関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi
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さて、桜花爛漫の季節となりました。花に華やぎ、ダンスに浮かれぱっなし、まことにおめでたきわが歌舞音曲人生です。ダンスのステージもまた花盛り。水ぬるみ、こころが解放されるこのシーズンに観る舞台は、思わぬ感慨も抱かせてくれることがあります。
ダンスを観ても、季節の香りにこころがうつろう、これもまた日本人、ということなのかも知れません。


●新国立劇場が石井潤の新作『カルメン』を上演

 カルメンはドン・ホセのファムファタール(運命の女)である。
 瞳の奥に恋のほむらをくゆらせ、なにものにも屈せず、奔放な感情の意のままに生きるスペインの風土を象徴する魅力的な女性である。ビゼーの音楽は人間の生の深部に共鳴し、カルメンの活き活きとした情熱の自由を歌う。

 カルメンに扮するダンサーは、舞台に立っただけで、その脈打つ赤い血がビゼーの曲のリズムに乗っていることを感じさせなければならない。そこから悲劇が始まるからである。

『カルメン』を舞踊作品とする場合、音楽は、シェチェドリンの『カルメン組曲』を中心にするのか、ビゼーのオペラの音楽を再構成するのか、という選択になることが多い。石井潤の『カルメン』は、新たな舞踊台本に従って、ロビン・パーカーがビゼーの他の曲も採り入れて構成している。

 装置は、数本の銀の三角の柱を移動させて、工場や酒場などを表す。造型はスペインを街を表していると思われるが、生活感のような実感的リアリティは排除されたモダンな感覚である。柱が滑らかに移動し照明を変化させて、舞台に生まれる様々な空間が主人公の心理を映しているようにも見えた。

 振付は、テンポの速い場の転換に乗せたリズムで展開し、明解に表現されたパが組み合わされてシーンを構成し、ストーリーを語ったり、愛の宿命や主人公の暗い運命を暗示したり、と自在であった。

 振付家自身語っているように、スペインのカルメンとしてではなく、『椿姫』や『マクベス』のように、カルメンとドン・ホセのドラマ----人間が生きていくことによって生じるドラマ、人間の存在に内在するドラマ----を描いている。そうした観点から、舞踊台本による音楽の構成、現代美術的な感覚の装置、テンポの速い振付のタッチなどによる舞台が創られている。

 私は初日の酒井はな、山本隆之組を観ることができず、湯川麻美子、ガリムーリンのペアを観た。湯川は体当たり的に演じ、なかなかがんばっていた。しかしやはり、まだ主役の経験が不足しているのではないか、という気がしてしまうのは止むを得ない。ダンスはしっかり踊っているのだが、それ以外というか彼女自身の舞台表現の部分が今一歩であった。『カルメン』というと、女優バレリーナと言われるプリセツカヤの舞台姿がすぐに目に浮かんでしまうから致し方ないのだが。

 私はやはり、『カルメン』のドラマはスペインの風土と抜きがたく結びついている、そう思えてならない。闘牛もまたしかり。逆にいえば、スペインの風土自体に人間の原初的なものが内在しているのである。だから『カルメン』は、スペインの荒野、そこに吹く風、行き交う人々に踏み荒らされたタブロー、土臭さがたち昇る場面に置いてほしかった。
(3月26日、新国立劇場中劇場)


●スターダンサーズ・バレエ団がフォーサイス、チューダー、バランシンを上演

 スターダンサーズ・バレエ団が、創立40周年を迎え、フォーサイスの『ステップテクスト』、チューダーの『火の柱』、バランシンの『ウエスタン・シンフォニー』を上演した。
『ステップテクスト』は、1984年に初演された『アーティファクト』のPart 2を独立した作品として上演したものである。音楽はバッハの「シャコンヌ」を使用している。
 フランクフルト・バレエ団が『ステップテクスト』を日本初演した時、幕が開いて客電がつけられたままダンサーが登場して踊る有名なオープニング、あるいは突然の暗転や上演中の客電の操作、音楽の断絶、ステップを一方的に打ち切って歩き出すダンサーなどに、ショックを受け、非常に鮮烈な印象を抱いた。しかし今日の観客は、フォーサイスのダンスをごく自然に受けとめている。

