関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi
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●内田香が率いるRoussewaltz ルッシュワルツが『なみだ』を上演

 長身にロングヘア、ロングドレスにヒールを履いてフェミニンな雰囲気が満ち溢れる、最近の内田香にはそんな舞台が多い。

『なみだ』は、打ちっ放しのコンクリートのホリゾントに、深紅の椅子を数脚並べただけの他には何もない舞台。赤、青、紫など思いも思いの色彩のカラフルなドレスの女性ダンサーと、黒いスーツ風の衣裳の男性ダンサーが絡む。上手奥から下手手前の対角線に光の道が浮かび上がり、その上で男女の出会いなど様々な人生の出来事が繰り広げられる。

 そしてつぎのシーンでは、女性ダンサーの衣裳が濃紺のベルベットのドレスに統一される。ソフトボールくらいの水晶の玉をもってほのかなブルーの照明の中で踊るなど、ここではこころの動きが踊られる。水晶の玉を対角線の光の道に置くと、光が玉の一部を貫いて、きらリと、なみだのように光る。

 内田の集中力のあるソロ、さらに全員のコーダ風の踊りで盛り上がり、カーテンコールでは両ソデから、無数のシャボン玉が飛ばされて美しいのなみだのダンスは幕を下ろした。

 女性らしさを前面に出した濃密なダンスで、私は満足したが、現代の女性を真っ向から描く、となるとさらに鋭いあるいは大きな視点からの構築も必要なのかもしれない。
(3月13日、セシオン杉並)


●小松原庸子スペイン舞踊団創立35周年記念公演は『ゴヤ---光と影---』

 小松原庸子スペイン舞踊団の『ゴヤ----光と影----』は、1983年に初演され芸術祭大賞を受賞し、翌年にはスペイン公演を成功させた小松原庸子にとって最も重要な作品のひとつである。

 タイトル通り、スペインのアラゴン地方出身の天才画家、フランシスコ・デ・ゴヤの名画をフラメンコで辿る作品である。であるが、まず、ゴヤという画家が一通りの天才ではない。宮廷画家として輝ける才能を発揮して頂点にまで昇りつめたゴヤと、病魔に襲われ死の淵を彷徨い人間の残虐の極みを描く画家としてのゴヤ。まさに光と影の人生の中から、スペインを愛し憎み、激しい情熱をもって描き続けたゴヤの芸術を舞台に表そう、という小松原の野心的な試みである。

 カスタネットを鳴らして踊るアラゴン地方の、青春の光が目映いばかりのダンス。カントル時代、ゴヤがタペストリーの下絵描きだった頃の「藁人形」のシーンは、ダンスはまるで地の精霊が踊っているかのようで、のどかな風景の中に太古の記憶が甦っているかのよう。「着衣のマハ」は、マハが三人の男と踊る美しい踊り。「鰯の埋葬」は、子供や仮面を被った人たちのエネルギーが爆発する祭り群舞。四人のマタドールの力強い踊りの「闘牛技」。「鍛冶場・水を運ぶ女」は、鍛冶屋の前を通りかかった壺を頭に載せた女が、酒を振る舞われて二人で踊る、この上なく楽しい素朴な官能性を表現した踊り。そして「戦争の惨禍」では、バタバタとフランス軍に撃たれ倒れる民衆。一人の男が祈りを捧げられている瞬間だけ、時が止まり、黒いマリアと踊る。時が戻り、当たり前のように撃ち殺される。

 人類の祈りを一瞬の舞台に表し、観客の脳裡に永遠に定着させた見事な演出・振付であった。
(3月5日、ル テアトル銀座)



ゴヤ生地アラゴンのホタ

カルトン時代 藁人形

●馬と人間の繋がりによってこの世の未来を占うのか、ジンガロの『ルンタ』

 騎馬オペラ、ジンガロが待望の初来日を果たし『ルンタ----風の馬』を上演した。「ルンタ」とは、チベット語で「魔よけと祈りの旗」を意味するのだそうだ。

 会場はサーカス場のように、円形のスペースを客席が囲んでいて、半透明のドームが覆ったり閉じたりできる。遊牧民のテントにヒントを得て作られた舞台である。

 香が焚かれ、主宰者バルタバスが自らダライ・ラマに直接許可を得て連れてきたという、チベットの僧侶たちの鍛えられた声による読経と楽器演奏が、地鳴りのように響く。異形のマスクを被った死の国の住人たちが馬に乗り、旗を掲げて馬上で組合わさって走り巡る。チベット人ダンサーの踊り。もっとも感動的なバルタバスと馬の「パ・ド・ドゥ」とでもいうべきシーン。いっぱいのアヒルと女性騎手の愛に満たされたのどかな世界。馬たちだけのシーン。騎手たちと馬の華麗なスリリングなショー、などなど興味の尽きない「生命の深淵」が明らかにされたようなスペクタクルであった。

「馬にこれほどの愛着をもっているのも、動物は人間よりも先に地上に存在していたわけで……馬がその象徴のような役割をしているような気もします。馬を通して我々は自らの存在の根源に触れているような感じです」とバルタバスは語る。

 人類がこの地上に現れた頃、馬は既に君臨していた。人類は馬に接して意を伝え、馬の意を汲んで生きていたであろう。まさに神話の時代だが、そこには今、我々が失ってしまった生命と生命の清冽なコミュニケーションがあった。それと同じものかどうか知るよしもないが、バルタバスと馬のパ・ド・ドゥに、もちろん鞭でも鐙でもない、原初の交歓を観た、そんな気がした公演であった。
(3月16日、木場公園内ジンガロ特設シアター)

 

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