佐々木 三重子 text by Mieko Sasaki
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東京バレエ団《ベジャール=ディアギレフ》

東京バレエ団が、ディアギレフの主宰したバレエ・リュスのレパートリーから選んだ三つの代表作によるプログラムと、ベジャールの振付作品三つを並べたプログラムを相次いで上演した。二十世紀の初頭と後半に、それぞれバレエ界に衝撃を与えた興行師と振付家に焦点を当てたこの公演は、ベジャールの生誕80年記念シリーズの第一弾として企画されたもの。ストラヴィンスキーのバレエ音楽にフォーキンとベジャールが振付けた『ペトルーシュカ』が、それぞれのプログラムに入っていたのが注目されたが、加えて〈ディアギレフ・プロ〉では、二演目が東京バレエ団にとって初めての作品であり、さらにバレエ団のスターだった首藤康之が退団後に初出演するなど、話題性は高かった。

〈ディアギレフ・プロ〉は、東京バレエ団初演になるニジンスキー振付の『牧神の午後』(音楽・ドビュッシー)で始まった。水浴びにきたニンフに欲情をそそられた牧神が、彼女の残したスカーフで自慰するという内容と、ジャンプや回転技を敢えて排し、古代ギリシャの陶器に見られる人体の横向きのポーズを連ねた斬新な振りが、当初、論議を呼んだ作品である。牧神役の首藤は気だるい雰囲気を漂わせてはいたが、野性味は今一つ。だが、ニンフ役の井脇幸江ともども、動く彫像のように作為的な振りをこなし、角張った動きの中に隠された好奇心を呼応させていたのはさすが。次はフォーキン振付の『薔薇の精』(音楽・ウェーバー)。題名役の木村和夫は、芯のある、なよやかなジャンプで軽やかに舞台を動き回った。吉岡美佳は、いかにも夢見心地の乙女といった雰囲気だった。

 締めくくりはフォーキンの『ペトルーシュカ』で、これもバレエ団初演。サンクトペテルブルクの謝肉祭を舞台にした見世物小屋の人形の物語で、魂を与えられたピエロのペトルーシュカがバレリーナをめぐりムーア人と争って殺されるというもの。題名役の首藤は、上体や腕、両膝をいびつに歪めた踊りで操られる者の悲しみを表出し、恋心や嫉妬、小屋の主人への怨みや恐れなどを克明に伝え、操られる者の悲哀を滲ませつつ操る者の非情さを訴えた。これは、翻弄する者といたぶられる者という、いつの世にも見られる構図であり、説得力を持って胸に迫る。それにしてもブランクを感じさせない首藤の演技だった。

バレリーナの小出嶺子は、ピンと伸ばした手先やつま先で人形振りを強調。後藤晴雄は勇ましく手足を広げてムーア人を演じたが、荒々しさは今一つ。踊り子や御者たちが技を競うように披露した踊りは広場の賑わいを活写すると同時に、ペトルーシュカの悲劇との落差を深めてもいた。なお、そこで悪魔に扮した中島周が見せた鮮やかなピルエットは特筆したい。
(4月9日、ゆうぽうと簡易保険ホール)

〈ベジャール・プロ〉は『ペトルーシュカ』で始まった。こちらは、祭りの時代や場所を特定せず、人形たちを青年と恋人の若い娘と友人に置きかえ、魔術師に惑わされた青年の自己の崩壊を描いているが、すべては青年の心の内で生じる出来事として提示したところに、複雑さを増す不透明な現代に近づけたベジャールの冷徹な視点が感じられる。

右端と左端に縦一列に並んだ若い男たちと娘たちが掛け合いながら踊り始める冒頭の素朴な趣きは、彼らに混じって踊る青年と恋人と友人の無垢な仲の良さを象徴するようだ。鏡の迷路に踏み込んだ青年が、人形の仮面をつけると鏡の中の影が増殖し、青年の心を引き裂いていく描写は、見るたびに底知れぬ恐ろしさを感じさせる。青年はフォーキン版でムーア人を務めた後藤が演じたが、こちらのほうが合っていた。純真な状態から疑惑にとらわれ、妄想にさいなまれ、魂を抜かれて魔術師に付き従う心の揺れを的確に表現した。
若い娘の吉岡美佳、友人の木村和夫が役所をとらえた演技を見せたほか、奇抜な赤い衣装をまとった高岸直樹が、青年を操る魔術師を存在感をもって演じていた。

 次は、テオドラキスの素敵な音楽にのせた『ギリシャの踊り』。地中海の空と海を映したようなブルーの背景に、黒いレオタードの女性群と白いパンツ姿の男性群が美しいコントラストを成す。だが幕は閉じられ、黒を背景に多彩なダンスがひとしきり展開された後、フィナーレで明るいブルーを背景にした群舞が戻ると、生命の輝きが舞台を満たした。ダンサーでは、小出嶺子と中島周のペアが快活な音楽に乗って戯れるように舞い、井脇幸江と木村和夫は古典的な踊りで格調高く踊った。ソロを務めた首藤康之は、緊張のためか最初は硬かったが、おおらかなジャンプや回転を連ねて、のびのびと踊り納めた。

