山田せつ子の『奇妙な孤独』、山名たみえの『GENE』
山田せつ子は笠井叡の天使館でソロデビューを果たし、現在はダンスカンパニー「枇杷系」のディレクターである。3年ぶりに新作『奇妙な孤独』を上演した。新体操出身の天野由起子が共演した。
舞台にはキャスターの付いたオブジェを飾った二台の簡易ベッドが置かれている。天から数本の長さの違うステンレスのスパイラルが下がり、下手には筒状の照明が光る。ベッドには孤独が住んでいるだろうから、スパイラルが下がる空間と微妙なニュアンスが生じている。そこに山田せつ子独特の様々のフォルムを描き、さらに複雑な感覚的な空間を創る。
細かい日常的な仕草を含む軽い動きから始まって、音響に身体にリズムを反応させる動き、無音の動き、言葉や歌に共鳴する動きなどをフラグメンツとして構成している。リズミカルな音響に合わせてハードな動きを展開した後、しばらく無音で踊る。ここでは自由を求める心と身体のズレが、細やかに踊られていた。形象力を持ったダンサーである。
(12月18日、スパイラルホール)
山名たみえが主宰するダンスカンパニーDeux(ドゥ)が『GENEジーン』を上演した。GENEとは遺伝子のことで、遺伝子自体は意志をもたないが、科学はそれを操作することを可能にした。
人間の命の知を継承するひとつの単位が構成する、フラクタルな運動を想起させる動きが展開する。しかしその動きは、万人に伝えるためにある程度は類型的に成らざるを得ないのかもしれない。私はかねがね山名のダンスの造形力に注目していたが、その特質を生かした舞台を創ってもらいたい、と思う。ピエール・ダルドの動きが印象に残った。
(12月21日15時、新国立劇場小劇場)
檜健次の業績を偲ぶ催し、シアターX
1930年代から60年代にかけて活躍した檜健次の業績を偲ぶ催しが、シアターXで行われた。主催したのは「檜健次先生を偲ぶ会」である。
檜健次は徳島県に生れて、母から日本舞踊の手ほどきを受けて舞踊活動を始める。大阪に出て自身の研究所を開設。1936年にアメリカに渡り、ソロ公演を行い、セントデニス舞踊研究所で交換教授を行う。帰国後、「日本人が踊る日本人の踊り」を提唱した。現在の現代舞踊協会にあたる全日本舞踊協会の創立に寄与し、初代事務局長を務めた。
第1部では、1962年の最後のリサイタルの映像を構成した「最後の自演映像を観る」。8ミリフィルムをビデオ化し音楽を再録音したものだそうだが、8本の作品をうまくまとめていた。とりわけ印象深かったのは『ウォーリアダンス』。シャイアン族の舞踊に基づいた踊りで、戦捷、富猟を願って神に捧げる犠牲の踊りで、胸に迫るものがあるダンスだった。
第2部は「評論家、舞踊家が檜健次を語る」として、縁りの人々が語り合った。司会は葉桐次裕。
第3部は「最後の門下生が踊る」と題して、ケイタケイが「米を洗う女」を踊った。
(12月29日、シアターX) |