関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi
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Noism の「W-view」は安藤洋子『Nin-siki』、中村恩恵『Waltz』

 金森穣は、2004年に新潟市のりゅーとぴあの舞踊部門の芸術監督に就任し、Noismを設立した。このプロフェッショナルのダンス・カンパニーは、芸術監督の金森が直接、指導運営しているので、メソッドを共有し、高いレベルのダンスの理念やテクニックの水準を維持している。もちろん、このカンパニーは金森の新作を定期的に発表している。
 それから、日本を中心とした注目すべきコンテンポラリー・ダンスの振付家を招聘し、Noismに新作を振付ける、という企画も定期的に行っている。
 このように高いレベルを維持したカンパニーが定期的に創作活動を行うことによって、日本のコンテンポラリー・ダンス全体の見通しがたいへん良くなってきた、と私は感じている。たとえば、あるコンテンポラリー・ダンスの舞台を観る時、直近のNoismの舞台をひとつの指標として観る、ということもできるようになってきている。

 Noismの3回目の外部振付家招聘企画は、作家の趣旨をよりはっきりさせるために上演時間を長くして、「W-view」となった。招聘された振付家は、フォーサイスとキリアンという世界を代表する舞踊家の下で活動してきた二人の女性、安藤洋子と中村恩恵。

 安藤洋子の作品は『Nin-siki』というタイトル。オープニングでは、暗闇の舞台の中央に吊るされたスクリーンに、フロアに蠢くダンサーたちのサーモグラフィ(テレビなどで使われる体の表面の温度を赤やグリーンなどの色で表す画像)が映し出される。
 無音が続くの中、しだいに舞台は明るくなっていくが、ダンサーたちは後ろ向きに登場したり、フロアに腰を落として視線を意識したポジションをとるなどの動きを繰り返しながら、さらに発展させた様々な即興的な動きを展開していく。
 照明を落としてホリゾントだけを明るくし、シルエットでダンサーの動きを見せたり、袖から強い光を放って空間全体の印象を一変させたり、舞台の情景を様々に変幻させる。そうした動きの流れの中に明滅するヴィジュアルが、登場人物が周囲の情景を認識している映像に見えたり、観客が舞台を認識しているヴィジュアルを意識させることであったりして、つまりは「Ninsiki」という行為をいろいろな角度から描くことになっている。女性らしく細やかで、みずみずしいファッショナブルな表現だった。

 ラストでは、ダンサー全員が、フロアの中央に横たわる。それをカメラが天から撮らえ、再びダンサーたちのサーモグラフィがスクリーンに映される。明らかに身体の高温部分を示す赤が多くなっていた。そしてこの温度の上昇こそが、この作品が持つ、画像として可視できるエネルギーだったのである。

「Nin-Siki」

 中村恩恵の『Waltz』は、一人の男の夢想を通して生命という存在を捉えようとしたダンスだった。
「型の中に命が宿る、しかし、命は形ならぬ形をも生み得るのでは・・・。」という考えから実験的な方法を試み、その一例が、「ウィリアム・ブレイクの詩句を二つの方法で動きとした。ひとつは、アルファベットの文字ひとつひとつに動きの基本要素をあてがったもの。もうひとつは、詩の意味やニュアンスにインスパイアされて動きを創ったもの。」だそうである。
 こう言葉で書くと、もちろん意味は字句の通りなのだろうが、もうひとつ実感的に難しく理解しにくい気がする。しかし実際の舞台は、じつに活き活きとして楽しく、素晴らしいものだった。