 最後は、上野水香の「メロディ」による『ボレロ』。淡々と踊り始めたようでいて、全体を見通して着実に高揚感を築いていった。最初のうちエネルギーを内に込めてしまうように感じたが、もっとストレートに発散すれば、一種の凄みも加わると思う。「リズム」の男性たちの律動的な群舞が燃焼度を高めたのも印象に残った。
(4月13日、東京文化会館)


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パリ・オペラ座バレエ団/『白鳥の湖』『パキータ』

 世界の名門、パリ・オペラ座バレエ団が三年振りに来日し、『白鳥の湖』と『パキータ』を日本初演した。というと不可解に思われるだろうが、前者はヌレエフがバレエ団芸術監督に就任した翌年の1984年に演出・振付した版によるもの。後者は、今日伝わるプティパ振付のグラン・パとパ・ド・トロワだけでなく、全幕版としてピエール・ラコットが2001年に復元した作品である。どちらも見逃せない演目だった。

 ヌレエフ版『白鳥の湖』は、眠るジークフリート王子の脇でオデットと家庭教師が出会うシーンに続き、ロットバルトに姿を変えた家庭教師がオデットを捕えて白鳥に変え、爪にはさんで舞い上がるという独創的な導入で始まった。すべてを王子が見た夢と解釈し、王子の心の内に焦点を当ててドラマティックに展開する。最後はロットバルトが白鳥になったオディールを捕えて舞い上がり、王子とオディールは黄泉の国で結ばれることもないという悲劇的な結末だ。それにしても、細やかに王子の面倒を見る家庭教師と、王子が愛するオディールを奪って二人を翻弄するロットバルトを同一人物にして善悪の二面性を強調したほか、家庭教師の王子に対する特別な思い入れを匂わせていたのが興味深かった。

ルテステュ&ル・リッシュ


ルテステュ&ル・リッシュ
 ヌレエフ自身が名ダンサーだっただけに、随所に難度の高いテクニックが取り入れられており、ソロだけでなく群舞にも男性の見せ場が増やされていた。王子役は、この三月にエトワールに昇格したばかりのエルヴェ・モロー。すらりと伸びた美しい脚を武器に、高度な跳躍や回転をしなやかにこなした。演技はまだ硬い部分があったが、今後が楽しみな期待のダンスール・ノーブルである。オデット/オディールのデルフィーヌ・ムッサンは、白鳥を品良くたおやかに踊り、黒鳥ではあくの強さを際立たせなかったが、これは彼女の個性かもしれない。ポール・ド・ブラが美しかった。家庭教師/ロットバルトはステファン・ファヴォラン。舞踏会では、ロットバルトがシャープな回転や跳躍を見せるソロもあり、王子とオディールのデュオに割って入って踊るなど、重要な役割を担った。群舞も含め、総じてバレエ団のレベルの高さをうかがわせた。
(4月22日昼・東京文化会館)
*写真は4/21公演より

『パキータ』(音楽・テルデヴェズ、ミンクス)は、ジョゼフ・マジリエによる1846年の初演版と、プティパによる1881年の改訂版をもとに、ラコットが復元した二幕三場のロマンティック・バレエである。ナポレオン支配化のスペインを舞台に、フランス人将校リュシアンと恋に落ちたジプシー娘パキータが、この地で殺されたフランス人貴族の娘でリュシアンの従妹と判明して結ばれる物語だが、これに、彼女に横恋慕するジプシーの首領イニゴやフランス人を憎悪する知事の陰謀がからむ。

 筋運びは明快すぎるほど明快だが、ラコットは“神聖不可侵”な格式高いプティパの振りは残し、村人たちやジプシーたち、スペインのダンサーたちの民族色豊かな踊りを自ら振付、マジリエが重視したマイムによるドラマ展開も見所の一つにして、メリハリの効いた作品に仕上げた。かつてタリオーニ版の『ラ・シルフィールド』を復元したラコットの手腕が、ここでもうかがえる。

オスタ&ペッシュ


オスタ&ペッシュ
パキータは、この役を踊ってエトワールに昇格したクレールマリ・オスタ。まずジプシーたちと一緒に敏捷な踊りを披露。次の場でジプシーの住処を訪ねてきたリュシアンに身の危険を知らせようと、踊って時間を稼ぎ、イニゴに隠れて身振り手振りで必死に伝える様が真に迫り、ここは彼女の一人舞台に近かった。最後のグラン・パではポアントの技巧も揺ぎなく、この上なく典雅に舞って威厳を示すといった具合に、多様な踊りや演技で魅力を発揮した。リュシアンのバンジャマン・ペッシュは、婚約者がいながらパキータに惹かれる育ちの良い青年を自然体で演じ、伸びやかなジャンプや切れ味鋭い回転も冴えていた。イニゴのステファン・ファヴォランも勢いのよい回転を見せたが、悪役としての凄みがもっとあっても良い。ほかに、第一幕のパ・ド・トロワで踊ったマロリー・ゴディオンの巧みな跳躍も印象に残った。
(4月28日、東京文化会館)

 

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