●東京文化会館のニューイヤーガラコンサート
ニューイヤーコンサートの定番メニューといえばウィンナ・ワルツにオペレッタのアリアだろうが、東京文化会館は、オペラやバレエ、それにコンサートも開ける同館ならではの公演を行った。前半は井上道義指揮の都響による演奏で、後半は東京バレエ団が彼らの演奏でベジャール作品を踊る構成で、オーケストラ舞台からバレエ舞台への転換も見せるという前代未門の企画。20世紀の「パリ」に関連し、当時は斬新すぎてスキャンダルを生んだ音楽を選曲したそうだが、今や“20世紀の古典”であることを改めて実感させた。
最初は、コクトーの台本にサティが作曲したバレエ曲『パラード』(見世物小屋)。サイレンやピストルの音も混じる音楽は、ピカソの大胆な美術でロシアバレエ団が初演した当時は、さぞ奇抜に響いただろう。今回は、奏者に水槽の水を足でパチャパチャさせたり、音階順に吊り下げたガラス瓶を叩かせるなどの演出はあったが、井上は手堅く都響をまとめていた。ハワイアンギターが入る小編成のショスタコービチの『ジャズ・バンドのための組曲第一番』は、真紅の幕の前、すなわちオケ・ピットに当たる部分で演奏された。 |
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後半の一曲目はストラヴィンスキーによるバレエ音楽の傑作『春の祭典』。ベジャールの振付は生と性の目覚めを生々しく描いて衝撃的だが、今回は男性群舞に野性味の発散がやや希薄で、女性群舞は美しいまでに整っていた。締めくくりはラヴェルの同名の管弦楽曲による『ボレロ』。この日は人気抜群の上野水香が日本では初めて「メロディ」のソロを踊り、男性が「リズム」の群舞を務めた。最初のうち、上野は淡々と振りをなぞる感じだったが、身体を柔らかくしなわせ、思いきり脚を振り上げ、鋭いジャンプもこなし、音楽の高揚と共に内から沸き上がるようなエネルギーを放出させていった。実にみずみずしい演技だったが、いわばまだ“教科書通り”。この先、作品をどう極めていくか、楽しみだ。 |
東京バレエ団が生の演奏で踊った『春の祭典』『ボレロ』というと、2003年の、バレンボイム指揮シカゴ響との手合わせを思い出す。オペラでは歌手の息遣いに合わせて共に音楽を紡いでいくバレンボイムだが、この時は音楽に主導権を持たせてオーケストラを駆り立てた観があった。それに比べて井上は、ダンサーの呼吸にも配慮し、バレエに寄り添うように、複雑なリズムをわかりやすく演奏していた。
(1月3日、東京文化会館)
●伊藤キム+輝く未来『壁の花、旅に出る。』
「伊藤キム+輝く未来」による『劇場遊園』(2003年)は、舞台上に客席をしつらえ、客席をパフォーマンス空間に変えるという、従来のあり方を逆転させた試みが新鮮だった。今回の『壁の花、旅に出る。』は、一歩進めて、舞台と客席の境界を取り払った実験的な公演だった。二部構成で、前半は“立食パーティー形式のパフォーマンス”。展示場のようなスペースの中央には料理の置かれたテーブルが幾つか並び、サイドには飲み物コーナーもあり、観客は自由に飲み食いする。左右の壁際には台座に乗ったダンサーが彫像のように立ち、出入り口側のガラス壁面の向こうには階段が見え、また壁面には服の掛ったハンガーが吊るされている。十分ほど経つと、男女一組のダンサーが現れて動き回るが、大したことなく休憩に入り、テーブル等が片付けられる。ダンサーがハンガーの服に着替え、ストレッチをする様などがガラス越しに見えるが、これもパフォーマンスの延長だろう。
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後半、中央の空間でダンスが繰り広げられ、観客は床に座ったり柱に寄り掛かったりして見る。ダンスはゆっくり歩くことから始まり、四つん這いで激しく頭を振ったり、仰向けで足をばたつかせたりしたが、表現のスケールは舞台上で見るより小さく感じた。映画『ある愛の詩』音楽などが流されたほか、シェイクスピアやゲーテ、キリスト、世阿弥らの言葉も朗読されたが、動きとの関連性はなさそうだ。伊藤が踊ったのは最後の十五分ほど。上体をたわめ、空を切るように腕を曲げ、脚を伸ばす。空気の揺れが伝わってくるほど近距離なためか、動きが解体されて見えるような不思議な気がした。数人の観客が招かれて伊藤を囲むと、伊藤は一人に抱きついたり、相手のポーズを真似たりしたが、この即興は不完全燃焼に終わった観がある。観客が積極的に仕掛けても良いと言われていたら、もっと密度の濃い展開になっただろうにと惜しまれた。
(1月16日昼、BankART1929)
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