファンも多いことと思う。全体を通して、主要カップルからキャラクター・アーティストにいたるまで、すべての登場人物が舞台に彩りを加えている。例えば第1幕第1場での、ラリナ夫人(タチアナとオルガの母親)のちょっとした仕種から伺える彼女の性格描写は、一瞬のシーンにもかかわらず、その描写によって、物語の時代設定への理解が深まるようだ。
第1幕
タチアナのアリーナ・コジョカル
第1幕
オルガのサラ・ラム(中央)
ただ、いく人かの批評家が指摘している、振付のバランスの悪さ、という点は今回も考えてしまった。例えば、第3幕のオネーギンとタチアナの最期のパ・ド・ドゥは、振付がプーシキンの原作に拮抗していない。一方で、第1幕第2場の鏡のパ・ド・ドゥでは、振付と原作がしっかり結びつき、『オネーギン』というバレエでのみ表現できる、特別な物語が舞台上で紡がれている、そんな印象がある。
今回の上演では、主要4役には4キャスト組まれた。そのうち、都合でアリーナ・コジョカル(タチアナ)とヨハン・コボー(オネーギン)が踊った3回のみ観ることが出来た。コボーが怪我で長期間舞台から遠ざかっていたこともあって、コジョカルとコボーによる全幕は、ロンドンでは昨年春の『眠れる森の美女』以来だった。この二人のパートナリングは、舞台で燦然と煌く宝石のように光を放っていた。第1幕の鏡のパ・ド・ドゥでは、3回目ともなれば次にどんな動きが続くのか判っているにもかかわらず、コボーの全く自然なサポート、それによって宙を舞っているかのように、タチアナの喜びをほとばしらせるコジョカル。二人から眼が離せなかった。信頼なくして、あのパートナリングは生み出されないだろう。
コジョカルが初めてタチアナを演じたとき、幼さの残る彼女の容姿を気にするむきもあった。が、数々の「物語バレエ」を踊りこなしてきた経験は、確実にコジョカルの演技力を深めている。読書に没頭する少女から、成熟した大人の女性への演じわけは、とても自然なものだった。演技という点では、第1幕第1場、オネーギンに背後から突然高く抱き上げられた時に見せた表情がとても鮮烈だった。恋に憧れながら踏み出すことが出来なかったタチアナ。そんな彼女に、不意に訪れた現実の恋への戸惑い、不安、隠し切れない喜び、そしてその喜びをどう受け止めていいのかの迷い、そんな渾然となった感情を、一瞬で表現するコジョカル。ロイヤル・バレエの堂々たるプリマ・バレリーナだ。
前回の上演時、コボーが演じるオネーギンは、洗練されすぎていたように感じた。しかしながら、今回はコジョカル同様、オネーギンという人物の内面の演じわけが、際立っていた。第2幕での、自己への「過信」。そして、最終幕、結局、何も得ることが出来なかった自身への「落胆」。舞台にいたのは、オネーギン本人のようだった。
第1幕 第1場
コジョカル、コボー
第1幕 第2場
コジョカル、コボー
第2幕 コボー
第2幕 コジョカル
初日の3月16日のオルガは、プリンシパルのサラ・ラム。残りの2回はカロリーヌ・デュプロ。レンスキーは、イヴァン・プトロフが3回とも演じた。
ラムは、今回がロール・デビュー。技術的には、ラムは申し分ないのだが、オルガを演じるには彼女はクールすぎるように感じた。タチアナのほうがラムには合っているように思うので、次回の公演でキャストされれば楽しみだ。
デュプロは、プリンシパルのラムと比べると、技術的には見劣りするのは否めない。しかし、彼女のコケティシュな容貌は、オルガにはうってつけだ。デュプロが演じるオルガからは、「恋の駆け引き、鞘当って何かしら?」、という天真爛漫さがストレートに伝わってきた。それによって観客は、タチアナとオネーギンのカップルの悲しみを、より深く感じることが出来たのではないかと思う。
16日のプトロフは、とても不安そうに見えた。第1幕、自身のソロ・パートでの跳躍では、着地のたびに、どうしても膝が逃げていた。1年も舞台から離れる怪我の後では仕方ないことだろう。ただ、回を重ねるたびに、安定感は増していった。レンスキー役への取り組みもとても自然なもので、好感が持てた。今後の課題は、パートナリングの勘を取り戻すことだろう。
サラ・ラム(オルガ)、
イヴァン・プトロフ(レンスキー)
第3幕 コボー
第3幕 コジョカル、コボー
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