関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi
※写真をクリックすると拡大写真がご覧になれます。
> > >


谷桃子バレエ団の古典と創作『ロマンティック組曲』『REQUIEM』

「REQUIEM」
 谷桃子バレエ団の古典と創作の会の11回目は、谷桃子振付のショパンの曲による『ロマンティック組曲』と岩上純振付の『REQUIEM レクイエム』だった。
『ロマンティック組曲』は、1953年頃にクラシック・バレエのエッセンスが感じられる舞台を創ろうとして振付けられた作品という。
 ショパンの「プレリュード」や「ノクターン」などから選ばれた曲のピアノ演奏にのせて踊られる。センターの男性ダンサーを中心にして全員が揃ったフォーメーションから始まり、パ・ド・ドゥ、ソロ、パ・ド・カトル、2組のカップル、女性の群舞に3組のカップルが参加して踊る、という構成になっている。それぞれのシーンはあまり長くはないが、流れの良い構成である。特に、最後のシーケンスのワルツは、フォーメーションもきれいに整えられていて美しく、クラシック・バレエの素晴らしさが感じられた。

 続いて、昨年の5月に上演された『REQUIEM』を観た。バレエとコンテンポラリー・ダンスのテクニックを使い分けて、クラシック、エスニック、ロックなどの音楽を表現するものに合わせて、巧みに物語を構成している。
 物語は、『ジゼル』の設定を現代人と未来人に代えたもので、ジゼルは現代の男、アルブレヒトは未来から来た女、ヒラリオンは現代の女、村人は現代人、ウィリは亡霊とされている。ただ、ジゼルの母のベルタだけは、時制も性も代えられず、祈る女となっている。冒頭は、祈る女がわが子にレクイエムを捧げるシーンだが、それ以後の展開は『ジゼル』と同じ。無論、表現はまったく異なっている。
 未来の女と現代の男の出会いの初々しいパ・ド・ドゥ、亡霊となった現代の男と未来の女の灯りを使った踊りなどは、才気を感じさせる表現でとても感心した。
 ただ、時制を越えた愛が悲劇に終わることは理解できるが、未来の女は、アルブレヒトが負ったような罪の意識を感じているのかどうか、よく分からなかった。また当然のことを老婆心から敢えて言えば、何を如何に表現するかと同時に、表現そのものも深めていかなければならない。例えば音楽が劇版的効果を高めるためだけに使われているような面が感じられて、少し残念だった。この才能を使って、音楽とダンスがひとつの宇宙に融合していくような舞台を期待したい。
(11月14日、めぐろパーシモンホール)

ロマンティック組曲」 「REQUIEM」
「ロマンティック組曲」 「REQUIEM」 「REQUIEM」

小林紀子バレエ・シアター『ソワレ・ミュージカル』『ジゼル』

『ソワレ・ミュージカル』
※写真は以前の公演より
 小林紀子バレエ・シアターが2004年に初演した『ソワレ・ミュージカル』を再演した。これは1988年に、英国バレエの生みの親ともいうべきニネット・ド・ヴァロワの90歳の誕生日のために、ケネス・マクミランが振付けたもの。音楽はロッシーニの曲をベンジャミン・ブリテンが編曲している。
 ちょっとコケティッシュな可愛らしい踊りが織り込まれ、パ・ド・ドゥやパ・ド・カトル、ヴァリエーションなどで構成された軽快で楽しいダンス。マクミランが心地良い流れを創っている。大森結城が優しい感じを漂よわせて踊った。

『ジゼル』は、2001年までイングリッシュ・ナショナル・バレエ団の芸術監督を務めたディレク・ディーンが、02年に小林紀子バレエ・シアターに振付けた。
 ディーンの演出・振付は、1幕のジゼルが狂乱する場面では、背景の宙空をウィリが横切り、鋭い稲妻の光が走り、木の葉が舞い上がって、早くも不気味な雰囲気となる。さらに2幕の冒頭は、ジゼルの母ベルタが泣き崩れながら、娘の墓へ向かうが、一緒に付き添ってきたヒラリオンが、たちまちウィリたちに捕まるなど、ドラマティックで迫力があった。また、1幕のいわゆるペザントのパ・ド・ドゥは、ロイヤル・バレエ団ふうにパ・ド・シスで踊られ、収穫祭を盛り上げる。
 ジゼルは、島添亮子が踊ったが、落ち着いて堂々としたプリマ・バレリーナぶりだった。舞台を重ねるたびに成長している感があり、たおやかさの中にゆるぎない意志の力を表す踊りだった。
 アルブレヒトは、日本のバレエ・ファンにはすっかりお馴染みとなったロバート・テューズリー。2幕最後の踊り続けさせられて力つきるヴァリエーションでは、実力のほどをみせた。ただ、もう少し貴族らしさを細やかに表現してもらいたいとも思った。
 2作品ともにジュリー・リンコンが制作に寄与しているが、これからも英国バレエの良さを表す舞台を期待したい。
(11月17日、ゆうぽうとホール)
『ジゼル』
※写真は以前の公演より

