関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi
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今年は台風の当たり年だとか。記録破りの猛暑の後に、台風一過、東京を覆っていた熱気を振り払って、一気に、一点の雲りなき秋日和、とお願いしたいもの。外界とは隔絶しているとはいえ、劇場空間にもまた清新な意欲が漲る舞台を切望する秋。

●K バレエがプティの『カルメン』と熊川の『ソリチュード』を上演

 K バレエが『カルメン』を上演したのは2000年。今回が3回目の上演である。カルメンのヴィヴィアナ・デュランテ、ホセの熊川哲也が鮮烈な印象を残したのはいうまでもないが、アンサンブルもまた見事であった。

 プティの『カルメン』は、タバコ工場、酒場、寝室、通り、闘牛場の前の1幕5場の構成である。プティはテーマを、ホセとカルメンの愛と殺人に絞って、原作のもろもろのエピソードをあっさりと捨ている。そしてアントン・クラーヴェの黒を基調として鮮烈な赤を配したスペイン・カラー、椅子やベッド、ブラインド、帽子、タバコなどの小道具を巧みに使ったモダンな感覚の演出、ミュージカルなどのポピュラー・ダンスの動きを取り入れたムーヴメントが、ビゼーの曲のリズムと見事に一致して観客を魅了する。

 この作品ではアンサンブルがそれぞれが、表現するものを正確に把握していなければ動けない。ちょうど指揮者に導かれてオーケストラが音楽を奏でるように、動きのアンサンブルが創られて演出されているからである。ビゼーの曲をプティの素晴らしいヴィジョンによって見せているのである。今回のK バレエ公演の『カルメン』は、そうした印象を残したアンサンブルが美しい舞台であった。それはまた、K バレエ カンパニーのダンスの水準が高まったことを証明しているのである。

 熊川哲也振付の『ソリチュード』は今年4月の初演された。今回の公演では、若干の手直しが加えられた。白い仮面をつけて屋根の上を行きつ戻りつしていたダンサーが、最後のシーンで仮面を外してホールに落とすのだが、その仮面の下もまた仮面であった、という演出になった。

 仮面はこの作品で唯一使われていた小道具。主人公をめぐるダンサーは、仮面をつけていたりつけていなかったりする。「ソリチュード=孤独」の視点からみるとそのように見えるのだろうか。そして、仮面を外すとまた新しい仮面が現れる……。現代のわれわれが直面している孤独の錯綜した姿が、そこに現れているのかもしれない。
(8月26日、文京シビックホール)

●小林紀子バレエ・シアターの英国流トリプルビル
 小林紀子バレエ・シアターがアシュトンの『レ・ランデヴー』、マクミランの『ソワレ・ミュージカル』、プティパの『ライモンダ』第3幕を上演した。
『レ・ランデヴー』は昨年初演した舞台をアシュトンの生誕100年を記して再演、『ソワレ・ミュージカル』は英国以外では初めての上演、『ライモンダ』はジュリー・リンコン、パトリック・アルマンによる新制作である。

 公演の趣旨は、アシュトン、マクミラン、プティパが振付けたクラシック・バレエの舞台を見比べて楽しんでもらいたい、とのこと。

 アシュトンの『レ・ランデヴー』から幕が開いた。まず、白い公園の大きなゲイトと青空に白い小さな雲が浮かんだセットの、晴れ晴れとした思いきったモダンな感覚が印象的。美術は1933年の初演のウィリアム・チャペルである。チャペルは『レ・パテヌール』などアシュトン作品の美術家だが、カマルゴ・ソサイアティ時代にはダンサーとしても活躍し、『ファサード』などのオリジナル・キャストでもある。
 ダンスは、社交界にデビューする若いカップルの、新しい世界への期待に胸が膨らむ初々しい感覚を、ピンクのリボンの女性ダンサーとブルーのリボンの男性ダンサーが鮮やかなコントラストを描いて踊るもの。音楽はダニエル・オーベール。

 アシュトン作品は、ダンスが描く美に対する確信に満ちた構成が感じられる。女王陛下を敬愛し奉仕することにより、英国人の優れた気質が顕現するように、おおらかな情感が謳われる作品が創られているのである。

 マクミランの『ソワレ・ミュージカル』は、ニネット・ド・ヴァロワの90歳の誕生日を祝って、まだ熊川哲也などが学んでいた1989年のロイヤル・バレエ・スクールに振付けられた。音楽はロッシーニを主題としてベンジャミン・ブリテンが編曲、「マーチ」「カンツォネッタ」「チロレーゼ」「ボレロ」「タランテラ」で構成されている。