 下手の奥に、ブランコに腰掛けた男(宮河愛一郎)が天からゆっくり下りてくる。ニット帽を被りジャケットの胸に白い花を一輪さしている。男がただ感じるままに浮かんでくる言葉をつぶやきながら歩くと、床に正方形の照明があたる。ちょうど舞台をデジタル分割した模様のよう。男のモノローグに連れて、床にうずくまっていた上半身裸で A という文字が描かれた男(金森穣)が動く。やはり上手にうずくまっていた女性も動きだして、次々とダンサーが登場して、舞台のあちこちで踊り始める。フロアに照らしだされる正方形の照明の模様も、数を増しり減ったりしながら、なにかが登場人物たちと関係なくコントロールしているかのように点滅を繰り返す。その光りが、じつは夜と昼、あるいは春夏秋冬といった太陽と月の明滅をさり気なく表しているのではないか。音楽は音源を絞り込んだ、水が滴るというか、間歇的というか、やや間遠な間隔をおいた美しい短い音が、独特の間隔で響き、見事にひとつの世界を構成している。
 そしてこの舞台全体を引いて観ると、それらのダンスの動きと照明の光りと音楽が、有機的というか、人間的というか、フラクタルというか、活き活きと生命のリズムを脈打っているのを感じることができる。しかも、そこはかとないユーモアの水脈がダンス表現全体に通底しているので、観客を知らず知らずのうちに楽しい気持ちにさせてくれる。こうしたところは、キリアン作品の最良の面をじつに巧みに継承している。
 二つの作品はともに、女性らしい濃やかさと優しさが漂っていて、心地よい印象を観客の胸に残したのではないだろうか。

「Waltz」

(10月12日、Bunkamura シアターコクーン)

牧阿佐美バレヱ団「ダンス・ヴァンテアンXI〜Starlet〜」

『ヴァリエーション for 4』
「ダンスヴァンテアン」は、バレエだけでなくコンテンポラリー・ダンスやフラメンコなどもプログラムに採り入れる、牧阿佐美バレヱ団の創作意欲を表す公演。
 11回目の今回は<Starlet>とタイトルが付され、好評だった三谷恭三の振付作品を選んで、新しい世代のダンサーを起用することを主眼としている。

 まずは2000年に初演した『ヴァリエーション for 4』。ウィリアム・ウォルトン作曲の『ファサード組曲』を使った男性ダンサー4名のヴァリエーション集で開幕した。ジャズやラテンの曲想も交えた明るい音楽に合わせて、黒いハットをもって踊られる。4人の踊りで始まり、一人ずつのヴァリエーションがあり全員の踊りで終わる、コミカルなタッチのダンス。ダンサーそれぞれのキャラクターのコントラストを感じることができて楽しい。

 続いて踊られた、ボフスラフ・マルティヌーの『交響曲第6番』による『ペルソナ』は、1993年の第1回で初演された振付の改訂版。牧バレヱ団に縁の深いアザリー・プリセツキーに贈られた仮面にインスピレーションを得て創られたものだという。

 舞台奥に設置された鏡の中からイルギス・ガリムーリンが現れるが、その背後にはボリショイ・バレエ・アカデミーに留学し、全国舞踊コンクールで一位となった清瀧千晴が見え隠れして付けている。ふだんは隠れているあるいは隠している自分が時折、顔を出し、闘いと協調が踊られる。自分自身を見つめ直すようなダンスもある。
 ベジャール風の動きやポピュラー・ダンスの振りなどもみられたが、フォルムは確実にテーマを表しいて、登場人物の心理がはっきりと感じられる構成となっていた。

 1997年にやはり「ヴァンテアン」で初演された『ガーシュウィンズ・ドリーム』は、まず、ヴァイオリニストの山本有沙が舞台に登場する。その演奏に合わせて群舞が踊られ、その中を主役を踊るガリムーリンや伊藤友季子、青山季可などが通行人のように舞台を横切っていく、という洒落たオープニングになっている。
 美術・衣裳は前田哲彦だが、背景は太い黒い斜線を使った抽象デザインで、間に映される色がシーンによってブルー、オレンジ、赤などに変化する。
 伊達男、ガリムーリンと美女、伊藤友季子を巡る軽いやりとりを見せながら、シルエットを効かせるなどヴァラエティに富んだフォーメーションが細かく構成されていた。ヴィジュアルも美しく、ガーシュウィンの名曲のイメージを余すところなくみせてくれた。あともう一歩、ミュージカル的なダンスを凌駕するパワーも欲しいとも思ったが、やはり、久々に清涼感のあるモダニズムの舞台を楽しく観ることができた嬉しい気持ちが勝った。

『ペルソナ』 『ガーシュウィンズ・ドリーム』

(10月21日、ゆうぽうとホール)

 

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