関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi
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台風の相次ぐ襲来、なかなか収束しない大地震、と明るい話題がみつからない秋になってしまいました。被害を受けられた方々に衷心よりお見舞い申し上げます。
翻ってダンス界には、自然の力をも凌駕するような新しいフォースを持った作品群の出現を、ひたすら期待しております。


●「ルジマトフのすべて2004」で笠井叡の『レクイエム』を踊ったルジマトフ

 今回の「ルジマトフのすべて」で、彼は、『薔薇の精』(ウェーバー/フォーキン)、『海賊』(ドリゴ/プティパ)のグラン・パ・ド・ドゥ、『ムーア人のパヴァーヌ』(パーセル/リモン)、そして新作の『レクイエム』(モーツァルト、ストーン/笠井叡)を踊った。
『レクイエム』の音楽は、モーツァルトの同名の曲を基にしてアメリカの現代音楽家C.ストーンが作曲したものである。笠井は、ゆっくりとしたテンポにした上で、モーツァルトの曲に内在している宗教感情のようなものが、空間にゆったりと立ち上がってくる音楽を求めた、という。そのストーンの曲が流れる中で、笠井が選んだ言葉をルジマトフ自身がロシア語で朗読する、その二つの音がこの作品の音楽となっている。それはルジマトフというダンサーが、クラシック・バレエに属性として結びついている音楽の時間軸から離れて、音楽と言葉が構成するイメージの空間で踊る試みでもあった。

 ダンスの展開は、ある日ルジマトフがつぶやいた「ニジンスキーは最期まで正気だった。彼は発狂していない‥‥」という独白に笠井がインスパイアを受けて創っている。ニジンスキーというクラシック・バレエを極めたダンサーが、『薔薇の精』から『ティル・オイゲンシュピーゲル』を経て、サン・モリッツのホテルの最後のパフォーマンスに到るまで、ニジンスキーのクラシック・バレエそのものが内部から崩壊していく有り様を、黙示緑として描いたものである。
 舞台を観ると、今までクラシック・バレエの超絶的な動きで見なれたルジマトフの身体とはまた異なった、舞踏的というか笠井のダンスのヴォキャブラリーを踊る彼がもの珍しく、新しい舞踊体験が得られる。まるで、クラシック・バレエの身体と舞踏の身体が、シルクロードで出会って葛藤を生じていような印象とでも言えばいいのだろうか。
 ともあれ、今日、「黙示緑」を身体によって美しく表すことができるダンサーが、このルジマトフのほかにいるはずもない。その意味でもルジマトフの身体は、唯一無二のものとして観客に捉えられているのである。(9月30日、東京芸術劇場、中ホール)
 
●牧阿佐美版『ライモンダ』を踊ったザハロワと吉田都


 新国立劇場の牧阿佐美版『ライモンダ』初演を、ライモンダ=ザハロワ、吉田都。ジャン・ド・ブリエンヌ=アンドイレイ・ウヴァーロフ、イーサン・スティーフェル。アブデラクマン=ロバート・テューズリー、イルギス・ガリムーリンの二つの組み合せで観た。
 物語は、十字軍で遠征したブリエンヌが、婚約者のライモンダにサラセンの騎士アブデラクマンが愛を語っているところに、帰還。一騎討ちによってアブデラクマンを打ち倒す。そして、絢爛豪華な結婚の祝いを催す、というもの。ストーリー自体はほとんど他愛ない。十字軍の遠征を行った中世のヨーロッパ世界とサラセンのイスラム世界の美を万華鏡のようにきらびやかに見せるための設定、といってもいいだろう。
 牧版で最も特徴的なのは、美術と音楽の美しい調和というべきかもしれない。グラズノフの音楽は、ヨーロッパと東洋の中世の色彩が幻想的なイメージを絢爛に織り成している。牧版の美術を創ったのは、ミラノ・スカラ座などでオペラやバレエの舞台装置を手掛けているイタリア人のルイザ・スピナッテリ。彼女は、中世の細密画の中に『ライモンダ』の幻想的テーマとシンクロする色彩のリズムを見い出した、と言っている。