 ダンスは、赤い衣裳のダンサーとブルーの衣裳のダンサーがメイン。全員のアントレから始まって、スローなパ・ド・ドゥ、男性の軽快なパ・ド・カトル、静かな感じの女性ソロのヴァリエーション、全員のフィナーレ、とスピーディに展開する。おもちゃの兵隊のような衣裳が可愛らしかった。
 マクミランが目指しているのは、クラシック・バレエの豪華できらびやかな美ではない。つぎつぎと舞台に繰り広げられるミュージカル・シーンの光芒が織りなす流麗な、カンバスに様々に色を塗り重ねて現れる美しさ、とでもいったらいいのだろうか。

『ライモンダ』は美術を一新した新制作。ジャン・ド・ブリエンヌは、ニューヨーク・シティ・バレエのプリンシパル、ロバート・テューズリー、ライモンダはこのカンパニーのプリマ、島添亮子である。

 白を基調とした限りなく華やかな装置と衣裳が輝かしく、ハンガリアン・ダンスなどの民族舞踊とクラシック・バレエの踊りが美しく豪華に融合した舞台である。島添の堂々とした踊りが目をひく。コール・ドを従えていっそうスター性を感じさせる舞台であった。叶うことであれば、モダンダンスを踊ることなく、クラシック・バレエ一筋に素晴らしいバランスを生かしてほしいのだが。

 小林紀子バレエ・シアターは、一貫して上質な英国バレエをプログラミングして上演している日本では貴重なバレエ団である。今回のトリプルビルも味わい深いものであった。さらに、今日リアルタイムで上演されている英国流バレエのテイストも味わってみたい、と思うが、これは観客の贅沢であろうか。
(7月29日、新国立中劇場)

「レ・ランデヴー」

「ソワレ・ミュージカル」

「ライモンダ」

●スターダンサーズ・バレエ、吉田都とテューズリーの『ジゼル』

 スターダンサーズ・バレエ団がピーター・ライト版の『ジゼル』を、吉田都のジゼルとロバート・テューズリーのアルブレヒトで上演した。美術・衣裳はピーター・ファーマーである。

 ストーリーテリングの名人、ピーター・ライトと幻想的でロマンティックな雰囲気溢れる舞台美術を創る達人、ピーターファーマー、そして正確無比のステップとクールな叙情的表現を極めるバレリーナ、吉田都。アルブレヒトはNYCBのプリンシパル、テューズリーだから、今日求めうる最高級の『ジゼル』のひとつ、と言っても過言ではないだろう。

 ピーター・ライト版では、幕開きから身分を隠したアルブレヒトがジゼルへの想いを表現して隠れ家に消え、母ベルタが小屋から出て朝の寒気を感じているとヒラリオンが現れる。ヒラリオンは狩りの獲物の野鳥をベルタに贈り、家事を手伝って親密の情を表す。この一連の動きの中に、村娘ジゼルと母とヒラリオンの生活の一体感と、そこに現れた貴族の青年の別世界への興味をともなった恋心が、さりげなく、スケッチ帖をめくっていくように表現されている。ほとんどの観客は、このジゼルの物語は知っているのだが、ファーマーの柔らかい朝の光を感じさせる美術と、ライトのぬかりないスムーズな演出によって、肌を通して実感的にこののっぴきならない悲劇に入っていってしまうのである。

 祭りの女王を祝う踊りは、通常はペザントのパ・ド・ドゥとして踊られるが、ライト版ではパ・ド・シスであり、ジゼルのソロ、さらにアルブレヒトも加わって収穫の祭りは最高潮となる。そしてこの村の祭りの盛り上がりが、1幕の終りのジゼル狂乱の場の悲劇をいっそう際立たせるのである。

 第2幕の都=ジゼルは素晴らしい。ステップがごく自然に流れるように進み、身体全体で繊細な「幽玄」とでも呼びたい、都=ジゼルでなければ表すことのできない情感で舞台に満たす。以前は、テクニックの正確さが彼女の中にかすかに残っていた生硬さのためにサイボーグのように感じられることもあったが、今回の舞台では、まごうかたなき吉田都の完璧なジゼルであった。日本人バレリーナだけが描くことのできる「繊細で美しいバレエ」を、吉田都が完成しつつある、私はそう感じたのである。
(8月20日、神奈川県民ホール)
 

 

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