『ウエスタン・シンフォニー』

『ステップテクスト』は、ダンスのリハーサルのシーンを作品としている。リハーサルだから当然、舞台は突如中断される。ダンスのステップが解除されるだけでなく、音楽が切断され、ディレクターに強くアッピールしようとするダンサーがいたり、客電が明るくなったり暗くなったりする。
 舞台で一定の時間の流れの中で展開されるダンス作品を、作品を構成しているファクターのそれぞれのオン&オフによって解体してみせる。別の言い方をすると、本番の舞台とバックステ−ジをモンタージュして、ダンスとはなにか、と問いかける。こうした作品の狙いと、フォーサイス独特のムーヴメントが渾然となって、かつてないコンテンポラリーな感覚のダンスが創られた。

『火の柱』は、通りを隔てて建つ三人姉妹の家といかがわしい噂の家の間で繰り広げられるドラマ。中の娘ヘイガーが、姉、妹、友人、噂の家から出てきた男などの行動を、彼女の愛と孤独の中に見つめ、社会との調和を求める。
 チューダーの振付は明解で、登場人物が表現すること、主役と背景の位置がはっきりとしていて、観客にも分かりやすい。ヘイガーを小山久美が的確に踊り、ニューヨーク・シティ・バレエやチューリッヒ.オペラ・バレエで踊ったベン・ヒューズが印象的な役創りをみせた。

 一転して、『ウエスタン・シンフォニー』は思いきりカラフルで可愛らしい衣裳で、アメリカンな派手な色彩が溢れる舞台。羽飾りを着けたバレリーナのソロ、群舞がこの上なく楽しい。西島千博の甘い表現が魅力を発散し、大倉現生のリズミカルな動きが見事だった。
 小山恵美総監督になって、チラシやプログラムも明るく洗練された感覚が感じられるようになった。今後の公演に期待したい。
(3月13日、ゆうぽうと簡易保険ホール)



『ステップテクスト』

『火の柱』

『ウエスタン・シンフォニー』

●牧阿佐美バレエ団のプロコフスキー振付『三銃士』

 アレクサンドル・デユマ原作、ジュゼッペ・ヴェルディ音楽の『三銃士』は、プロコフスキーの振付で牧阿佐美バレエ団のレパートリーとなっている。日本初演は1993年。今回は6回目の再演だが、改めてプロコフスキーを招いて制作している。

 恋とヒロイックな冒険のスペクタクルが目まぐるしく展開する、なかなかエキサイティングなストーリーである。主人公のダルタニヤンは、デニス・マトヴィエンコ、三銃士は菊地研、今勇也、アルタンフヤク・ドゥガラー、コンスタンスに伊藤友季子、アンヌ王妃は草刈民代というキャスティングで観た。
 プロコフスキーの演出・振付はまことに見事。手際良くかつ楽しく、決して説明に陥ることなく、しかもテンポよくリズムに乗せてストーリーを展開する。マトヴィエンコは期待に応え、鮮やかにダルタニヤンの人物像を踊り、伊藤友季子のコンスタンスを引っ張たし、フェンシングのシーンもきちんとした型があって見応えがあった。伊藤は、もう少し女性的な表現を強めてほしいとも思ったが、しっかりと踊っていた。特に、マトヴィエンコとのパ・ド・ドゥは良かった。今、思い出してみると、彼女の踊りのほうが印象が深かった気がする。

 バッキンガム公爵の逸見智彦は全体の雰囲気をよく把握した味のある演技だった。草刈民代も気品を感じさせる演技だったし、バレエ・マスターも務めた小嶋直也のルイ十三世が存在感をみせた。

(3月4日、ゆうぽうと簡易保険ホール)
 

 

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