守屋光嗣 text by Koji Moriya
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『白鳥の湖』:過ちを許す美しさ

  今シーズン、ロイヤル・バレエはチャイコフスキーの3大バレエのすべてを同じシーズンに上演する。既に、『眠れる森の美女』と『くるみ割り人形』は終了し、残る『白鳥の湖』が2シーズンぶりにロイヤル・オペラ・ハウスのステージに戻ってきた。先月号でお知らせしたように、ロイヤル・バレエはウェブ上で『白鳥の湖』を上演にいたる為に携わる多くの人々を紹介するなど、古典バレエへの理解を広めようとする努力をしているようにだ。
『白鳥の湖』に限れば、チケットが売れ残る心配はなく、今回も早々にすべての公演が売り切れになった。プロダクションは、ロイヤル・バレエ前監督のアンソニー・ダウエル卿が、1986年に監督になって初めて演出したもので、制作されてから既に20年も経っている。が、年月をどうこう言うよりも、主役を踊るダンサーの技術と演技力、カンパニー全体の実力を知るために、そして古典バレエの魅力を味わうには、バランスの取れたプロダクションだと思う。



カルロス・アコスタ(ジークフリート)

カルロス・アコスタ

ローレン・カスバートソン、サラ・ラム

 昨年2月のプリセツカヤ・ガラに出演した際に怪我をして以来、およそ1年間舞台から離れていたイヴァン・プトロフが復帰を果たしたという嬉しいニュースで始まった今回は、4組のプリンシパル・カップルがキャスティングされていた。中でも、二人いるスペイン出身のプリンシパル・バレリーナのうち、セナイダ・ヤナウスキーのオデット/オディールの解釈は、前回の上演時よりも更に深みを増したようで、大変見応えがあった。補足しておくと、以前、ある雑誌のインタヴューで本人が語っていたところによると、ヤナウスキーの祖父母は東欧出身だが、彼らはカナリー諸島に移住したとのこと。ヤナウスキーは身体的には彼らの血を濃く受け継いでいるようだが、本人曰く彼女は「スペイン人」だそうだ。



ローレン・カスバートソン、サラ・ラム

第2幕

ロホ(オデット)、アコスタ(ジークフリート)

 カンパニーきっての演技派として、また卓越した、安定感のある技術で、既にロンドンでは高い人気を誇るヤナウスキー。今回、まず目を引いたのは、ターンするときに背中をギリギリまで溜める動き。特に第2幕では、その動きによって語られるオデットの揺れ動く心がより鮮明に、そしてより細やかに表現されていた。更に腕の、そして指先の動きだけで表現してみせたオデットの悲しみと苦悩には言葉も無く圧倒された。表情からは、呪われた運命に負けまいとする意思を感じさせながら、儚げな指先の幽かな動きでジークフリートに求める、叶うかどうかも判らない愛。
 対照的にオディールで見せた、ジークフリートだけでなく、ロットバルト以外のすべての存在を傷つけることを全く躊躇わない妖艶な冷たさ。華やかな技術、という点ではタマラ・ロホやアリーナ・コジョカルには少しばかり引けを取る。が、『白鳥の湖』というドラマの要となる、オデットとオディールの演じ分け、キャラクターへの理解という点では、ヤナウスキーが抜きん出ているように思う。



ロホ(オデット)、アコスタ(ジークフリート)

タマラ・ロホ(オデット)

タマラ・ロホ(オデット)


タマラ・ロホ(オデット)
 すべてが収束する第4幕、ヤナウスキーのオデットは、ジークフリートが犯した二つの過ちを許したように見えた。第2幕、オデットの手を離してしまったこと。そしてオディールとオデットを間違えてしまったこと。我が身を投じる刹那、ジークフリートが請うた許しを受け入れたオデットの、可憐な羽ばたきが見えたようだった。

