関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi
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列島の各地で桜が満開になりました。たけなわの宴も多いことでしょう。歌舞伎の道行は常に花の撩乱を背景に踊られますが、爛漫の花を見て死を想うのは、日本人だけなのでしょうか。美は消滅をすることによって輝く、あるいは生まれるものです。ダンスもまた消え去ることによって残る、のかもしれません。

アントニオ・ガデス舞踊団『カルメン』『血の婚礼』


 アントニオ・ガデスが還ってきた。
 少しほっそりとしたが、鋭い踊り、完璧なシルエット、胸に秘めた情熱を激しく燃え上がらせる絶対的な表現力。そして唯一無二の舞台『カルメン』。
 ガデスは2004年に67歳で亡くなったが、彼の舞台のすべての継承を目指すアントニオ・ガデス財団によって、新たにアントニオ・ガデス舞踊団が結成されて傑作が甦った。
 芸術監督を務め、主役カルメンを踊るのはステラ・アラウソ。名手クリースティナ・オヨスからカルメン役を受け継ぎ、日本の舞台でも何回かガデスとカルメンを踊って、鮮烈な印象を残している。17歳でガデスのカンパニーに入団し、『カルメン』はもちろん『血の婚礼』や『恋は魔術師』などを踊り、一時離れたが94年に戻って、ガデスの最後の作品『アンダルシアの嵐』の制作にも携わっている。そのほかのガデスとともに舞台を創った多くのスタッフや踊り手が、新生アントニオ・ガデス舞踊団に参加している。

 一方、ドン・ホセを踊ったのはアドリアン・ガリア。彼のアイドルは、アントニオ・ガデスとパコ・デ・ルシアだったというから、ガデスと共に踊った経験はない。ところが、ガリアが『カルメン』の舞台に立っただけで、ガデスの踊る姿が彷佛とした。それだけ『カルメン』を踊ったガデスの印象が強烈に刻印されていたからなのか、身体がひとりでに思い出そうとしているかのようにすら感じたのである。

アドリアン・ガリア

 特に、有名なラストシーンの男の業ともいうべき情動が一気呵成に放出される瞬間は、世界と自分が対等のイコールで結ばれているという完結した実感が全身を貫いた。ホセの手に握られたナイフに付いたカルメンの赤い血こそ、彼がこの世に生きたゆるぎない証である。愛の情念に完全に忠実に生きた男の物語でもあった。
 ダンスの描くラインの豊穣感では、やはり本家に一歩譲るとしても、若いガリアのホセは、スペインの美の結晶を見事に踊った、と賛歌を贈りたい。
 それにしても素晴らしい演出である。リハーサル風景から始めることによって、現実と舞台の境界が消え、観客は、物語が進行している時間を一緒に呼吸する、という卓越した効果が得られた。カルロス・サウラ監督の映画とのコラボレーションから生れたアイデイアなのだろうか。



『カルメン』
アドリアン・ガリア、ステラ・アラウソ

 ガルシア・ロルカ原作の『血の婚礼』も映画でよく見られるスローモーションやストップモーションをダンス・シーンの重要なポイントに使って、舞台効果を高めている。しかし『血の婚礼』が映画化されたのは初演の6年後である。
  スペイン特有のナイフによる決闘と、対立する男の狭間に立たされる花嫁の悲劇を詠う詩。モノクロームの世界に決闘によって飛び散った鮮血の紅が、瞼の裏に焼き付けられる舞台である。
  ガデスのダンスの動きの流れに込められた重さ、人生の軌跡を描いているような渋いニュアンスといった魅力はおよばないかもしれないが、ガリアのダンスには若々しい活力と鉄壁のテクニックがあった。
  衣裳も洗練されていたしダンサーも粒ぞろいだったが、かつての人間くさい芸達者なダンサーたちが懐かしく回想される雰囲気も残っていた。じつに楽しい舞台だったが、あっという間に幕となってしまった。

『血の婚礼』
ホアキン・ムレーロ、
クリスティーナ・カルネーロ、
アドリアン・ガリア
(3月9日『カルメン』、14日『血の婚礼』 オーチャ−ドホール)
 
牧阿佐美バレエ団『ロメオとジュリエット』小嶋直也のマキューシオ


1幕1場 菊地研(ティボルト)
 プロコフィエフ音楽、アザーリ・M・プリセツキーと牧阿佐美の演出・振付、アレクサンドル・ワシリエフの美術、デヴィッド・ガルフォース指揮、東京ニューシティ管弦楽団演奏による牧阿佐美バレエ団の『ロメオとジュリエット』が上演された。
 若い男性ダンサーが充実しているキャスティングである。私は初日を観たが、ロメオが逸見智彦、マキューシオが小嶋直也、ティボルトが菊地研、パリスが京當侑一籠、ベンヴォーリオは今裕也、さらにロレンツォ神父は保坂アントン慶であった。この欄でもたびたびふれてきたが、注目すべきは怪我になかされてきた小嶋直也。心配したが、今回の公演ではマキューシオをしっかり踊った。小嶋に復活の兆しが見えたことは、日本のバレエにとって喜ばしいことである。そしてこのカラミの多い男性ダンサー陣が、小嶋を中心としてまとまっていたことも良かった。
 

