●イギリス・ダンス雑誌、ダンス・ヨーロッパ 熊川哲也 巻頭インタヴュー
イギリスの月刊ダンス雑誌「ダンス・ヨーロッパ」最新号2005年1月号の表紙、巻頭特集を熊川哲也が飾っています。
Kバレエ・カンパニー、熊川哲也プロダクション『ドン・キホーテ』の公演写真、熊川のインタヴューが掲載されています。
1998年突如としてロイヤル・バレエ(RB)を去り、Kバレエ・カンパニーを設立。
その後ロイヤル・オペラ・ハウスでの特別公演(アンソニー・ダウエル記念ガラや2003年4月のヌレエフ記念プログラム)で何度か彼の姿を観ることはできましたが、
イギリスのダンスファンは「彼は一体、いま何をしているのだろう?」と疑問に思っているのかもしれません。
ダンス・ヨーロッパ編集長のエマ・マニングとのインタヴューでは生い立ちからロイヤル・バレエ学校入学への経緯、ロンドンの第一印象、
Kバレエ・カンパニーと今回の『ドン・キホーテ』プロデュースについて語られました。
ロンドンの第一印象は「雨ばかりで暗くて、食べ物はあんまり美味しくないし…」と熊川にとってあまりいいものではなかったようですが、
イギリスでの経験を振り返り、「すばらしいバレエの歴史を持つ国でキャリアを積むことができたこと、そしてその歴史の一部になることができたことは、本当にうれしい」と、
RB初の東洋人ダンサー/プリンシパルとして過ごしたイギリスでの日々を振り返っています。
1989年ブロンズ・アイドル(マカロワ版『ラ・バヤデール』)での衝撃デビュー(当時16歳)は、RB/イギリス・バレエの歴史を変えた瞬間だったことは間違いありません。
「ドン・キは自分のキャリアを作り上げた特別な作品です。ローザンヌ・コンクール ゴールドメダル、パリ国際コンクール、RBプリンシパル昇格。
とても思い出深い作品で、その素晴らしい思い出をずっと残したいんです」と『ドン・キホーテ』プロデュースにおけるその作品の特別性が語られました。
確かにローザンヌ・コンクール、ローザンヌ・コンクール20周年記念ガラや日本バレエ協会の公演で彼のバジルを観た時の感動は今思い出しても鳥肌が立つほど。
しかし熊川自身昔のVTRを見返して、「技術的なことはできたけど、役作りとしては全然。とてもアマチュアだ」批評しています。
今年32歳となり、ダンサー/芸術監督としてさらなる経験を積んだ今の彼だからこそできる『ドン・キホーテ』、いつかロンドンでその公演が実現する日をとても待ち遠しく思います。
熊川自身ローラン・プティの『若者と死』をいつかロンドンで公演したい演目として挙げています。
2004年7月ニューヨーク・リンカーンセンターでKバレエ・カンパニーとしてのデビューを果たした今、熊川の第2の故郷ロンドンでの公演が実現するのはそんなに遠い日ではないのでしょうか。
●アリシア・マルコワ (1910-2004) 逝去
イギリス・バレエの歴史において最も重要なバレリーナの一人、デイム・アリシア・マルコワが2004年12月2日バースの病院で逝去しました。享年94歳。
本名リリアン・アリシア・マークス、1910年12月1日ロンドン・フィンズベリー・パーク生まれ。
14歳の若さでディアギレフに見出され、アリシア・マルコワとロシア風の芸名でバレエ・リュスデビュー、
1925年にはジョージ・バランシン振付『ナイチンゲールの歌』のタイトルロールを果たします。
バレエ・リュス解散後はバレエ・ランベール(現ランベール・ダンス・カンパニー)、ヴィック・ウェルズ・バレエ(現ロイヤル・バレエ)で活躍。
1935年からはアントン・ドーリンと共にマルコワ・ドーリン・バレエを結成し、
のちのロンドン・フェスティバル・バレエ(現イングリッシュ・ナショナル・バレエ(ENB))へと発展させ、亡くなる当日までENBの総裁を務めました。
12月2日、ロイヤル・オペラ・ハウスでは『シンデレラ』の開演直前、芸術監督モニカ・メイスンが幕前でマルコワの訃報を報告。
ロイヤル・バレエの創始メンバーの一人であるマルコワの冥福を祈り『シンデレラ』初日公演は彼女のために捧げられました。 |
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