関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi
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モスクワ音楽劇場バレエ団の『白鳥の湖』と『くるみ割り人形』

 スタニスラフスキー&ネミロヴィチ=ダンチェンコ記念国立モスクワ音楽劇場が7年ぶりの来日公演を行った。2006年に本拠地モスクワの劇場が焼けてしまったそうだ。
 焼失前は木造の小さな劇場だったと記憶しているが、私はここでボリショイの芸術監督に就任する以前にワシーリエフが振付けた『ロミオとジュリエット』の初演を観た。僧服を着たオーケストラを舞台上にあげて舞台を前後に区切り、ドラマが同時進行で観られるようにした思い切った演出だった。『ロミオとジュリエット』の原作は、確か2日間のできごとだったから同時進行を使った演出は理にかなったものかもしれない。ロミオはキリーロフが踊ったと記憶している。
 当時のモスクワ音楽劇場は、チェルノブロフキナは既にプリマだったがドロズドーワは引退。ガリーナとミハイルのクラピーヴィン夫妻はまだ現役で、娘で現プリンシンパルのクラピーヴィナがデビューしたばかりだった。
 閑話休題。

『くるみ割り人形』
 今回上演された『くるみ割り人形』は、ワイノーネン版のしっかりしたヴァージョン。少女のクララはダンサーが入れ替わって、夢の中の成長したクララとなる。
 ワイノーネン版の場合、この方法が一番無理が無いと思う。大人のダンサーが少女を踊るのは、いくら演じているとはいえ、やはり身体性を含めて不自然さを感じてしまう。ところが、フリッツなどの男の子役には女性ダンサーが扮している。これだと演技や振りをこなすのは上手いのかも知れないが、男の子特有のエネルギーに満ちた活発さが感じられなかった。
 舞台美術はもう一新されていた。クリスマスプレゼントやねずみ、雪、そして最後のシーンでは、キラキラとした歓びの感情を図案にした抽象的な背景を使用していた。しごく素朴な図案だったが、意外に効果的に感じられて上々の評判だった。
 最後のグラン・パ・ド・ドゥは、王子とクララの二人だけで踊り、夢の世界であることを強調した演出になっている。

『くるみ割り人形』

『白鳥の湖』はブルメイステル版。タチヤーナ・チェルノブロフキナのオデット/オディールと、ナターリヤ・クラピーヴィナの同じ役で観ることができた。
 周知のように、有名な『白鳥の湖』のブルメイスティル版は、この劇場で1953年に初演された。プティパ以前のチャイコフスキーが作曲時に考えていたと思われる物語に立ち戻って、演出・振付を行っている。
 特に第3幕の演出が有名。デヴェルティスマンを踊るダンサーたちは、ロットバルトの手下として、ジークフリート王子の婚約式に乗り込んでくる、というなかなかドラマティックな設定になっている。
 チェルノブロフキナのオデット/オディールは、いささかの衰えもなく、柔らかく美しいラインを描いていた。クラシック・バレエを見る眼の肥えたモスクワの観客の厳しい視線にさらされてきた、気品あるヒロインであった。
 クラピーヴィナも情感をはっきりと描く明快な踊りで、チャイコフスキーのメロディとじつにマッチした動き。チャイコフスキーが作曲の際に想定したストーリーを、忠実に再現しているかのような雰囲気が感じられた。
 第4幕は、重大な過ちを許してもらったジークフリートが勇気百倍となって、ロットバルトに立ち向かい、ついには愛の力によって魔法を打ち破る。すると白鳥に姿を変えられていたオデットが人間の姿を取り戻す、というプロローグからエンディングまで、じつに理にかなった展開のドラマとなっているのである。
 それにしても、最近では3回休憩のあるプロローグ、エピローグ付きの全4幕仕立て、という構成のバレエは珍しい。観客がみんな生き急ぐようになったのか、休憩を2回入れるとダレる、とさえいわれる。
 しかし、ベートーヴェンのような風貌の指揮者が感情をたっぷりと移入してドラマティックに演奏し、ダンサーも思い入れのこもった演技で応え、哀調を帯びた一弦の響きが直接観客の心の琴線を揺さぶる、このモスクワ音楽劇場の『白鳥の湖』では、3回の休憩の時間がまるで気にならなかった。
 私たちは、知らず知らずのうちに、スピーディな展開とショーアップされた演出とアンサンブルのみを強調するバレエに慣れ親しんでしまっているのだろうか。
 たいへん懐かしいばかりでなく、充実感を実感した『白鳥の湖』だった。来年もぜひとも来日してほしいカンパニーである。
(12月23日『くるみ割り人形』、27日チェルノブロフキナ、29日クラピーヴィナ 東京国際フォーラム・Cホール)