1幕3場 
伊藤友季子、京當侑一籠

2幕1場 ヴェローナの広場
小嶋直也、奥田さやか、今勇也

2幕1場 
ヴェローナの広場

 逸見はロメオは初役だったのだが、主役として落ち着いた演技と踊りで、冒頭のシーンから良くロメオの気持ちが現れていた。菊地のティボルトは恐ろしさを感じさせて持ち味を出した。そして京當のパリスが抑揚の利いた演技を見せ、舞台に程よい緊張感を漂わせていた。
 しかしもちろん、ジュリエットの伊藤友季子は鮮やか。伊藤もジュリエットは初役であるにもかかわらず、作品全体の流れをきちんとわきまえた踊りである。主役として物語を語っていくことができる天性の能力が具わっているのだろう。
 ジュリエットは、初めての夜を過ごしたロメオが部屋から去ってしまった後、両親からパリスとの結婚を強いられ、ロレンツォ神父の下に走って秘密の薬を手に入れる。そして、一時的に仮死状態に陥って、愛のピンチを脱出しようと強い決意する。この場面転換の多い緻密で繊細な演出を、伊藤ジュリエットは見事に演じ、踊ったのである。観客もじっと息を呑むようにしわぶきひとつなく舞台に吸い寄せられていた。

1幕3場 
小嶋直也(マキューシオ)


1幕4場 パ・ド・ドゥ

2幕3場 
ロレンツォの教会


 

3幕1場 
パ・ド・ドゥ
 また、ロメオとジュリエットが愛をささやく有名なバルコニーは、上手のコーナーに階段とともに設置されることが多い。しかしワシリエフのセットは、ヴェローナの広場、キャピュレット家のホール、バルコニーを、二段に組んだ同じコンポジションにしており、キャピュレット家は大邸宅に見え、ジュリエットも大きく動いて初々しい愛の気持ちを充分に表現することができる。二段のコンポジションは、主要なシーンで次々に現れ、演出的にも上手く使われて説得力があり成功している。余談ながら、ウラジーミル・ワシリエフが新たに演出した『ロミオとジュリエット』のセットは、全編を通して2段になっており、上と下で別のシーンが展開されていくというものだった。
 
 そして、以前にも書いたが、ラストの墓場のシーンでは、ジュリエットが死んでしまったと思ったロメオは絶望して毒をあおる。すると皮肉にもジュリエットが仮死状態から目覚め、二人はほんの束の間の愛をまさぐり合う。そしてジュリエットもまたロメオを追って自殺してしまう、という演出になっている。
 つまり、親友のマキューシオと同様の、悲劇的な死に方のヴァリエーションがここでも繰り返されていて、悲劇は輻輳していっそう高く奏でられるのである。
(3月10日、ゆうぽうと簡易保険ホール)


谷桃子バレエ団の『シンデレラ』

 もうひとつのプロコフィエフの曲によるバレエは『シンデレラ』である。
 谷桃子バレエ団の『シンデレラ』は、ロシアのザハーロフ版に基づいたS.メッセレルの演出・振付を、さらに谷桃子が再演出・振付けたものである。
 今回は、この作品のひとつの見所である継母と姉と妹のキャスティングを、新たに継母・岩上純、姉・日原永美子、妹・朝枝めぐみとしている。
 三人とも初役への挑戦だったが、岩上の継母が際だって上手かった。普通の女性以上に振舞・仕草が女性らしく可愛らしいのだが、じつはかなりの意地悪。シンデレラのごく些細な失敗をビシビシと責め、厳しい罰を与える。マイムの動きが音楽にマッチしている。


朝枝めぐみ(妹)、日原永美子(姉)、
岩上純(継母)


高部尚子(シンデレラ)

前田新奈(仙女)

  プロコフィエフの『シンデレラ』の曲は、非常に起伏に富んでいて、かなり戯画的なメロディである。その音そのままを登場人物が踊ると、どうもあまりおもしろくないし、しらけることさえある。しかし谷桃子版では、道化が登場して戯画的な激しい音を踊り、ほかの登場人物との緩衝になる。そして、全体に芝居ふうのシーンを多めに使い、非常に上手くプロコフィエフの曲とダンスを調和させているのに、大いに感心した。かつてみたどのヴァージョンよりも音楽と動きが一致した舞台に思えた。


高部尚子(シンデレラ)、今井智也(王子)

舞踏会シーン

  高部尚子のシンデレラは、もちろん、主役として輝いている。孤独と夢と優しさをじつにバランス良く表現していた。今井智也の王子も爽やかな印象だった。
 演出としては、王子が片方の靴の持ち主を探し求めて世界を旅して廻るシーンでは、極端にテンポを上げたり、民族舞踊のシーンでは逆にゆっくりと踊って、王子の焦燥感をくっきりみせるなど、巧みな工夫が施されている。
 また、第二幕の王子が初めて登場するシーンは、まず、顔を隠した道化が小走りに王子の椅子に座って見せ、その後、王子が姿を現す。この演出は、じつは最後のシーンで、王子が探している片方の靴の持ち主は自分なのだが、あまりにみすぼらしいエプロン姿が恥ずかしくて必死で顔を隠すシンデレラの演技と呼応している。なかなか手のこんだ、洒脱で高度な演出である。
(3月17日、目黒パーシモン 大ホール)

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