関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi

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空梅雨なのに湿度が高く極度に蒸し暑い、という歓迎すべからざる気候の下、一服の清涼感を求めて、ダンスの公演会場を経巡った。ダンサーもスタッフもみなさんがんばっていて大いに癒されました。ありがとう!

●ダンスの快楽!ラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップスの『アメリア』


 ラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップスの『アメリア』は素晴らしかった。客席で観ていると、魂が舞台に吸い上げられてしまうような、得難いダンスの快楽を堪能させてくれた。駆け出しのコンテンポラリー・ダンスとの格の違いをまざまざと見せつけてくれて、まさに胸のすく思いである。

 音がまったく消えたスクリーンにドラマティックな映画が映し出される。名前も知らない俳優たちが、愛を告白したり、拒絶したり、嫉妬に狂ったりといった演技を展開する。この俳優たちの動きを高速ムーヴメントにして舞踊の表現として整理し、エドアール・ロック独特の振付けを創る。そしてシーケンスの展開にリズムを与え、ディヴィッド・ラングの音楽とシンクロさせる。『アメリア』を見ながらこの作品は、そんなふうにして創ったのではないか、などと思った。

 スタッカートなミニマルミュージック、遠雷をアレンジしたような強烈な響き。甘く切ない陰翳を歌う見事なハスキーヴォイス。音楽がポワント・シューズの動きを中心とした振りとマッチし、不思議な魅力を発揮する。

 歌手もヴァイオリンやチェロの奏者も演奏しながら動く。ヴォーカルがうつ伏せになって歌ったり、出を待つダンサーがピアニストの傍らで動きを真似たり、ピアノにのっかてしまったり、奏者がダンサーに近寄って弾き聴かせるように演奏したり、テープ曲のときはミュージシャンは舞台奥で大人しく待機する。パフォーマンスは舞台全体が一体となって展開される。自然でおもしろい演出だった。

 最も特徴的だったのは舞台を鋭く支配し、映画のカッティングと同様の効果をあげた照明である。モノクロームのフィルムノワールを想わせる光と影のリズムが、客席を去ってからも瞼の裏で続いていた。

 写真家でもあるロックのダンサーの写真が、大きなポワント・シューズをデザインしたようなスクリーンに映され、メープルの葉脈を抽象化したような模様が吊りものとして使われていた。優れたコンテンポラリーな感覚の舞台美術である。

 やはりダンサーたちに賛辞を贈りたい。切れ味鋭いロックの高速ムーヴメントと、前作『ソルト』よりはるかに複雑な構成をいとも容易に踊ってみせ、このカンパニーの水準の高さを鮮やかに示したのだから。 (6月16日、彩の国さいたま芸術劇場)


●ジャズの感覚で描かれた『プレイ・ウィズアウト・ワーズ』

 マシュー・ボーンの新しいカンパニー、ニュー・アドヴェンチャーズの第1作『プレイ・ウィズアウト・ワーズ』が来日上演された。これは、1968年のイギリス映画『召使』(ジョセフ・ロージー監督、ロビン・モーム原作、ハロルド・ピンター脚本、ダーク・ボガード主演)にインスピレーションを得て創られた舞台。

 英国の青年貴族とそのフィアンセが、召使いやメイドあるいは場末のミュージシャンと関わっていくうちに、支配関係が崩壊していく様子を描いている。1960年代の英国階級社会の姿を映した作品である。

 ひとつのカップルを、3組あるいは2組の俳優が同時に舞台に登場して演じる。しかもひとつの出来事を、それぞれのカップルごとに時間をずらして演じるなど工夫を凝らしたボーン演出が、公演前から話題を読んでいた。

 確かに、3組のカップルが同じ舞台の上でラヴシーンを繰り広げると、不思議な感覚に襲われる。演技やパントマイムというよりも、動きが様式化して見えるのでやはりダンスとして、パ・ド・シスを観ているような気分である。

 舞台の袖で小編成のバンドがジャズを演奏し(音楽テリー・テイヴィス)、60年代のファッションや、<ピープショー>とか<ストリップティーズ>といったネオンも登場してかっこいい雰囲気を醸す。登場人物の官能的な心理とジャズが呼応し、支配関係がじりじりと溶解していく、というのが演出の狙いでもあろう。

 舞台中央に置かれたスパイラル状の階段の一部が移動し、ドアがついて室内シーンになったり、ネオンが降りてきて屋外シーンとなったりと自在。階段下に人物が集まってラッシュ・アワーの電車になったのは驚いた。相変わらず、レズ・ブラザーストーンの装置は秀逸である。(6月28日、シアター・コクーン。

●美しく輝いたザハロワ、新国立劇場『眠れる森の美女』

 16歳のオーロラ姫は、舞台奥の階段をすべるように降りて来ると、その生気あふれる勢いのまま流れるように難技をこなし、ローズアダージョを見事に踊りぬいた。オーロラ姫に扮したザハロワは踊りながら、じつはオーケストラも指揮しているのではないか、そんな感想さえもたらしたくらいに活き活きとしていて、観衆の視線を一身に釘付けにする『眠れる森の美女』だった。

 シルヴィ・ギエムをここでもちだして比較するのは変だが、ギエムのクラシック・バレエのポーズも完璧といってもいい。しかしまた、ベジャールやマッツ・エック作品を踊るギエムも観ているので、彼女のクラシック・バレエとは異なった動きで創る表現も私たちは知っている。するとそのコンテンポラリーの舞台の残像が微妙に作用し、完璧なクラシック・バレエのポーズをしているギエムがわずかだが輪郭がぼやけて見える。そんな気持になるのである。

ゼレンスキー&ザハロワ

 もちろん、スヴェトラーナ・ザハロワの舞台にはそんな印象は微塵もない。周知のようにキエフ出身で、マリインスキー劇場から移籍し、現在はボリショイ・バレエで踊っているが、ザハロワは一途に古典的なスタイルを追求しているバレリーナである。

 デジレ王子はイーゴリ・ゼレンスキーだったが、豊富な舞台経験を生かしてザハロワの美しさをうまく引き出し、なおかつ、自身もよく見せてしまうといういかにも洗練された踊りぶりであった。(6月4日、新国立オペラ劇場)
 

 

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