 緞帳が上がると、グリーンがかったブルーを基本の色調とした舞台幕。中世風の絵が描かれているのだが、この色彩が、第一幕のブルーのフィルターをかけた照明に映された白いバレエ衣裳に共鳴して、氷河の深部のような奥行のあるブルーが現れる。そしてその色調はまた、第一幕の後半のヨーロッパの王朝風の濃いブルーグリーンや赤とコントラストを成す。そのように様々の色調が重なり合って、第三幕の背景幕の模様の黄金をよりいっそう輝かせる。この牧版『ライモンダ』では、そうしたヴィジュアルの流れがグラズノフの曲と調和して、西と東が混淆した美しい色彩のリズムを展開している。

 ザハロワは、やはり新国立劇場の牧版『ラ・バヤデール』や『眠れる森の美女』を踊った時よりも、いささかふっくらとしたようにも見受けられた。もちろん優美な姿体を惜し気もなく駆使した踊りは、見事で圧倒するような雰囲気も揺るぎないのだが、ニキヤのような苛酷な悲劇が刻印された役ではないためか、少々、輪郭がうすらいで見えたような気もする。

 吉田都のライモンダは素晴らしかった。緻密で柔軟で繊細でしかも優雅に流れるような踊りのラインは、吉田都にしか描くことのできない逸品である。日本人の佳き感性が創る肌理濃やかなダンス・クラシックというべきである。吉田都につられたかのように、イーサン・スティフィールも品格のある踊りを見せた。
 コール・ド・バレエも整えられており、見事な舞台であった。新国立劇場はこうした舞台をこそ維持発展させていってほしいものである。
(10月15日、22日、新国立劇場)

●谷桃子バレエ団「古典と創作」の『ロマンティック組曲』ほか

 谷桃子バレエ団が「古典と創作」シリーズの公演で、『ロマンティック組曲』(ショパン/谷桃子)、『韃靼人の踊り』(ボロディン/小林恭)、『Real Fudge(リアル・ファッジ)』(坂本登喜彦)の3曲を上演した。
『ロマンティック組曲』は、谷桃子が1953年頃振付けた作品である。ショパンの曲で構成した谷版『レ・シルフィード』といった趣きのある舞台。まず、全員が登場した後に、ひとつのペアが残り「ノクターン」にのせてデュエットを踊る。続いて「エチュード」「ワルツ」「プレリュード」などが白石光隆のピアノ演奏によって踊られる。 
 なかなか美しいフォーメーションを見せ、ダンサーたちの踊る心の純粋さが素直にが感じられる好感の持てる舞台だった。
 小林恭は『韃靼人の踊り』。ボロディンのオペラ『イーゴリ公』から独立させてフォーキンが振付けたものが原振付となっている。高部尚子のフェータルマ、斉藤拓の隊長、前田新奈のチャガだったが、全員がなかなか力強い踊りを見せた。
『Real Fudge』は、坂本登喜彦が『ロミオとジュリエット』に基づいて創った舞台。上手と下手は正方形で正面は不規則な四角な穴が空いたセット。稲妻ように光がセットの枠を走り、舞台上のふたつのマネキンが脆く崩れる。人間がマネキンのごとく立ち木でも倒れるように死んでいく遥かに遠い戦争。この緊迫した対立関係の中の実感のない不思議な感覚を、『ロミオとジュリエット』にインスパイアを受けながら坂本登喜彦が振付けたコンテンポラリー・ダンス。Realは本物、Fudgeはつくり話の意味だという。作品を支える実感的な部分は理解できるが、少々、説得力が弱かったのではないだろうか。(10月7日、文京シビックホール)
『ロマンティック組曲』
『韃靼人の踊り』
『Real Fudge』
 

 

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