●「ダンス・アンブレラ2004」、マース・カニングハム85歳の新たな挑戦
10月5日、ロンドンの秋の大イベント、ダンス・アンブレラ(DU)2004(10月5日〜11月27日、ロンドンの6つの劇場で公演)が始まりました。その幕開きを飾ったのはマース・カニングハム・ダンス・カンパニー。昨年のカンパニー50周年を記念して
創られた『スプリット・サイズSplit
Sides』ほか2作品がバービカン・センターで上演されました(10月5日〜9日)。85歳のカニングハムはダンサーに支えられての舞台登場となりましたが、ダンスの新たな可能性を求める彼の信念とバイタリティーはその年齢をまったく感じさない強さがありました。
新作『スプリット・サイズ』では衣裳、照明、音楽、振付、美術がそれぞれ2種類ずつ用意されており、その公演が始まる際にさいころでそれらの順番と組み合わせが決められるという試みが非常に話題になりました。算数の確率の授業を思い出すようですが、32種類の違う組み合わせが可能だそうです。初日には、開演時にカニングハム自身による説明の後、英国コンテンポラリー・ダンスの象徴的振付家リチャード・アルストン、ショバン・デイビスらによってさいころが振られ“今晩の『スプリット・サイズ』”が決められました。
カニングハムといえば、ジョン・ケージ、アンディー・ウォーホールなどの巨匠の音楽家や美術家とのコラボレーションで有名ですが、今回のコラボレーターも興味深いものになりました。音楽を担当したのはイギリスのロックグループ、レディオヘッドとアイスランドのロックグループ、シガーロス。美術デザインは2002年のターナープライズ候補者だった写真家キャサリン・ヤスと19歳の美術学生ロバート・ヘイシュマンが担当。
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シガーロスは特性のポアントで作られた木琴を使用するなど音楽は興味深い部分もありましたが、音楽とダンスの相互関係を見ることが出来ないことに疑問を感じました。どの組み合わせでも作品として可能である、という偶然性を追求したカニングハムのコンセプトは非常に興味深いと思いましたが、何回もこの作品を観てそれぞれの違いを見ることが出来ないために、その特別性を感じることはできませんでした。32の異なる『スプリット・サイズ』は視覚的に興味深い現象かもしれませんが、音楽や照明がダンサーのムーブメントそのものに与える影響を排除し、ダンサーを動く駒として見ているような気がしてなりません。
カキカキと音が聞こえてきそうな機械的なカニングハム・テクニック----私的には人間味を感じることのできないこのテクニック/ムーブメントが苦手なせいか、振付として魅力を感じることができませんでした。コンピューターで自由自在に自分の写真の髪型や洋服を変えて様々な可能性を楽しむことができても、そこには本当の自分が存在しない気がするのと同様に、作品としての本当の姿がないように思えました。
昨年のテートモダンでの公演では「さすがカニングハム・カンパニー!」と思わせる非常に優れたテクニックが印象的でしたが、今年のカンパニーは新人ダンサーが多かったためか技術的な水準の低下が目立ちました。カニングハム作品はまさに身体の動きを究極的に追求したものの故にダンサーの動きの粗さが作品の印象を変えてしまっているような気がして、非常に残念でした。
(10月5日、バービカン・センター、ロンドン) |
●「ダンス・アンブレラ2004」、黒田育世がロンドンデビュー
今最も日本で注目される若手振付家、黒田育世率いるBATIKが『Side-B』(「TOYOTA
CHOREOGRAPHY AWARD 2003」受賞作品)と『SHOKU』(ソロバージョン)をザ・プレイスで上演(10月19・20日)。ダンス・アンブレラ(DU)&ロンドン・デビューを果たしました。公演最終日は<しばし離れている日本のダンスはどうなっているのか?>という面持ちで劇場に足を運んだ日本人の観客が目立ちました。
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『Side-B』 と『SHOKU』に共通するものとして、日本のホラー映画を連想させる不気味さ、おどろおどろしさ、人間の内面に潜む何かネガティブなもの、「少女・女であること」が挙げられます。黒のワンピースにスニーカー、髪を振り乱しながらの激しい動き、スカートを捲り上げて下着姿を露出するなど、ケースマイケルの初期作品(『ホップラ!』など)を思い起こさせます。しかしそれらが与えるイメージはケースマイケル作品からは決して感じることのできない、心にグサっと刺さるような苦しさ・痛みを覚えさせます。それは私自身が同世代の一日本人女性として特別に感じるものなのか、それとも作品自体が訴えかけるものなのか分かりません。取り付かれたように激しく足を踏みならしたり、身体を床に打ち付けたりの激しい断続的な動きは底知れないエネルギーと人間の持つ恐ろしさを感じさせます。ヨーロッパの振付家作品では見ることのできない芸が細かい演出(照明、緞帳や小道具(懐中電灯など)使い)は黒田の才能を物語るものに思えます。クラシックトレーニングの確実性を明らかに見せる黒田自身の踊りは、暴力的な動きの連続と不気味な雰囲気を漂わす作品の中でつかの間の安心感を覚えさせます。ふと見せるアームスやラインの繊細さは少女・女の秘める美しさ・もろさの象徴なのでしょうか? |
あるイギリスの新聞では厳しい評価が見られました。率直に言って、観る者の好き嫌いがはっきりと分かれる作品だと思われます。しかし黒田の作品が与えるインパクトの強さは確実なものであり、今後どのように発展するか見守りたい振付家の一人と言えるでしょう。(10月20日、ザ・プレイス、ロンドン) |