 ジークフリートは、デンマーク・ロイヤルからケネス・グレーヴ。ロットバルトは、ゲスト・プリンシパル・キャラクター・アーティストのウィリアム・タケットが演じた。ヤナウスキーとは前回の『白鳥の湖』、更に『マノン(マクミラン)』で組んでいるグレーヴは、今回も安定したパートナーリングだった。特に第2幕のパ・ド・ドゥで、あと少し遅れたらオデットが舞台に衝突するギリギリの所で支える絶妙なタイミングからは、両者の信頼の深さが伺えた。グレーヴは、若干、体が重くなったようにも思えたが、ヴェテランらしいそつの無い演技、安定した技術は、ロイヤル・バレエの若手ダンサーの手本になるだろう。


ロホ(オディール)、アコスタ(ジークフリート)

セナイダ・ヤナウスキー(オデット)

セナイダ・ヤナウスキー(オデット)

 今回も彼がユニークな存在に見えたのは、ジークフリートをどう演じるか、という点。ダウエル卿の演出では、マザー・コンプレックスがジークフリートの性格付けの鍵に思える。多くのダンサーはこの点をさらっと流してしまう、もしくは演じきれていないことが多い。
が、グレーヴのジークフリートは心底、情けなかった。常に母親からのプレッシャーから逃れようともがき苦しんでいるようだった。だからこそ、最後、ジークフリートがオデットを追って身を投げる場面は、彼の精神的な成長の結果と捉えられなくもない。こじ付けが過ぎるかもしれないが、変に現代的な要素を持ち込まなくても、古典バレエそのものが現代に通じる普遍性、柔軟性を持っている証のように感じた。

セナイダ・ヤナウスキー(オデット)

 ソリストやコール・ドの踊りの水準は高かったのだが、ヤナウスキー、グレーヴ、タケットの三人が創りだす場の力が強すぎて、他のダンサーたちがかすんでしまった舞台だった。
 ヤナウスキーが全幕の主役を踊る機会は、本拠地ロンドンですらとても少ない。「ガゼル」のようと例えられるすらっとした長身はヤナウスキーの大きな魅力だ。が、それは同時に彼女に合った長身のパートナーを見つけるのが難しい、ということでも有る。過去数シーズンでは、ヤナウスキーが全幕の主役を踊ったのは『白鳥の湖』、『マノン』、『シルヴィア(アシュトン)』の3演目だけだ。先ごろ発表された2008年7月の日本公演の予定演目に『シルヴィア』が入っているので、もしかすると日本にいるバレエ・ファンが彼女の全幕を見ることが出来るかもしれない。また、今年の5月にも2回、グレーヴと一緒に『白鳥の湖』を踊る予定になっている。



セナイダ・ヤナウスキー(オデット)

ヤナウスキー(オデット)、グレーヴ(ジークフリート)

 カンパニーのもう一人のスペイン人プリンシパル・ダンサーは、タマラ・ロホ。筆者が観た夜は、コンサート・マスターが怪我で欠場した影響か、オーケストラが全く精彩を欠いていた。特に第2幕のオデットのソロで、突然テンポが落ちた時は、ほんの数秒だがオデットの動きが旋律から外れてしまった。病気、怪我でダンサーの交替も多かった夜で、コール・ドのアンサンブルも安定していなかった。第3幕の終了直前、オディールを抱え上げるコール・ドの男性がロホを落としかけた場面には、どきりとさせられた。
 そんな状況で、ロホは自分が演じる役を完璧以上に見せ、芸術としてのバレエ、娯楽としてのバレエで観客を大いに興奮させた。個人的には、オデットの腕の動きがかなり鋭角的な所に違和感を覚えた。しかしながら、第3幕でみせた、「技術一辺倒」という言葉をねじ伏せてしまうほどの技術を惜しげもなく繰り出すロホのオディールは、人間を超越した存在というオディール像として正しい解釈だった。
ジークフリート(カルロス・アコスタ)とのパ・ド・ドゥでみせた、本当に5秒間、全くぐらつかなかったバランスに、観客は驚きのあまり拍手出来ずにただ舞台を観つづけるだけだった。そして、32回転のフェッテでは、自信に満ちた笑みを絶やさず、ぐらつくこともなく、軸が動くこともないまま4度、4回転を織り込んだ。



ヤナウスキー(オデット)、グレーヴ(ジークフリート)

ヤナウスキー(オデット)