バレエフェスティバル、下村由理恵の『チャイコフスキー組曲』

 第46回バレエフェスティバル公演が行われ、石井竜一振付『シャコンヌ』、佐藤宏振付『レ・フェドレール』、下村由理恵振付『チャイコフスキー組曲』の3演目が上演されたが、誠に残念ながら時間の都合上、最後に上演された舞台しか観ることができなかった。
『チャイコフスキ−組曲』は、まず緞帳に、白樺の林の中のような木漏れ日の光りが射す。幕が開くと、ドレープのかかった白い薄い布が、天井から数本垂れ下がっている。やはり、木漏れ日のような光りが、憂いているかのようにフロアーにうずくまった男に優しく投げ掛けられている。半透明のヴェールを被ったふたりバレリーナがセリから登場してくる。
 ここでは、チャイコフスキーとサンクトペテルブルクの自然が触れ合い調和するような、ダンスが繰り広げられる。
 やがて、ドレープのかかった白い布に代わってシャンデリアが現れる。このパートでは、チャイコフスキーの都会的な雰囲気の華やかな曲、ロマンティックな曲、厳かな曲が踊られ、テンポの速い出入りが多く群舞が次々と変化する。全体に客席の隅々にまで、美しく豊かな情感が流れ、終曲では再び、木漏れ日の下の瞑想へと帰っていく。
 快適なテンポと爽やかな流れで、チャイコフスキーの世界を楽しませてくれた舞台だったが、どちらかというと、群舞が中心でソロやパ・ド・ドゥは少なかった。また、フォーメーションもよく整えられて見事に構成されていたが、思い切った特色も欲しかった気がしないでもない。しかし、シンフォニックな優しさを味わわせてくれた好感の持てる舞台である。こうした傾向の作品が新しく創られる機会はあまり多くないので、これからもぜひ発展させて欲しい、と思った。
(11月10日、メルパルクホール)

インバル・ピント・ダンス・カンパニーの『Hydra(ヒュドラ)』世界初演

 イスラエルのインバル・ピント・ダンス・カンパニーが、彩の国さいたま芸術劇場と共同制作を行い、日本人ダンサー、森山開次と大植真太郎が振付の過程から参加した『Hydra』が初演された。
 ヒュドラとは、背骨のない下等動物を表す言葉だが、そのほかの意味合いもこめられている。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を素材として創られているが、まったく物語の展開を追っていない。ジョバンニと死者となったカムパネルラの旅という設定にある、肉体と魂の旅というモティーフに基づいた作品となっている。
 三方を白い壁で囲み、中央に細長い窓があり”外”がのぞける空間。星明かりに浮かび上がっているかのような舞台には、この世ならぬ幻想的な雰囲気が醸し出されている。上手の天井に吊るされた麻袋からは、絶え間なく細かい一筋の砂が落下し続けている。
 6人の男性のグループと同じ人数の女性のグループが、それぞれ塊となって二つの生命を感じさせるような動きを踊る。細長い窓から棒が渡される。この棒は、希望と不安、笑いと涙、強さと弱さ、喜びと悲しみといった対立する要素がなければ存在できないものの接点をダンスの中で表している。
 棒やスクリーンプロセスのような手法を使って、旅のヴァリエーションが表されて踊られる。このダンスには、人生とは、生きることは旅することと同じだ、という想いがこめられている。
 森山と植村は、天使という設定らしいのだが、人間の苦悩をすべて背負ってしまったかのような苦闘を踊っていた。
 落下しつづける砂は時間を表す。広大無辺の宇宙と時間の中で生成と消滅を繰り返す生命、そして形而上的な魂といったものの関係性をえがいているダンスなのであろうか。
 最後は、タンポポの大きな綿毛のようなものがたくさん舞い降りてきて、旅するダンスはひとつの帰結に達した。
(11月9日、彩の国さいたま芸術劇場 大ホール)


 

Copyright チャコット株式会社 All Rights Reserved.  
当サイトに掲載されている情報の無断転載、無断掲載、無断引用 はお断り致します。