『白鳥の湖』

新国立劇場オペラ・バレエ、ニューイヤー オペラパレス ガラ

『アンド・ワルツ』
 08年の新春、ウィーンのニューイヤー・コンサートの「ラデツキー行進曲」のリズムも抜けきらないうちに、新国立劇場がニューイヤー オペラパレス ガラを開催した。
 第1部はバレエ。牧阿佐美芸術監督の振付、ラベル曲の『アンド・ワルツ』。ヨハン・シュトラウスの『チクタクポルカ』の演奏の後に、ローラン・プティの『こうもり』が上演されたが、これもヨハン・シュトラウスの音楽。

『アンド・ワルツ』は、牧が1996年に振付けたものを新国立劇場用のヴァージョンに改訂している。この曲は、2月中旬にワシントンのケネディ・センターで行われる「ジャパン!カルチャー+ハイパーカルチャー」で上演される。
 幕が開くと、下手手前から上手奥の対角線上に光りのラインが描かれていて、その上にダンサーが登場してくる。7曲のワルツとエピローグのワルツで構成された舞台である。
 衣裳はルイザ・スピナテッリで、色彩の輝きを抑え目にしたパステル調のシックなカラーを組み合わせていて、女性はワンピース、男性は総タイツ。カップルが中心となってリードして行く振付だが、舞台をはけるダンサーは、次に登場するダンサーとアイコンタクトを交わす。そして今、舞台に描いたラインの流れを受け渡す、「アンド・ワルツ」というわけだ。女性らしい柔らかいパがアクセントとなって、同じ筆遣いの繊細なワルツのラインが様々に紡がれ、ラストには静かな佇まい日本庭園の情景のような美しい刺繍が編み上がった。
 そしてその糸が一本づつほぐされていくように、ダンサーたちが舞台を去って、アイコンタクトを交わしながら慎重に編み上げられた、複雑で繊細な美が一瞬のうちに消える。その儚さが、また美しさを一段と高い境地へと昇華させるのである。
 この素晴らしい、日本人の細やかな感受性でしか描くことのできないバレエの美しさが、彼の地で深く理解されることを祈りたい。

 続いてローラン・プティ振付の『こうもり』から、グラン・カフェのシーンが上演された。真忠久美子がベラ、山本隆之がヨハン、吉本泰久がウルリックに扮した。軽快なギャルソンの踊りや、全身が踊りだすようなフレンチ・カンカンなどが踊られ、新国立劇場バレエ団のダンサーたちのレベルの高さに感心した。
 しかし一方、こうしたショー的な要素のあるシーンでは、控え目な品の良さだけではなく、思い切った表現にもどんどん挑戦してもらいたい、とも思った。
(1月5日、新国立劇場 オペラ劇場)

レニングラード国立バレエ団『バヤデルカ』『白鳥の湖』『ドン・キホーテ』

「バヤデルカ」
 ファルフ・ルジマトフが新しい芸術監督に就任したレニングラード国立バレエ団が来日し、恒例の年末年始の公演を行った。

『バヤデルカ』は、ニキヤがオクサーナ・シェスタコワ、ソロルがマリインスキー・バレエ団のイーゴリ・コルプ、ガムザッティがオリガ・ステパノワで観た。
 やはり、コルプが一際、際立っていた。ダンスを踊っている時だけではなく、マイムの時もちょとした仕草からも、音楽が聴こえてくるかのような身体性を感じさせる。
 シェスタコワもそうだったが、特にコルプは第3幕あたりから身体の表情が輝きを増す。「影の王国」では、薄いヴェールを様々に使った踊りが披露された。
 ラストの屋台崩しのシーンで、ニキヤに見捨てられた大僧正が嘆いてみせるのは、あまりピンとこなかった。

『白鳥の湖』もシェスタコワとコルプのペアで観た。コルプは落ち着いた堂々としたジークフリート。シェスタコワも見事なラインをみせた。コール・ド・バレエもよく整っており、ソリストたちの踊りも安定感があったし、なかなかしっかりとまとまった舞台だった。

『ドン・キホーテ』は、イリーナ・ペレンのキトリとコルプのバジル。
 やはり、キャラクター・ダンスの充実が印象に残った。エスパーダ、ファンダンゴ、メルセデス、ジプシーなどそれぞれが力強く、しっかりとした踊りだった。
 ペレンはほとんどいうことがないほどの見事な踊り。さらに演技を円熟させていくには、あるいは一段上のレベルの優れた環境が必要なのかもしれない。
 コルプもスピード充分で身軽、猫のように無音の着地、と申し分ない舞台だった。特に、舞台全体に気を配り盛り上げていこうする姿勢は特筆に値する。
(『バヤデルカ』1月11日、『白鳥の湖』 13日国際フォーラム Aホール、『ドン・キホーテ』25日オーチャードホール)

「白鳥の湖」 「ドン・キホーテ」

 

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