ヤナウスキー(オディール)
 ロホも、5月に相手を替えて2度踊ることになっている。また、ロンドンでは未だに『白鳥の湖』でだけ相応の評価を得ていないコジョカルが3度、さらにカンパニーの思惑が気になる、ローレン・カスバートソンとルパート・ペネファザーの「イギリス人」カップルがロール・デビューを果たす予定になっているなど、話題は盛りだくさんだ。



サドラーズ・ウェルズ・サンプルド:サドラーズの新しい試み

 2月2日から4日までの3日間、ロンドンのサドラーズ・ウェルズ劇場で、「Sadler’s Wells Sampled」と銘打った特別なプログラムが上演された。
 プレス・リリースによると今回の様式は、ニュー・ヨークのシティ・センターで毎年催される「Fall for Dance」を参考にしたとのこと。各日、2月から春先までサドラーズ・ウェルズ劇場、及びピーコック・シアターでの上演が予定されている様々なパフォーミング・アーツをいろいろと紹介する、というもの。パリ公演の初日を数日後に控えていたアメリカン・バレエ・シアターからもアンヘル・コレーラとジリアン・マーフィーが参加し、『白鳥の湖』の第3幕の黒鳥のパ・ド・ドゥで観客から盛大な喝采を受けたそうだ。



プログラムのオフィシャルフォト

フラメンコのエヴェ・イェルバボエナ

 サドラーズは、純粋なバレエやダンスだけを取り上げることに特化しているわけではないので、今回のように異なる演目が並ぶと、普通だったら観にいくことすら考えないであろうパフォーマンスに接して、新たな魅力を発見できる楽しさがあった。反面、不得手な分野がさらにお近づきになりたくない、という危険性もはらんでいる。筆者にとって前者の好例は、タップ・ダンスのジェイソン・サミュエルズ・スミス。後者は、イスラエル出身のホーフェシュ・シェヒター(Hofesh Shechter)が振付けた、『Uprising』。コンテンポラリーの世界では有望だそうだが、踊りですらなかった。さらにに、コンテンポラリーに携わる振付家、ダンサーは、ダンスという表現手段は、悲しみと苦悩しか表現できないとでも思い込んでいるのではないかと危惧してしまう。観ている側が、思わず舞台に駆け上がり、表現する喜びを分かち合いたいという衝動に駆られるような、幸福感に溢れたコンテンポラリー・ダンスを観たいものだ。

 オムニバス形式で進む舞台は、演目と演目の間に進行役をつとめる人物がいた。初日は、サドラーズのアソシエイト・アーティストのJonzi Dが通常のサドラーズでは見る機会の少ない舞台側と観客の一体感を巧みに引き出していた。
 このプログラムをいっそうユニークなもの、またサドラーズ・ウェルズ劇場の新しい試みへの積極的な姿勢と思えた点が二つ有る。まず、このプログラム自体が、「PlayStation Season」という6ヶ月に及ぶ企画の一環で、劇場内部の数箇所にプレイステイションを使った企画が設けられていた。例えば、最新の手に持つタイプのプレイステイションの画面に表示されるステップを真似て、観客が劇場内のバーや、オープン・スペースで踊るといったもの。

「Uprising」


ランベールの『スワンプ』のイメージ
 二点目は、今回のプログラムに参加したカンパニーやパフォーマーによる観客参加型のワークショップが催されたこと。参加は無料だが、本公演のチケット(10ポンド)を購入するのが条件。イングリッシュ・ナショナル・バレエによるバレエ・クラス、「JUMP」の出演者によるテコンドー、ロイヤル・バレエの常任振付家に任命されたウェイン・マックグレガーが主催するランダム・ダンスや、ランベールによるコンテンポラリー・ダンスのワークショップなど。ワークショップに参加することで、観る側のそれぞれのパフォーマンスへの理解を深める機会になったように思う。
 チケットが、10ポンドということもあって、3日間ともほぼ完売だったようだ。このプログラムが今後も続くかどうかは今の時点では発表されていない。仮に続くとすれば、構成に関しては、変更されるべき点がいくつかあると思う。しかしながら、このような新しい企画を次々と発表するサドラーズ・ウェルズ劇場は、新たな変貌の時代を迎えているようだ。

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